キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

運動会

誰でも知ってることだとおもうけど。

「障がい」って書くのは、偽善的な話じゃない。

日本語の話。

 

パラリンピック的な「しょうがい」。

正式には?「障碍」なんだけど。

「碍」って常用漢字じゃないから、「障がい」って書く。

 

障害物競走とかの「障害」とは、そもそもが違う。

「交差」と「交叉」みたいなもん。

 

(「交差点/交叉点」っていつからか辞書でも許容されちゃったケド)

(それってまさに、「誤用?が一般的になっちゃったから認めた」っていうたまにありげなけしからんパッターンなだけなんだよね)

(っていう隘路に入るとめんどくさくなるし長くなるので措きまする)

 

 

おれは「菊池」なんだけど「菊地」って書かれると、やっぱそれは違うよねってなる。

違和感があるし、あきらかに自分をあてられてるケースでもどこか、自分ではない感が拭えない。

 

みたいなもん。軽重はだいぶん違うけど。

 

「智弁和歌山」は新聞の表記。

「智辯和歌山」じゃん。

 

そういうのはしようがない。

でもたぶん、当事者は関係者はどこか、違和感をもってるはずなんだ。

「智弁じゃねえ、智辯なんだ」と。

 

「国学院大学」じゃなく「國學院大學」なんだ、と。

「慶応大学」じゃなく「慶應義塾大学」なんだ、と。

ましてや「KO大学」ってなんだぜ?と。

 

なんか、そういう。

 

だから話を戻すと。

「障がい」って「がい」をひらがなで書くのは思想とかそういうんじゃなくて、そもそもの意味とか遣い方の違いに根ざしてるわけで。

 

。。。

 

話がぜんぜん進んでねえぇ!!!!!

 

 

新聞とかネットにありがちな、こういう書き方みたいなことかな。

「草なぎ剛 ※なぎは弓へんにうんたらかんたら」

 

 

。。。

 

 

きょう書きたかったことは、そんな日本語のこまっけえことなんてどうでもよくて。

「パラリンピック、むちゃくちゃおもしろい!」ってことで。

 

 

競技としてたんじゅんにむちゃくちゃおもしろいし、アスリートの努力とかメンタルとか技術とか、たんじゅんにむちゃくちゃすごい。

見入ってしまう。

 

こないだのオリンピックもむちゃくちゃ見入って、おもしろかったし感動したんだけど、なんかコウ、ある種オリンピックより見入っちゃうし感動しておる。

 

(あ、あえてこういう物言いしたけど、そもそも「オリ」と「パラ」を比較してどっちがどうだって言いたいわけじゃないってことだけは、たぶんとても必要なエクスキューズだとおもうのでしとく。)

 

 

冒頭のツイートでほざいたようなストーリー。

もだえるじゃん?

 

決めたことはがんばれる(それを外れると応用がききづらい)っていうひとが、2020年にがんばろうとしてた東京パラリンピックがコロナで1年延期になって、立て直して、世界新記録で優勝しちゃうんだぜ。

水泳の山口尚秀選手。

 

競技としての力量とかメンタルの強さ弱さじゃなく、性質の問題?を覆しちゃうんだもん。マジすげくね? 本人も、支えてるひとたちも。

 

 

それをどなたかが「心の力技」っておっさってたんだが。

まさにソレだ。

いろんな意味が含まれておって、

そういう感性にちょっと、だいぶん嫉妬した。

 

 

そんで。

じぶんがどうしてパラリンピックをオリンピックよかある意味おもしれえっておもうんだろう。

ってのを考えた結論が表題。

 

語弊覚悟で、かつ、あえてものすごくからげると、じぶんはパラリンピックの運動会的おもしろさをすげえ楽しんでるんだなっておもった。

 

たとえば、「水泳の200m自由形」。

オリンピックだったら、水泳の200m自由形決勝はひとつじゃん?

でもパラリンピックなら、障がいの軽重?種類?でいくつも「水泳の200m自由形決勝」を見れる。

ってのがいいなっておもった。

 

キクチ、変なこと言ってる?そうならすんまそん。

 

 

四肢がない(あるいは不自由)カテゴリーの200m自由形とか。

だいたいみんな背泳ぎなのよね。

息つぎがラクだから。

「だって自由形でしょ?」っていう、根本的な話?

 

 

で、金メダルを獲ったひとは50mプール2往復の150mまで背泳ぎなのに、勝負のラスト50mはバタフライのドルフィンキックに切り替えた。

よくわかんないけど、そっちのほうが「キツいけど速い」んだろうね。

 

あるいはおんなじ四肢のないカテゴリーで。

ずっと日本の古式泳法みたいな横向きで泳いでるひとがいたりね。

 

なんかいろいろひっくるめて「自由形」って感じがした。

っていうか、身体機能の縛りがあるぶん発想の幅が広がってる感じが、勝手な思い込みでみずから人生を袋小路へ追い込んでるサッコンのおのれに、すげえ示唆をくれてるような気すらした。

 

大げさ?

 

 

オリンピックにくらべて。

パラリンピックは選手の名前がよくわからない。

「注目選手として陸上競技の女子5000mには廣中璃梨佳ってひとがいます」

みたいな情報が、オリンピックほど周知されてない。

 

ので、日本人選手が出てきても。

そのひとがその種目・カテゴリーでどんくらいの位置づけなのかということがよくわからない。

 

 

あ、こっから表題につなげようとすると、どうしても説明くさくなっちゃうけど。

スポーツ観戦のおもしろさって、思い入れの濃さ?多さ?がすべてじゃん?

 

対戦型の競技なら、どっちかのチームに肩入れできればがぜんおもしろくなるし。

肩入れできる選手がいれば、そのひとに注目し、しぜん、そのチームを応援することになる。というのがおもしろくて。

 

それが、優勝候補とかむちゃくちゃかわいいとか、って要素があれば、よけい応援する度合いがつよまったり。

 

逆に言うと、いくらすきな競技だとしても。

ジャイアンツファンが日曜の昼下がりに、パリーグの楽天ロッテ戦なんかみやしないでしょみたいな。

 

 

そういう意味じゃ。

オリパラってのは国別対抗戦?だから。

日本人なら無条件で応援できる。

 

もんなんだが。

 

なんか、その。

金メダルをとりそうな日本人がゴール間際で競ってるとして。

しぜん日本人を応援しちゃうんだけど。

競ってる相手もがんばれっておもっちゃう。

 

ってのは、オリンピックではあんましないなってんで。

 

なんでパラリンピックだけ、そういう気分になるのかっていう重大なぶぶんはわからないままなんだが。

 

それが「運動会とおんなじだな」。

おもいましたとさ。

ってだけの話で。

 

 

ムスメっこが小中学生のころの運動会。

ムスメっこが出てる種目では当然、ムスメっこを応援すんだけど。

競ってる子とかも応援したくなっちゃうし。

 

まったく関係ない種目でも。

なんかみんながんばれっておもっちゃう。

 

ずば抜けて足の速い子とか、騎馬戦でつおい子ってのに目が向いちゃうのとおんなじように。

ぜんぜん知らない、ずば抜けて足の速くない子とか、転んじゃったけど諦めてない子とか、やたら元気だけいい子とか、引っ込み思案っぽいけどその子なりに運動会を楽しんる子とか。

にも、ものすごく目が向いちゃう。

 

 

オリンピックもパラリンピックも。

選手はみんな死ぬほどがんばってるはずだし、優劣の差もついちゃうんだけど。

 

「健常なじぶんが、障がいを持ってるひとをちょっと憐れみみたいな目線で見てる」

のかなって、最初ちょっとおもったんだけど。

それは違うでしょっておもったんだけど。

そういう自分は、やだなっておもったんだけど。

 

どうも、そういう問題じゃないとこで、なんかみんな応援しちゃってる。

すっかり見入って、熱狂しちゃってる。

 

パラリンピックでことさらみんながんばれっておもっちゃうのって。

いったい、なんなんだろう?

(結論が出ないぇ)

 

 

。。。

 

 

いらねえ情報的には。

車いすラグビーの池崎選手。

やな習性っつうか、「イケザキ」って訊くと。

どうしても「サンシャイン」つけたくなっちゃったり。

 

キャラ全然ちがうのに。

頭ん中で「イエーーーーーーイ!!!!」

ってキョライしちゃう。

 

空前絶後。