キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「年寄りの昔話する自分がほんと嫌いっ」

経験なんてものは、よしあしで。

 

「どんだけの高さを乗り越えてきたか」

「どんだけの角度の平面を眺めてきたか」

ってのは、たしかに確実にてめえの厚み深みとして蓄積される。

あるほうがいいに決まってる。

 

一般的に、年長者がうやまわれるのは。

たんじゅんに先に生まれただけじゃなく。

 

その、きっとじぶんよかずっと積んでる

経験の厚み深みに敬意を払われるからで。

 

 

かたや皮肉なことに。

その。いままで積んだ経験が。

 

衝撃的だったり楽しかったり。

じぶんにとってグロリアス的なものだったり。

あるいは、ときに感傷的だったりすればするほど。

 

とりわけ印象に深く深く残ってるもので。

えてして、そこに縛られたりもするわけで。

 

かえって足枷になったりもする。じゃん?

 

 

これは、ヒトサマの話を聞いたことがないからわかんないが。

 

「経験を活かせ!」ってターンと「経験なんて捨てちまえ!忘れちまえ!」ってターンが、てめえのなかで周期的に循環してて。

 

いまは、後者のターン。

「経験なんてポイポイ忘れたほうがいい!」

 

 

こういう「ターン」ってあって。

(ああまた、いらねえじぶん語りがはじまる。。。)

 

たとえば。

「つまり」を追求するターンと「そもそも」を追求するターンが定期的にループす。

 

「つまり」ターンは

いち早くものごとの肝をとらえ、

どんどん前に進もうぜってフェーズ。

 

「そもそも」ターンは

「つまり」ばっか追い求めてて、

このままじゃほんとうの本質がわからんまま、

上滑りな、軽く浅い感じで終わっちまう。

 

のを焦って。

いちいち原点から見直してみようぜってターン。

 

 

ブログでいうと。

 

「おもうぞんぶん、長々と吐き出したいぜ」

ってターンと。

「クールに簡潔にパッと切り上げないとな」

ってターンがあって。

 

いまは後者のはずなんだが。

もうすでに、クソ長い。

 

「ここまで言ってることってわかりる?」

わかりづれえでしょ? 具体的じゃなさすぎて。

このエントリーで何を言いたいのか、まったく見えねえぞ!

 

っていう、ディレンマ。

言行不一致ぇ。。。

 

 

。。。

 

 

前エントリーでほざいたやつ。

こういうのは典型的なやんねえフラグなんだけど。

熱情があるうちに、やっとく気になった。

わけで。

 

「年寄りの昔話する自分がほんと嫌いっ」

 

 

キクチは父親が32のときにできた子どもで。

父親は、当時住んでた川崎から。

川を越えて丘を上がったとこで生まれ育ってて。

 

じぶんが中高生になったころから、よく。

「二子玉川なんてね」

「むかしは本当にうらぶれた川岸の田舎でね」

「それが最近、高島屋ができてからなんかすっかり、おしゃれな街になっちゃったんだよなあ」

 

クルマでそこを通るたんびに父親が言ってて。

 

 

でも、チョット待ッテクサーイ?

父親が言う「最近」って、ぜんぜん最近じゃねえ!

(当時ですら)四半世紀以上前じゃねーか!

 

って、母親がツッコんだのを端緒に

みんなでクルマん中でゲラゲラ笑ってた。

 

 

いまのじぶんの年齢は。

当時の父親とだいたいおんなじである。

 

父ミキオの子として、32のときに生まれたヒロシ。

そしてヒロシが30のときに生まれたななちゃんは。

JK2年生。

 

 

こないだ、3月の終わり。

ムスメっこが高校2年になるってんで。

 

たまたま、リビングで2人きりになったとき。

「高2のあなたはどうしたい?」

的な話になって。

 

ついつい「高2ではこういうことをしといたほうがいい」

ってのを、キクチの経験を素にした財産や後悔を並び立てて話しとくいい機会だっておもったのを、あわててひっこめて、ムスメっこの話を聞くだけのターンにした。

 

 

ムスメっこは、DNA的にはじぶんの分身だけど。

平成のはじめに教室の片隅でノリ弁食ってたおれと、令和のはじめのいまを生きてるななちゃんは完全に別人格で。

 

そこで「べき論」をほざくのは、あっちの身になりゃうっとうしいだけだし。

おれとは時代がぜんぜん違うんだから、いまはいまの生き方、ムスメっこの楽しみ方があって、それをいかに楽しくするかのほうが大事で。

 

 

そもそも、クソ父親キクチがあわてて自分語りを引っ込めたのは。

「高校受験が希望に沿わなかったとき、『高校いってリベンジするわ』ってしずかーに言ってたムスメっこのリベンジに役立つこともあるかも」

的な文脈だったんだけど。

 

 

そんときもいまも。

(これは親としては超絶ハッピーなことなんだけど)たとえば「リベンジ」を「学力」ていうほんの一側面でとらえたとしても。

ムスメっこはクソ父親よか5段階ぐらい上にいるから釈迦に説法だし。

 

なにより、そういう勉強は最低限やるけど楽しいことをするほうがもっと楽しいですって感じで、ムスメっこなりにまいんちよろこんで学校に行ってて。なぜならば学校に行けばいいおともだちがいるからデース! みたいなことをものすごくエンジョイしてる感じなので。

 

老害、引っ込めといてよかった。

って話だな。セーッフ。

 

 

このエントリーで書こうとおもってたこととは。

まったく違う方向にいっちったなり。

 

 

どっからだぜ?

たぶん「でも、チョット待ッテクサーイ?」からだな。。。

チャーリー浜師匠!

 

(実はこのテーマっていっぱい切り取れる側面があるのよね)

(でもそれこそ、切り取られるハズの側面は)

(結果的に「やんねえフラグぇ」になるよね、たぶん)

 

 

。。。

 

もっとちゃんとしたことをほざくはずだったのに。

オチだけ考えてたとおりのやつを、さらしとく。

 

 

「年寄りの昔話する自分がほんと嫌いっ」

には、ぶんぶん首肯するんだが。

 

ついつい昔話しちゃったあと。

ぞんぶんに自己嫌悪におちいるんだが。

 

 

かたや「最近」とかいって

四半世紀以上前の話をつどくり返す、

ぜんぜん最近じゃねー父親の話みたいな。

 

まさに年寄りの昔話。

 

そういうの「聞かされる」のの。

「そこがあっていまがある」みたいな空気は

わりと積極的にすきなのよ。

 

始末におえない。