キクチぐらい鋼鉄の肉体(チョーかたい)になると、フィジカル面でかならず壁にぶち当たる。
たとえばこういう。
○筋トレしよう→基本姿勢がとれない→まずは柔軟からはじめろや!
○ヨガしよう→基本姿勢がとれない→まずは柔軟からはじめろや!
○基本走(動きづくり)に力を入れよう→基本姿勢がとれない→まずは柔軟からはじめろや!
○モテたい→クソほどモテない→まずは柔軟からはじめろや!
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たとえばアスリートヨガで、キクチと同程度の柔軟性をもつフジヤマさんとよく「最初のあぐらみたいなのがもうキツいっすもんね!」なあんて意気投合しちゃったりして。
あぐらみたいにして足裏を合わせ、骨盤を立てて背すじを伸ばして座っとく。
(というヨガの入口の玄関すら入ってなくね?みたいな段階で)
とりあえずあぐらかけないし、へっぴり腰になっちゃうし、そこから背すじを伸ばすなんてムリムリムリムリ。ってなる。
これはバランス感覚とか筋力の手前にある、柔軟性のもんだいじゃん。
絶対的な柔軟性不足というか、生活を営むうえでの最低限の柔軟性に達してないってことじゃないすか。
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なので、柔軟体操をわりとがんばってるんだが。
何ヶ月経っても、ビタ一文、成果が現れねえぇ。。。
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原因はたぶん、次の2つのうちどっちかか、どっちもか。
1)やり方が決定的に間違えてる
2)ぽてんしゃるの限界
いままでろくすっぽ柔軟体操に取り組んでこなかったキクチは、たぶん「ぽてんしゃるのまっくす」でもってこの世に生を受けてきてはいないので、(1)説が濃厚で。
でいて、何がおかしいのかわかんないまんま「やんないよりはマシ」ってんでこの数ヶ月、柔軟体操に取り組んできた。
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キクチがやってる柔軟体操ってのは、デスクワークのふと気づいたときに椅子に座ったまま両脚を伸ばして上体を30秒前屈させるという変哲もないもので。
がんばる/呼吸を止めない/反動つけない
以外はフリーダム。
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ランニングの練習方法のアプローチでケニア式ってあるじゃないすか。
「キロ3分でフルマラソンを走りたい」としたら、じぶんの走れるペースを徐々にあげてゆくのではなく、キロ3分で走れる距離を徐々に伸ばしてゆく的なやつ。
それを柔軟体操にも採用した。
「掌底がヒザより向こうにゆく」→「すねの3分の1ぐらいのとこにある古傷に届く」→「パンパカパーン!」的な目標を立てて。
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んで上記したように、わりとがんばってるのに成果がビタ一文出てる気がしないんだが「やんないよりはマシ」ってんで続けてはいて。
つい最近、ウェブで動画(柔軟そのものではない)をみていて気づいた。
「100年やっても上達するわけねえぇ!」
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たぶん、成果がビタ一文出ない原因はへっぴり腰。
現在の力量的に「両脚を伸ばす(して地面に座る)」ことすら不完全なのに、それをしようとするとおのずとへっぴり腰になるわけで。
一方、ここでいう「カラダが硬い」ってのはたぶん裏もものことを言ってて、裏ももをイワすには骨盤が立ってる状態で上体を根元から折り曲げるというか前方に倒れ込むことで成り立つってのがおそらく大前提にあって。
(説明がへたっぴいすぎてわかりづれえぇ)
(あまつさえ何の裏付けもないキクチの仮説ぇ)
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いま、やりたいのは「裏ももを伸ばす(柔軟性)を上げる」ことで、そのために「骨盤が立ってる、いっしょに前に倒れ込む」ことがマストなんだから。
それを満たすためには、ヒザを伸ばすひつようも、両脚いっぺんにやるひつようもない。
ってのをそのまま裏っ返すと、姿勢が満たせるていどまでヒザをゆるめていいし、片脚ずつやってもいい。のかもしれない。
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と気づいたら、なんか世紀の大発見したような気になれた。
惰性で意味ねーなとおもってたことにも意味があるような気がしてきたし、なんだかちょっとやる気も出てきた。
そんで、こういう考え方って汎用性あるな。
っていうか、思考とか視点・視野の持ちかたが知らず知らず柔軟性を失ってたらこええな。気をつけなきゃな。おもったおもいましたとさ。
柔軟体操の話をしてるときに喩えとしての柔軟性とかクソまぎらわしいな。おもったおもいましたとさ。
打倒フジヤマ!(あくまで柔軟性限定)
だいぶご無沙汰しておるな。元気してるかな?