キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「うすあじブログ」

ちょっと前にどなたかが、どなたかのブログを「うすあじブログ」っつってて。

 

言葉選びの的確さとセンスに嫉妬しつつ、悶絶しながらうなってしまった。

 *

 

当該ブログ。

たしかにうすいw

 

ほのかな風味がほのかすぎて、うっかり通りすぎてしまいそうだ。

 

 

ただ。

「うすあじ(薄味)」ってのは、けして味がないわけじゃないのね。

(ご本人はひょっとしたら、もっとギットギトにごじぶんの味を前面に押し出したいのかもしんないケド)

 

もしかしたら、「濃い味」をあえてほどよく薄めてるのかもしれない。

もしかしたら、「薄味」だけど塩分濃度は「濃い味」のものより高いのかもしれない。

調味料を買うお金がないだけかもしれない。

 

よくわかんないけどたぶん。

「ナチュラル風メイク」みたいなもので、「すっぴん見たり!」などと悦に入ってたら彼の術中にはまるだけで。

彼はテキトーにとって出ししたていで、下準備に5時間ぐらいかけてるに違いないんだ。

 

 

ってのが妄想にしろ真実にしろ、ポイントで。

風味はたしかに感じられるわけで。

 

冒頭のくり返しになっちゃうけど、そこを「うすあじ」って表現なすった感性に嫉妬して悶絶す。

 

 

「味」ってむつかしい。

 

出そうとおもって出るもんじゃないし、出そうとおもって出した濃いめの味が「キミ、そうじゃないんだよなあ」ってなったら悲劇だ。そういうの多いじゃん。

 

出すまいとおもってるにもかかわらず出ちゃうのが、むちゃくちゃいい風味だったりもするし。(皮肉にもそれを自覚したしゅんかん、おかしなことになっちゃうこともあるよね)

 

他者から「こういう味だよね」って認識されてる客観と、「じぶんはこうではなかろうか」っていう主観をちゃんと合致させられてるひとが意識して風味をコントロールできるとしたら、そうとう無敵だ。

 

あ、こういう言葉遊びみたいなしゃらくせえの、どうっでもいいな。

あ、「てめえはどうなんだ?」ってのは感無視しますね。

 

んなもん、わかんねえし、知るかよ。

 

 

ええっと、このエントリーで何を言おうとしてたんだっけ?

 

書き出したときそうとういいことおもいついてたんだが、それこそ「出そうとおもって出した濃いめの味が『キミ、そうじゃないんだよなあ』ってなったら悲劇」状態くせえジャストコレズバリぇ。。。

 

ナチュラル風メイク風ブーメランってするどいなっ。

 

 

。。。

 

 

さてと、。ここまでは下書きの塩漬けのコピペなんだが。

「オチは清書するときにうまくやれよ」ってほうりだして、オチ忘れちゃったんで。

よぶんなアップデートしてみる。

 

 

このエントリーで、「うすあじブログ」をキクチはポジティブな意味でもちいてたつもりで。(本来、こういう物言いってクソ野暮ったいんだけど文脈上しかたねえ)

 

でも、取り沙汰されたご本人が「おれのこと?」って気づきなすったとして(あきらかにこれはバレバレ説なので措いてと)、ご本人の受け取りかたはかならずしも、キクチのいわんとするところとは一致しないかもしれない。

 

「マジキクチおめえ、すっころす!」かもしんない。

 

そうだとしたら、ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイとしか言いようがない。

愛情と文章力と配慮の量が足りなかったでござる。

 

 

かたや、あるネタについて一般論として語るばあい。

 

書き手としてはブログ的におもしろくしようとおもって、あえてより刺激的な言葉遣いをすることもある。

それはなんつうか、「せっかくさらすんだからちょっとでも目に触れたい」「個にゲットオンしたい」的なちゃめっけを出るものではない。

 

あるじゃないすか。「ちょっとでも読まれたい」「それには身近なこととして受け取られたい」みたいなこと。

 

それが受容側としてセーフなのかアウトなのかはよくわからない。

なぜならターゲットはnだから。

 

 

かたや。

キクチはバカで脳みそが足りないから、そこらへんの配慮とか文章力が圧倒的に足りないこともあって。

 

「あって」っていうか、そんなののすくつ。

 

 

基本的に、真意をくみとってもらったうえで、おもしろおかしくできさえすりゃいいとおもってて。

 

ロンのモチ、「真意くみとれるよな?」ってエンターテインメントとして謎の上目線で投げてもいるし、それは受け手側にバトンをゆだねてるっていうか、ほうりっぱなしっていうか、ある意味信頼してるっていうか、そういうことで。

 

nに対して。

 

 

といいつつ。

 

ほんとうはそこまで考えてるはずなくって、「あくまでバカなキクチはこうおもってるってだけっす」っていう免罪符を掲げ、「あくまで一般論としてだからそこにいちいちアツくなるのは滑稽でしょ」って空気を垂れ流してる。つもり。

 

そこに寄りかかる。

顔がみえないnに対して。

 

 

キクチはドシロートのクソバカのシヌホドモテナイだから、「味は濃ければ濃いほどおいしいだろう」っておもっちゃうわけよ。

おれにとってもあなたにとっても。

 

 

ええっと、何を言おうとしてたんだっけ?(2回目?)

 

 

「うすあじ」って何だろう?

 

「ネタへの踏み込み」なのか「表現のしかた」なのか

はたまた、たんじゅんに文章量なのか。

 

 

じゃあ、逆に考えると、

だらだらネタに踏み込めば「濃い味」なのか?

「それっぽく表現をしときゃ」「濃い味」になるのか?

はたして「味を濃くすりゃそれでいい」のか?

「色は薄いけど塩分量は」?

 

ぜんぶ合ってるかもしんないケド、

ぜんぶ違ってるかもしんない。

 

 

「うすあじブログ」はそこらへんの機微を、考え直させてくれる。

極私的には人にやさしくあるってなんだろう、みたいなことをものすんごく再考した。

 

すっげえたぶんだけど、

じぶんにもおかしいところがあるかもしんなくって

相対する他者にも合点できるところは多々ある。

 

みたいなことを忘れちゃうと、実にもったいないんだよね。