こういう言い方はどうかとおもうが。
「グリコ森永事件」って
特にリアルタイムで知ってると
おなまえを聞くだけで、いわくいいがたい
高揚感を覚えたりするじゃないすか。
*
当時、小学生なヒロシ少年は
なんかちょっとワクワクしたわけですよ。
「ちょうせん状」がある種、痛快だったり。
犯人が「かい人21面相」っての名乗ってる
キャッチーさに!!!ってなったり。
「キツネ目の男」のモンタージュが
こわすぎて電気つけたまま寝たり。
マスコミがつけた「劇場型犯罪」って言葉に
よくわかんない新時代の到来を感じたり。
*
で、3日前か4日前、
ネットで『罪の声』って小説をみつけて。
ちょっと気になっちゃって。
ソッコーでダウンロードして読んでみた。
だって「グリコ森永」って聞いただけで
なんかちょっとざわっとするのに、
あまつさえ、こういうことなんだもん(↓)。
「これは、自分の声だ」
京都でテーラーを営む曽根俊也は、ある日父の遺品の中からカセットテープと黒革のノートを見つける。ノートには英文に混じって製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字。テープを再生すると、自分の幼いころの声が聞こえてくる。それは、31年前に発生して未解決のままの「ギン萬事件」で恐喝に使われた録音テープの音声とまったく同じものだった――。(講談社のウェブサイトより)
*
「『グリコ森永事件』って一体なんだったんだ?」
っていう疑問は、尽きない。
○犯人は誰なのか?
○世間を騒がしたかっただけなのか?
○金が欲しかったのか?
○おまわりなり企業に復讐をしたかったのか?
○はたまた、もっと深い闇があんのか??
などなど。
*
未解決事件だけに。
ほんとうのところはわからないし
だからこそ、もう35年も経ってるから
真相はたぶん永遠に謎なんだろうけど。
「新事実」が出てきたとしたら
たとえ、それが仮説にすぎないとしても
ちょっと、聞いてみたい。
ってのが、抑えきれない。
*
。。。
*
この小説は。
上記、出版社の紹介文にもあるように
「加害者でもあり被害者でもある人物」
を「中心に」物語られてゆく。
あ、実際にグリコ森永事件で。
身代金だか脅迫金?の指定電話に
3人の?子どもの声が使われてんのね。
「俊也」と、あと2人。
*
で。
興味をそそられたのは。
こういう事件モノのフィクションなり
ノンフィクションにありがちな
「真犯人はこいつだ!」
的な推理中心の展開じゃなくって。
「その脅迫テープに使われた
子どもたちはどうだったのよ?」
的な視点を中心に語られてる点。
*
じぶんがその子どもで、
一世を風靡した(日本語?)事件に
じぶんが知らず知らず片棒を担いでた
ってことを知ったとしたら。
その後の人生にものすっごく影響するだろうし。
じぶんが犯人で。
わが子に事件の片棒を担がせるとか
親として、どんな心情なんだろう。
おもうわけで。
どっちも影しか落とさないじゃないすか。
特に後者って。
人の親になると「そんなん、できる?」
とか、リアルに想像しちゃうし。
*
「家にあったテープが事件の脅迫のやつで」
「それがじぶんの声じゃねーか!」
って、いきなり渦の中に放り込まれた俊也が。
「ひょっとして
何の変哲もねえうちの親父が犯人なの?」
って真相を知りたくなって。
事件を探る。
のと並行して。
特別企画としてこの事件を取材してた
新聞記者の阿久津とのパラレルワールド?
があったりして。
おもわず、一気読みしてしまった。
まさに、悲喜こもごも。
*
あ、ひとつ本筋とはあんま関係ねえ
いらねえネタバレしとくと。
犯行グループの犯人それぞれの
人となりとかも語られたりすんだけど。
「キツネ目の男」はけっきょく
誰だったのか、わからない。
って余地の残し方はちょっといいなとおもた。
*
。。。
*
で、ですね。
ここからが本題。
読んでおもったことをほざいとく。
ここまででじゅうぶん長えのに、やっとく。
*
読んでておもったのが。
(ネガティブなことになっちゃうんだが)
「場面がわかりづれえよ」で。
アマゾンのレビューをみても。
場面が切り替わったときに
それがどこなのかよくわかんない
的なのがけっこうあった。
それが表題「どの視点から見てるのか」で。
*
アマゾンのレビューにあったとおり。
物語とは関係ねえ状況描写がやや冗長で。
場面が切り替わった直後。
それが俊也の話なのか、阿久津の話なのか
はたまたその他の話なのか
ってのが。
たとえば、誰かに会いにいくとき。
その道のりのどうでもいい風景とか
そういうのが、延々と語られてて。
「おめえ作家のそういう
いらねえ文学表現アッピール的なの、
マジいらねえから」
おもったりもしたんだが、措いて。
でもそれは視点が、
たぶん意図的になんだろうけど
バラバラだったから
よけいわかりづらかったんだ、と。
*
たとえば、ブログだとしたら。
主語は「おれ」じゃないすか。
じぶんからの視点。私小説的な。
かたやたとえば、主語は「著者」。
物語を、天の声視点で語る。
小説ってだいたい、どっちかなのね。
私小説として、主人公目線か
天の声として、俯瞰して物語を語るか。
*
『罪の声』は、そこがグラグラで。
あるときは著者(俯瞰)だったり、
あるときは俊也目線だったり、
あるときは阿久津目線だったり、
あるときはまた違うひと目線だったり。
*
俊也視点なら
「ここは俊也の話だな」ってわかるけど。
たとえば。
「俊也と阿久津が行動をともにする」
って場面で、それがどうも一人称なんだが
どっちだかわかんない。
冗長な状況描写うんぬんよか
そこで、場面の変わり目で
話にすっと入っていけない。
みたいなことがあって。
*
ウェブを徘徊していたら、この作品。
担当編集が3人もいて、それぞれ
独自にダメ出しをしてくるとかいうし。
その視点のブレって、たぶん
なんらかの狙いなんだろうけど。
(その有意な意味は、あるとしても
よくわからなくて、ただ戸惑っただけ)
*
あ、こう言うと。
なんかディスってる風になっちゃったが。
そんなんじゃなくって。
「そういうもんだ(視点グラグラ)」
ってわかったら。
「じゃあ、切り替わったいまの場面は
いったい誰目線で語られるんだぜ?」
って考えることも、楽しめるようになった。
ので、全般的に楽しかったでーす
(メダパニぇ。。。)
*
火曜夜にせしめて。
「これ、おもしろいな」おもったので。
朝と夕に、隙間時間を最大活用したゆえ
UC(お百度)は今週まさかのゼロだし。
400ページぐらいある長編。
いつまでもひきずるのもナンなので
きょう土曜にケリをつけちゃおうって、
夕方まで籠城。走らず。
*
そんなわけで。
さてと、読み終わったことだし、
明日からは心おきなくジョグできるぜっ(棒)