「じぶんはいくつぐらいまで生きるんだろう」
何の脈絡もなく、ぼーっと考えてて。
あるじゃないすか。
織田信長(1534-1582)
みたいなやつ。
*
思考回路としては、
これ(↓)に近いのかもしれない。
後半の平成最後、昭和最後的な。
www.kikuchiroshi.com
なんつうかこういうの
「令和フェスティバルYeah!」って感じだ。
だからなんだってんじゃない。
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「いくつまで生きるんだろう」
この妄想をくりひろげるためのフックに
生活習慣だの家系だのっていう
そんなまじめな要因は、求めてなくて。
しょせん、妄想。
暇つぶしだもん。
*
で。
ふとキョライしたのが。
「じぶんよか100年前、
1874年生まれのひとはどうよ?」
世紀のまたぎ方感とか、
なんとなくシンパシーがもてそう。
わかりづれえかな、この感覚。
*
参考にするにあたって。
○1919年以前に没しちゃってるひとは除外。
○すげえ長寿なひとも除外。
○できれば名前ていどは知ってるひとだと、感情移入でける。
っていうふんわりした基準を設けて。
2人、浮かんだ。
高浜虚子(1874-1959)
グリエルモ・マルコーニ(1874-1937)
*
高浜虚子。
正岡子規の舎弟みたいなひと?
(おれのまっくす知識『坂の上の雲』ぇ)
「去年今年貫く棒の如きもの」
って代表作、かっけえ。
「きょし」ってペンネームは
本名が「きよし」だから。
っていうあたりのセンスも、なんかいい。
難を挙げるとすれば、85歳って長生きだ。
あと40年も生きるじぶんは、
まったく想像できない。
妄想にも、ある種のリアリティがひつようじゃん。
*
グリエルモ・マルコーニ。
ja.wikipedia.org
発明家。
「無線通信の発展に貢献したとして
ノーベル物理学賞を受賞した」
とウィキペディアにはある。
キクチとかけ離れすぎてるw
*
「事物のフォークロア」っていう
寺山修司の詩が大すきで。
どんな鳥だって
想像力より高く飛ぶことはできない
だろう
だの。
書くことは速度でしかなかった
追い抜かれたものだけが紙の上に存在した
だの、いちいちかっけえ。
天才か!
*
そのなかに
一八九五年六月のある晴れた日に
二十一才の学生グリエルモ・マルコニが
父親の別荘の庭ではじめて送信した
無線のモールス信号が
たった今 とどいた
っていう一節があって。
それでマルコーニのことを知って。
いまだに、それでしか知らないw
*
ただ、1937年没、享年63
って、こんな言い方はアレだが
すげえなんとなく「ちょうどいい」し。
あまつさえ、
「1874年4月25日生まれ」
って、キクチと1日違いじゃねーか。
ぐぐぐっと、おれな感じがしてきたぜ。
*
。。。
*
1937年の100年後、
2037年ってえと、あと18年。
令和19年。
18年後の世界なんて
リアルな想像はとてもできないケド
リアルな妄想ならできそうな気がする。
18年あれば、
やりたいことも2つか3つできるだろうし。
住宅ローンも返し終わってるし。
で、いて、たぶんまだ。
「人間は全身タイツ着た未来人」
みたくはなってないだろうし、
「クルマが透明なチューブの道路を走る」
なあんてことにも、なってないだろう。
そういう、おてごろな未来。
*
なお、グリエルモ・マルコーニと
マルコリーニは、たぶん絶対、無関係だよな。