きのう夜。
駅からおうちへ河川敷をチャリを駆ってて。
雨と暗闇とジョグの疲労のマリアージュ
だかなんだか知らんが、キョライした。
「川の向こう岸に渡った世界が
昭和63年だったらメルヘンだな」
*
向こう岸は、川崎市。
中1の夏から高3の夏まで住んでた
川沿いのマンションも、よく見える。
で、いい齢してこんなことおもっちった。
「橋を渡って右岸(川崎側)にいったら
そこは30年前、昭和63年の世界で」
「逆に、左岸(狛江側)に渡ってきたら
30年後、平成30年の世界」
だったら、なんだかメルヘンだなあ、と。
*
昭和63年・中2のキクチに出くわしたら
平成30年・44歳のキクチは
どういう言葉をかけるんだろう?
「高校でも陸上つづけといたほうがいいぜ?」
「非モテは今はじまったわけじゃねえ。
44でもまったくモテてないから安心しろ」
。。。
うーむ、なんかもっと、コウ。
言うべき大切なことがあるような気もするが
おもいつかねえ。
えてして、大切なことって
一通りが済んだわりと直後に、
超絶ナイスアイデアが浮かぶもんじゃないすか。
14歳・中2のころのじぶんは
どういうことにおもい悩んでたんだっけ?
*
いっぽう。
昭和63年・中2のキクチは、
平成30年・44歳のキクチを目のあたりにして
何をおもうんだろう?
「21世紀なのに全身タイツじゃねーのかよ!?」
「なんだその、手に持った発信機みたい板?」
あるいは
「マラソンで3時間すら切れてねえとかクソだせえ」
はたまた
「は、禿げてないぞ! ナイスおれ!」
「結婚はしてんのか?できてんのか?」
「っていうか、○○ちゃんとはうまくいくんだろーか?
訊いてみようかな。どうしようかな」
*
おもいかえしてみますれば。
1988年、昭和最後の夏、
おれは中2で。
2018年、平成最後の夏、
ムスメっこが中2だ。
だからどうだってんじゃないが
なにかしらの奇妙な符合感はあるし。
昭和からみれば、すげえ未来感
かたや平成からみれば、あっという間感
も、どこかしら、ある。
*
大正最後の夏は。。。
って、テキトーに書いてていま気づいた。
おじいは明治45(1912)年生まれだから
大正最後の夏(1926)は中2だな。
当時は学制が違うにしろ。
どうでもいいが、これも奇妙な符合だ。
*
ちなみに。
東京オリンピックのときおれの母は15歳で
東京オリンピックのときムスメっこは15歳。
ってのもまたまた、奇妙な符合だが
どうでもいいばかりか、
話がぶれまくるので、措く。
いらねえ情報的には。
とりあえず、wktkして。
母親にメールしてみた。
*
しかし。
(超絶妄想ベースで)
「昭和と平成」は登戸の橋を渡ったら
タイムトラベルできるのはわかったが。
「大正と、昭和や平成」
「東京オリンピックと東京オリンピック」は
どの橋を渡ったら、トラベルできんだろう?
天竜川とか?
ザ・どうっでもいいな。
*
って、書いてて。
「いまの登戸の橋って(たしか)
20年くらい前に架けかえたから
どうやっても向こう岸には渡りきれなくね?
14歳と44歳は邂逅できなくね?」
という世紀の大発見をしたものの。
出発点がメルヘンなんだから
この大発見が陽の目をみることはないのだ。
のだ。
ポエム。
こういうこと書いちゃうのって
「お盆が近い」のと関係あんのかな?
まさに、どうっでもいいな。