キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

最期のしゅんかん(タキシタヒストリーその7)

おなまえがわかるだけで、親近感みたいなものがグッと増す的には。

今回、祖母方の曽祖父母のなまえも。

伯母と話せたことで、判明した。

 

 

ひいじいちゃんは「なおさく」っていうらしい。

石塚直作。

ひいばあちゃんは「きち」。

石塚きち。

 

いずれもキクチが生まれるずっと前に亡くなってるので。

遠い祖先として、認識の埒外にあったんだが。

 

知れば知ったで、なんとなく地続きっていうか連綿みたいなこと考える。

 

 

祖母の実家は直作さんの代で和田って集落に越してきて。

ファーマーをしてたんだが。

 

(あ、やべ。伯母の話は貴重なのでメモとって訊いてたんだが)

(このころにはすっかり楽しくなってきて)

(キクチ一人で勝手にぐいぐい飲み出しっちゃってて)

(メモが途切れておる。。。)

 

直作さんは、なんだったけかなあ?

糸の撚り方だったか、地形の識別の仕方だっただか、

キノコにすげえ詳しいだっただか。

 

ともかく、何かの名人で。

近所のリーダー的な、みんなに頼られる人だったそうな。

 

 

直作さんの最期。

 

母のきょうだいの長男が。

(母のきょうだいは男女女男女で)

(今回話してくれた伯母は長女、2番目)

祖母の実家に曽祖父をお見舞いに行って、話もして。

 

「じゃ、そろそろバスの時間だから帰るわ」

「おじいちゃん、また来るからね」

寝ちゃった曽祖父に告げて。

別室にいた大伯父大祖母にあいさつして。

 

家の前のバス停で待ってたら。

大祖母が血相変えて飛んできて。

 

「おじいさ、亡くなってる!」と。

 

 

そういうふうに逝った曽祖父って、ある意味理想的な人生の仕舞い方だし。

そういう、人の最期の瞬間に立ち会えた伯父って、まあ、偶然のバッティングみたいな出来事ではあるにせよ、ある意味すげえ幸せなことだよな。

 

おもった。

おもいましたとさ。

 

 

ただ、やっぱりキクチはまがぬけてるから。

それが昭和何年の出来事なのか。

よしんば、そんとき伯父が。

 

まだ中高生のときであったのか、もう少し長じたときのことであったのかすら。

メモってねえとか、なんなんだろうなw

ソコ、わりと重要じゃん。

 

 

キクチは人の臨終に立ち会えたことはないんだが。

にょうぼうは、義母の最期の瞬間にたまたま病院にいた。

 

で、どうしても詳しくは話してくれないんだけど。

 

たとえばきょうび、病院のベッドで、その瞬間のある程度直前から。

もう昏睡してたりなんだりで。

ある種、心拍やら呼吸やらの数値で境いめが決まる。

的なことだとおもってたらば。

 

「最期の瞬間って、けっこう荘厳だった」言う。

(それ以上はやっぱり、何がどう荘厳なのかは言ってくれない)

 

まあ、じぶんのソノ瞬間に。

「おお、こういうことか!」っておもえばいいか!

 

ソノ瞬間は。

にょうぼうとかムスメっことか、

みんなに盛大に見送られたい気もする反面。

誰にも見られず、ひっそりやりたい気もする。

 

その場になってみないと、わかんねえ。