キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ボクシングのPFPってなんじゃらほい?(つづき)

ボクシングのPFPでこのたび。

井上尚弥が1位になったらしい。

まっこと、すげえ。

 

PFPってのは。

階級(体重別)で細分化され。

あまつさえメジャーな4団体が乱立してるボクシング界において。

 

「もしみんなおんなじ体重だったら最強は誰か」

というランキング。

辞書的に言えば。

 

ただ、キクチはよくわからないので。

たんじゅんに「PFPってなんだろう?」を吐き出してみる。

 

 

そもそも論をほざくと。

厳密に体重別で分かれてるものに。

「この階級よりこっちの階級のほうがすごい」

みたいなことは成り立たないわけじゃないすか。

 

そりゃ、たんじゅんに戦えば

体重が一番重いヘビー級が絶対に勝つことはわかりきってる。

 

でも、軽量級には軽量級のおもしろさがあって。

中量級にはまた別の中量級のおもしろさがあって。

重量級もまた重量級のおもしろさがある。

 

ちょっと喩えがおかしいかもしんないケド。

女子マラソンで2時間19分でゴールして。

「ちょっ、男子なら2時間10分よゆうで切るのに、遅え!だっせえ!」

なんて、誰もおもわないわけで。

 

(むしろ、男子の2時間10分より女子の2時間19分のほうが印象的に「うおお!すげえ!」ってなるんだが)

(ここで言いたいのは、そういう性差とかマジクソくだらないことじゃなく)

(「それぞれフラットな視点で別ものとして見てる」)

(みたいなことで)

 

(そこらへんがうまく伝わらないと、何も伝わらないような気がするな)

(まあいいや)

 

 

そこらへんは、同じ体重別な柔道とおんなじで。

基本的にいくら軽量級の古賀稔彦とか野村忠宏がすごいっつっても。

ガチで組み合ったら100k超級とか無差別級の人には敵うわけがなくって。

 

そんくらい、体格の違いってのは決定的で。

 

柔道でいえば、そんなかでむかし。

無差別級でおこなわれる全日本選手権で。

古賀稔彦が決勝戦まで行ったってのは、ほんとうにものすごいことなんだが。

たぶん、この話の流れとは関係ないので措く。

 

言いたいのは「古賀マジすげえな!!!」ってことだけ。

 

 

そんなんぐあいで。

体重別に階級が分かれている競技においてふつう、アップセットはない。

前エントリーでほざいた、長谷川穂積が階級上げたらパンチがうんぬんかんぬん的な。

そんくらい、繊細な違いがある。

 

つよいよわいじゃなく、個体による適性体重はどこにあるかって話。

 

 

井上尚弥が今回、バンタムっていう軽量級にもかかわらずPFPのトップになったってのはものすんげえ快挙なんだけど。

「じゃあPFPってなんだろう?」に戻る。

キクチの妄想。

 

 

ちょっと説明くさいことを言うと。

(きょうは説明くささカーニバルじゃんね)

 

トップ層の競技者人口比率。

(トップ層=ボクシングをリードする欧米でいちばん手厚い層)

のボリュームゾーンはたぶん、中量級とされているライト級からミドル級で。

そこに、黒人の信じらんねえ身体能力お化けみたいなひとがひしめいてるわけね。

 

 

かたや、ごく大雑把にいうと。

軽量級=スピードとテクニック。

重量級=パワーで。

 

中量級ってのは、その両方を兼ね備えてて。

つまり、スピードとテクニックがありながら。

一発でKOできるぐらいのパンチもあるっていう

ある意味での、いいとこ取りなわけなので。

 

 

だとするならば。

 

たとえば、井上尚弥のちょっと前に

村田諒太と戦ったミドル級の超絶レジェンド・ゴロフキン。

(上記、密度の濃い中量級の身体能力お化けをシメてるような存在)

 

と、いまのヘビー級のチャンピオン。

たとえば、オレクサンドル・ウシクっていう

WBO、WBA、IBCの統一チャンピオンが

もしおんなじ条件で戦ったら、どうなるの?

 

みたいなことを妄想するのは楽しいじゃん?

みたいなやつ。

 

それを大まじめに?妄想するのがPFP。

 

 

で、ですね。

「PFP1位」って、なんなの?

どういう価値があるの?

 

ってなるわけです。

(前エントリーの終わりに、やっと戻った。)

(そして、ここからがやっと、やっと本題)

 

 

現実的に。

ヘビー級のウシクと中量級のゴロフキンが戦うことはたぶんないわけでしょ。

ましてや、軽量級の井上尚弥とウシクが戦うことは絶対にないわけで。

 

つまり、「企画」なわけで。

あまつさえ『リング』っていう

PFPが語られるとき「アメリカのボクシング専門誌でそう評価された」言うとおり。

 

(このたとえがそぐうかどうかはともかく)

(雑誌の一企画という意味では)

「雑誌『anan』の抱かれたくない男ナンバーワンは出川哲朗」

と、いったい何が違うの? と。

 

(くれぐれもだからといって)

(このたびの井上尚弥のPFP1位を貶したいって意味ではない)

 

 

雑誌の一企画だよね?

妄想だよね?

 

『リング』誌のボクシング界における権威がどれほどかは知らんが、なんつうか、雑誌の一企画という枠を大幅に超えちゃってるようなイメージがある。

井上尚弥本人がここまで喜んでるように(↓)。

 

これは少なくとも、「モンドコレクション最高金賞」とはもろもろ明らかに違うわけじゃん?

 

 

。。。

 

 

GWに『江川と西本』っていう

ノンフィクションを土台としたマンガを読み直した。

 

1981年。

ジャイアンツの江川卓は投手5冠を成し遂げた。

最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、最多完投。

主要タイトル総なめ。

 

20勝をあげ、ジャイアンツは日本一になった。

まさに大黒柱である。

 

 

しかしして。

その年、最高のピッチャーに贈られる沢村栄治賞。

に、江川は選ばれなかった。

 

理由は「人格が沢村賞には値しないから」というワケワカメな後付け。

 

要するに「空白の1日」っていう入団の経緯とか、その前後の江川のマスコミ対応とかで決まっちゃってたんだよね。

投票に際して「どうせ江川が選ばれるんだろうから、オレ、江川嫌いだし、自分(だけ)は西本に入れちゃってもいいだろ?」っていう記者がたまたま複数いて、結果的に西本になっちゃった。ということが、まことしやかに言われているケド。

あながち、あながちで。

 

 

それっていったいどうなの? ってなって。

 

沢村賞の選考は、これをきっかけに翌年から。

記者投票から、受賞歴のある元選手からなる選考委員の合意で選出するよう変更されたんだよね。

 

ってことが、キョライした。

 

 

あえて偽悪的にいうけど、江川時代の沢村賞選出とPFP選出ってすんげえ広い目でみると何がどう違うのかしら?