じぶんが生業にしてるのは
「生きるために不可欠ではないこと」で。
「なくても生きるに困らないこと」で。
いまみたいなときなんか、とくに
ちょっと引け目を感じたりする。
こともある。
*
だって、あれだぜ。
「生きるために不可欠な」飯屋でさえ
とんでもねえ苦境に立たされてるわけじゃん。
とか。
*
「生きるために不可欠ではないもの」
を生業にしていると。
困るのは
「いつでも切れる/真っ先に切られる」
ってことで。
なんつうか、ひとびとの
余熱っていうか暮らしのゆとりで生きとる。
*
ただ、逆にそこにある種、
つまんねえ誇りを持ってたりもして。
*
「不可欠ではないもの」の大切さ
ってもんを、痛感してるわけじゃないすか。
きょうび。
あ、ぜんぜん痛感してねえわ
とかなら、別にいいっす。
*
たとえば、志村けんがいなくなって。
じぶんはいかに「お笑い」でもって
人生を豊かにしてもらってたかを思い知り。
センバツ高校野球の中止や
プロ野球の開幕延期で
季節を感じるみたいなことを除かれ。
マラソン大会が中止になることによって
目標が抜け落ちた感満載になるひとがいて。
「ただ走る」ことすら憚られるご時勢に
恐ろしく閉塞感をおぼえたりして。
*
上記はいずれも
「生きるために不可欠ではないもの」
のはずなのに。
「食って、出して、寝る」
さえしてれば、生き永らえられる
なんてことは、けしてなくって。
おれたちゃうんこ製造機じゃねえんだぜ
体中を赤い血が駆けめぐってるんだぜ
に、気づくわけで。
*
ちょっと話が飛躍しちゃうけど。
ムスメっこ(とか子どもたち)を見てて
いたたまれない気持ちになるのは
「学校に行けない」ってことで。
あ、あのう。
「授業が遅れる」とかは、どうでもいいの。
学校って。
そこで過ごすすべてのパッケージが、
かけがえのない時間なわけじゃないすか。
(と、時計の短針の動きを見ながら
「あーあ、早く時間過ぎねえかなあ」
と独りぼっちでノリ弁食ってたやつが
空想だけでほざくんでありますw)
それらすべてを「待て」されてるわけで。
46歳のじじいじゃねえんだよ?
7歳とか15歳とか21歳の数ヶ月間だよ?
一瞬一瞬、吸収するものが
いちいち貴重な時期の数ヶ月間がだよ。
って考えると、悪いことしたなあおもう。
おれのせいじゃないかもしんないケド。
*
できることなら、キクチのノリ弁実業
(ノリ実)の超絶陰キャ3年間なんか
別にいらないから替えてあげてもいい。
ぐらい。
*
あるいは、たとえば。
いままさにラブラブなカップル
ってのも少なからずいるはずじゃないすか。
彼ら彼女らにとって
「彼氏/彼女に会う」ことはたぶん
46歳の非モテクソブサジジイが考える万倍は
必要不可欠なはずで。
いま、この瞬間がいちいち煌めいてる
的な。
それが物理的に会えないっつったら
何かもうたまらなく、夜陰にまぎれて
「逢い引き」ぐらいしたくなっちゃうだろうし。
「その後ろめたさで燃えるぜ!」とかね。
それって、LINEとかビデオ電話では
補完しきれないことじゃないすか。
むしろLINEとかビデオ電話なんか
油を注いでるようなもので。
募っちゃって募ってちゃってしようがねえ
みたいなディレンマを強いるのは
正しいかもしんないけど正常じゃねえよな。
って、ゆうべにょうぼうに話したら
おもくそシカトされたでござるw
*
。。。
*
生きるために不可欠ではないこと
を糧にして生きてると、ごくたまに。
じゃあこんなおれごときが
どうやったら人の役に立てるか
役立ってみたいなあって
ガラにもなく考えるときがあって。
だからといって。
作物を育てたり、インフラをつくったり
荷物を運んだり、掃除をしたりとかじゃなく。
あくまでてめえの領分で
何をしたらいいんだろうって
だいたい何もおもいつかないw
だってもともとが
なくても誰も困らないことだもの。
*
あ、ヤベ。
書こうとおもってたことから
どんどんずれてってる。
「何もおもいつかないw」
じゃ、オチねえし。
おもいついた!
(そしてそれがとても小せえ)
的なところにおかしみがあるはずなのに。
そこにたどりつかないまま
つづきは明日かあさってかまたそのうち。
やんねえフラグぇ。。。