キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

不可欠ではないもの、みたいなこと

じぶんが生業にしてるのは
「生きるために不可欠ではないこと」で。
「なくても生きるに困らないこと」で。

いまみたいなときなんか、とくに
ちょっと引け目を感じたりする。

こともある。

だって、あれだぜ。
「生きるために不可欠な」飯屋でさえ
とんでもねえ苦境に立たされてるわけじゃん。

とか。

「生きるために不可欠ではないもの」
を生業にしていると。

困るのは
「いつでも切れる/真っ先に切られる」
ってことで。

なんつうか、ひとびとの
余熱っていうか暮らしのゆとりで生きとる。

ただ、逆にそこにある種、
つまんねえ誇りを持ってたりもして。

「不可欠ではないもの」の大切さ
ってもんを、痛感してるわけじゃないすか。
きょうび。

あ、ぜんぜん痛感してねえわ
とかなら、別にいいっす。

たとえば、志村けんがいなくなって。
じぶんはいかに「お笑い」でもって
人生を豊かにしてもらってたかを思い知り。

センバツ高校野球の中止や
プロ野球の開幕延期で
季節を感じるみたいなことを除かれ。

マラソン大会が中止になることによって
目標が抜け落ちた感満載になるひとがいて。

「ただ走る」ことすら憚られるご時勢に
恐ろしく閉塞感をおぼえたりして。

上記はいずれも
「生きるために不可欠ではないもの」
のはずなのに。

「食って、出して、寝る」
さえしてれば、生き永らえられる
なんてことは、けしてなくって。

おれたちゃうんこ製造機じゃねえんだぜ
体中を赤い血が駆けめぐってるんだぜ
に、気づくわけで。

ちょっと話が飛躍しちゃうけど。

ムスメっこ(とか子どもたち)を見てて
いたたまれない気持ちになるのは
「学校に行けない」ってことで。

あ、あのう。
「授業が遅れる」とかは、どうでもいいの。

学校って。
そこで過ごすすべてのパッケージが、
かけがえのない時間なわけじゃないすか。

(と、時計の短針の動きを見ながら
「あーあ、早く時間過ぎねえかなあ」
と独りぼっちでノリ弁食ってたやつが
空想だけでほざくんでありますw)

それらすべてを「待て」されてるわけで。

46歳のじじいじゃねえんだよ?
7歳とか15歳とか21歳の数ヶ月間だよ?
一瞬一瞬、吸収するものが
いちいち貴重な時期の数ヶ月間がだよ。

って考えると、悪いことしたなあおもう。
おれのせいじゃないかもしんないケド。

できることなら、キクチのノリ弁実業
(ノリ実)の超絶陰キャ3年間なんか
別にいらないから替えてあげてもいい。

ぐらい。

あるいは、たとえば。
いままさにラブラブなカップル
ってのも少なからずいるはずじゃないすか。

彼ら彼女らにとって
「彼氏/彼女に会う」ことはたぶん
46歳の非モテクソブサジジイが考える万倍は
必要不可欠なはずで。

いま、この瞬間がいちいち煌めいてる
的な。

それが物理的に会えないっつったら
何かもうたまらなく、夜陰にまぎれて
「逢い引き」ぐらいしたくなっちゃうだろうし。

「その後ろめたさで燃えるぜ!」とかね。

それって、LINEとかビデオ電話では
補完しきれないことじゃないすか。
むしろLINEとかビデオ電話なんか
油を注いでるようなもので。

募っちゃって募ってちゃってしようがねえ
みたいなディレンマを強いるのは
正しいかもしんないけど正常じゃねえよな。

って、ゆうべにょうぼうに話したら
おもくそシカトされたでござるw

。。。

生きるために不可欠ではないこと
を糧にして生きてると、ごくたまに。

じゃあこんなおれごときが
どうやったら人の役に立てるか
役立ってみたいなあって
ガラにもなく考えるときがあって。

だからといって。
作物を育てたり、インフラをつくったり
荷物を運んだり、掃除をしたりとかじゃなく。

あくまでてめえの領分で
何をしたらいいんだろうって
だいたい何もおもいつかないw

だってもともとが
なくても誰も困らないことだもの。

あ、ヤベ。

書こうとおもってたことから
どんどんずれてってる。

「何もおもいつかないw」
じゃ、オチねえし。

おもいついた!
(そしてそれがとても小せえ)
的なところにおかしみがあるはずなのに。

そこにたどりつかないまま
つづきは明日かあさってかまたそのうち。

やんねえフラグぇ。。。