キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「おみそしるブログ」とは?

「二日酔いになるほど飲む意味がわからない」
同居してる母親は、ことあるごとに言う。

ことあるごと
=むかし、父親がよく二日酔いの朝を迎えてた
=きょうび、キクチがしばしば二日酔い

母親は70年間
「おさけを飲む」ことが
生活習慣にまったく乗ってないので
まず、まいにちおさけを飲む
という行動パッターンが理解できない
んだそうで。

あまつさえ。

「おさけを飲んでいる時間が無駄だし」
「酔っぱらったり二日酔いになると」
「気持ち悪くなったりする」
ということに、
「わざわざお金を払ってまで」

というメカニズムが
不可解で仕方がないんだそうだ。

「飛行機がふつうに飛んでる」
という現実はたしかにあるし
それをチョーあたまいいひとたちが
なんたら力学やらなんたら工学やらを駆使し
ふつうに実現してるが。

「鉄の塊が宙を浮く」ことを
じぶんレベルではどうにも理解できない。
不可解でしようがない。

みたいなことなんだろう。

たぶん、ぜんっぜん違うなw

あと、全人類が母親のような考えだったら
効率も生産性も計画性も
きわめて高い世界線になるんだろうが、

そんな世界線、クソつまんなくね?
と、おもわなくもないが
どうっでもいいから、措く。

いずれにせよ。

ビバ、非効率で生産性の低い
計画性のへったくれもない、
翌朝に気持ち悪すぎて
「もう二度とおさけ飲まねえ」おもいつつ
でも、日が暮れたらおさけを迎えちゃう
いまの荒みきった世界線!

そんなこんなできのう、ウタゲをカマした。

駅前の商店街の奥のほう。
ぞんぶんにいかがわしいお店群に気圧され
そのぞんぶんにいかがわしいお店群を抜けた
「おいおい、どこに連れてかれんだよ」
ってとこにある、居酒屋で。

80円の中生を連ねた。

そりゃ、80円っていわれりゃ連ねるよね。

ひとり、お仕事の定時の関係で
遅れてらっさるとあらかじめ知ってた方
が、現れたころには記憶はもうないので。

詳細を知りたくば、
これを読むがよかろう(↓)。

www.all-out-running.com

「4人のランナーと1人のおじさん」
って、なんだぜwww

で、上記リンクに書かれてあった
コレはかろうじて、おぼえておる。

えいさんは、
「僕も『お味噌汁ブログ』ですよ!」
と謎のアピールをしていらっしゃった。

「おみそしるブログ」って言葉の
元の元はたぶんコレで。

www.kikuchiroshi.com

そんなんようなことをガンプよしおさん
「おみそしるブログ」
って名づけたのがはじまりだとおもう。

(そういえば、ガンプさん。
最近、キクチと飲んでくれねえな。
飲んでくれねえかな。とかはさて措く)

んで、たぶん。

キクチが「おみそしるブログ的なこと」
についてほざいたときと。

いま、もちいられてたり
えいさんがおっさる
「おみそしるブログ」ってのは
たぶんもう、意味合いがぜんぜん変化してて。

伊集院光が言った当初の意味と
いま世間で言われてる意味は
もう、ぜんぜん変わっちゃってる
「中2病」の変遷と似てて。

言葉が一人歩きをはじめて
もう独立した存在になってる。

っていうと、なんか大それてるケド。
そんなんような感じで。

それに対して物申したいとか
異論を唱えたいとか。

そんな気持ちはさらさらなくって
「おみそしるブログ」って遣ってくれる
という事象じたいが
(最初にそんなんをほざいた当人としては)
喜ばしくしかないことだし。

えいさんが。
「キクチなんかのブログを読んでくだすってる
かもしれない」ってことと、それ以上に。

「ガンプさんのブログを読んでくだすってる」
ってことが、なんかうれしい。

(あと、いらねえ情報的には
えいさんが「ぼく、おみそしるブログっすよ」
ドヤ顔をカマしてアッピールしてくださるさま
ってのが、キクチはとてもうれしかった)

で、えいさんが自称してなすった
「おみそしるブログ」ってのは

「わりと淡白で客観的な練習日誌」
的な意味合いでおっさってるとおもうんだけど。

「おみそしる」の
元の意味するところをたどってみると
全力さんがおっさってるとおり
えいさんは、それではないような気がする。

そもそも「練習日誌ブログ」って。
それが「わりと淡白で客観的」だとしても
内容がいろんなことを雄弁に物語ってるわけで。

ブログの文字数とか行数の多寡って
いったいなんなんだろね?

と、ついついいらねえ言葉どもを
よかれとおもってじゃんじゃん連ねちゃう
キクチごときは、おもうわけですよ。

「と、1人のおじさん」としては。