「二日酔いになるほど飲む意味がわからない」
同居してる母親は、ことあるごとに言う。
ことあるごと
=むかし、父親がよく二日酔いの朝を迎えてた
=きょうび、キクチがしばしば二日酔い
*
母親は70年間
「おさけを飲む」ことが
生活習慣にまったく乗ってないので
まず、まいにちおさけを飲む
という行動パッターンが理解できない
んだそうで。
あまつさえ。
「おさけを飲んでいる時間が無駄だし」
「酔っぱらったり二日酔いになると」
「気持ち悪くなったりする」
ということに、
「わざわざお金を払ってまで」
というメカニズムが
不可解で仕方がないんだそうだ。
*
「飛行機がふつうに飛んでる」
という現実はたしかにあるし
それをチョーあたまいいひとたちが
なんたら力学やらなんたら工学やらを駆使し
ふつうに実現してるが。
「鉄の塊が宙を浮く」ことを
じぶんレベルではどうにも理解できない。
不可解でしようがない。
みたいなことなんだろう。
*
たぶん、ぜんっぜん違うなw
*
あと、全人類が母親のような考えだったら
効率も生産性も計画性も
きわめて高い世界線になるんだろうが、
そんな世界線、クソつまんなくね?
と、おもわなくもないが
どうっでもいいから、措く。
いずれにせよ。
ビバ、非効率で生産性の低い
計画性のへったくれもない、
翌朝に気持ち悪すぎて
「もう二度とおさけ飲まねえ」おもいつつ
でも、日が暮れたらおさけを迎えちゃう
いまの荒みきった世界線!
*
そんなこんなできのう、ウタゲをカマした。
駅前の商店街の奥のほう。
ぞんぶんにいかがわしいお店群に気圧され
そのぞんぶんにいかがわしいお店群を抜けた
「おいおい、どこに連れてかれんだよ」
ってとこにある、居酒屋で。
80円の中生を連ねた。
*
そりゃ、80円っていわれりゃ連ねるよね。
ひとり、お仕事の定時の関係で
遅れてらっさるとあらかじめ知ってた方
が、現れたころには記憶はもうないので。
詳細を知りたくば、
これを読むがよかろう(↓)。
「4人のランナーと1人のおじさん」
って、なんだぜwww
*
で、上記リンクに書かれてあった
コレはかろうじて、おぼえておる。
えいさんは、
「僕も『お味噌汁ブログ』ですよ!」
と謎のアピールをしていらっしゃった。
*
「おみそしるブログ」って言葉の
元の元はたぶんコレで。
そんなんようなことをガンプよしおさんが
「おみそしるブログ」
って名づけたのがはじまりだとおもう。
(そういえば、ガンプさん。
最近、キクチと飲んでくれねえな。
飲んでくれねえかな。とかはさて措く)
*
んで、たぶん。
キクチが「おみそしるブログ的なこと」
についてほざいたときと。
いま、もちいられてたり
えいさんがおっさる
「おみそしるブログ」ってのは
たぶんもう、意味合いがぜんぜん変化してて。
伊集院光が言った当初の意味と
いま世間で言われてる意味は
もう、ぜんぜん変わっちゃってる
「中2病」の変遷と似てて。
言葉が一人歩きをはじめて
もう独立した存在になってる。
っていうと、なんか大それてるケド。
そんなんような感じで。
*
それに対して物申したいとか
異論を唱えたいとか。
そんな気持ちはさらさらなくって
「おみそしるブログ」って遣ってくれる
という事象じたいが
(最初にそんなんをほざいた当人としては)
喜ばしくしかないことだし。
えいさんが。
「キクチなんかのブログを読んでくだすってる
かもしれない」ってことと、それ以上に。
「ガンプさんのブログを読んでくだすってる」
ってことが、なんかうれしい。
(あと、いらねえ情報的には
えいさんが「ぼく、おみそしるブログっすよ」
ドヤ顔をカマしてアッピールしてくださるさま
ってのが、キクチはとてもうれしかった)
*
で、えいさんが自称してなすった
「おみそしるブログ」ってのは
「わりと淡白で客観的な練習日誌」
的な意味合いでおっさってるとおもうんだけど。
「おみそしる」の
元の意味するところをたどってみると
全力さんがおっさってるとおり
えいさんは、それではないような気がする。
*
そもそも「練習日誌ブログ」って。
それが「わりと淡白で客観的」だとしても
内容がいろんなことを雄弁に物語ってるわけで。
ブログの文字数とか行数の多寡って
いったいなんなんだろね?
と、ついついいらねえ言葉どもを
よかれとおもってじゃんじゃん連ねちゃう
キクチごときは、おもうわけですよ。
「と、1人のおじさん」としては。