キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ゆとりを感じる

で、ムスメっこの三者面談に行ってきたんだけど。

表題は、担任のセンセイによるムスメっこ評。

「精一杯がんばってがんばって、やっと入れたとしても」
「それだと、入ったあとがキツいですからねえ」
「その点、」

というくだりにて。

ムスメっこのテスト前とかの様子を見てると
何となくまだゆとりがあるように感じられる
んだそうだ。

あ、だからといって別に、
怠けてるとか手を抜いてるとか、はたまた
中2病的に「明日から本気出す」的なことではなく。

これはほめ言葉と解釈していいんすよね?

おれもムスメっこには、担任の先生とおんなじように感じていて。

で、いて。
それをどう伝えたら適当であるか考えあぐねているうちに、何にも言わないことにしておこうって結論に至った。

だって、「もっとがんばれ!」って、
まあ、ケースバイケースなんだろうけど、
なんかコウどこかで、親の「こうあってほしい姿」を押しつけて子どもの尻をひっぱたいてるだけなんじゃねえかって。

ついつい、おもっちゃうじゃん?

あるいは。
はたから「ゆとりがあるように」見えても、実は本人的には超絶マジガチ全力で。

もう、しぼりかすも出ないくらい出し尽くしてたとしたら、そこで「ゆとりを感じるんだよね」ってほざくとか、そんなん、ただの「間が悪いマン」だし。

「がんばってる」ってのはわかるけど
その実際の過不足はわかんないし。

そもそも。
「受験生は夏休みが勝負!」的な、あんだかねえんだかわかんない全体を包む、うすぼんやりしたフインキってあるじゃないすか。

だからこちとらは。
目玉が3回飛び出るぐらいクソ高え塾の夏期講習代、ゲロ吐きそうになりながら、でいて、ぜんぜん平気なていで出してて。

それは親からの「がんばれ!」なメッセージのはずなのに。

いっぽうで。
「精一杯がんばってがんばって、やっと入れたとしても」
「それだと、入ったあとがキツいですからねえ」

って、本質論としては完全に正しいんだけど、いま言うことじゃねえっていうか、ともすると逆効果になっちゃうし、いつかはちゃんと伝えなきゃなんないけど、タイミングがクソむつかしい。

っていう機微。
わかりづれえすかね?

まあいいや。

なので、担任の先生がこのタイミングでそう言ってくだすったのは、ムスメっこにとって、とてもいいことだったんだとおもう。

「もっとがんばれやゴルア」方面じゃなく
「汲々としてないよね」方面で。

。。。

三者面談の終わり際。

担「しかし、テニス部。あのアクのつおいメンバーで、よく1年間部長をやったよねえ」

ム「そこには一片のゆとりもありませんでした」

www