キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

(ブーメラン三者面談 その2)はじめてにょうぼうと真剣に話し合った、みたいなこと

「A高校とB高校っす! だったよね?」
ムスメっこに確認するていで、
担任の先生にカマす。

夏休みの宿題オブ・高校見学に。
いずれもいわゆる「0次関門」があるとこ。



ちょっとまわりくどくなっちゃうけど。
イチから説明しときますね。
じぶんの頭を整理ためにも。

あまつさえ。
土日で過疎るうえにお盆で過疎るから
すき勝手につらねとく。



キクチ家のたったひとつの教育方針は

「最低、中学までは絶対に公立」
「おともだちとなかよくして
小・中学校を楽しく過ごす」

ふ、2つあるじゃねーか!



「中学まで公立」ってのは
父親(おれ)のつおい希望。

子ども時代に築いた人間関係は一生つづく。

ただしく「一生つづく」かどうかは、
その後の人生との兼ね合いとかで
どうなるかはわからないが、少なくとも
地元にちゃんと根ざしておくことが
アイデンティティの形成には
すげえ影響する。はず。



というのは。
おれも、小中と公立ではあったが。

中学に入学するときに隣町に引っ越し
人間関係がリセットされた。

中学にあがったしゅんかん
おれ以外はみんな小学校からの
つながりがあるひとたちだったし。

それでこんにちの人見知りが形成された
といっても、過言ではないし。

中学の3年間でそこそこ打ち解けたが
成人式では、これすげえビミョーなんだが
もともとの地元ではないってのが
地味な外様感となって影を落とした。



オトナになって
小学校の同窓会が開かれるようになって
勢いでイッチョカミしてるんだが。

そこにも、これもすげえビミョーなんだが
馴染みきれているとは、いえない。

そもそもその同窓会ってのが
「中学校の同窓会」って名目だから
違う小学校のひともけっこういるし。
明確な外様感があったり。

小中の9年間のうち
というか、中学を出るまでの15年のうち
最も多感なラスト3年間で不在ってのは
埋めきれないギャップっていうか。

なんていうの? インコンプリート感?
がある。

それは、あんがい、予想以上にさみしい。

(とかいっといて、同窓会。
9月にあるらしいから、やっぱ
イッチョカミすんだけどねっ)



ってんで。
地元がある重要性ってのは
よおく、わかってるつもりで。

ああ、長え。。。



だから、その。
「おともだちとなかよくして
小・中学校を楽しく過ごす」

ちゃんと地元に根ざして
いじめただのいじめられただのなく
楽しく学校にいけてさえすりゃ。

勉強なんかできてもできなくてもいいっていうか
本人なりにがんばってりゃ、
結果はどうでもいい。

ってスタンス。
あああ、長え。。。



こういうのって。
結婚したばっかのとき、にょうぼうと
「将来、子どもができたら」
みたいなことをなんとなく話してて
夫婦でなんとなく意見が合った。

結婚したときに住んでたとこには
国立の名門小学校と
私立の名門大学の附属学校があって。

そんななか、地元の公立のがきんちょが
リコーダーふきながら登下校してたり
真冬のクソ寒い日に
「おめえ、半ズボンなのに手袋してんのかよー」
って声が聞こえてきたりして
「ウチはぜってー、公立だな」
とか、決定打は、そういう。



。。。



中2になって今回、
「高校見学」という夏の宿題があって。

高校受験みたいなものが
遠くにうっすら近づきはじめても
基本的なスタンスは、おんなじ。



そりゃ、おれはおれで。
「陸上やってほしいな」とか
「甲子園出られるような学校に送り込んで
どさくさにまぎれて甲子園いきてえな」
っていう世迷言を抱えてはいるが。

ムスメっこは小学生のときからやってて
テニスが大すきだし
いまのムスメっこの中学に陸上部ねえし。

近くに、早実あるよ。
東海大相模も日大三高も
桐蔭も桐光も、あるよ。

ってほざいても。
野球にビタ一文興味がねえムスメっこにとっては
世迷言の範ちゅうを出るもんではない。
ということは、わかってる。



にょうぼうはにょうぼうで。
じぶんが進学した高校は、家の目の前。

乗り物酔いが激しすぎるため、
電車やバスで通うのがやだったってのと。

本人談として。成績的にはもう少し
レベルの高い学校にいけたけど
そこでキツいよか
行った学校でそこそこ上位にいたほうが
性格的に合ってるとおもって。
実際、行ってよかったらしくって。

「ななちゃんも乗り物酔いチョーひどいし
性格もあたしとよく似てるから
いえからいちばん高校で十分でしょ」

いってて。



1学期の終業式の翌朝。
こんなことがあった。

親として失格というか
まっこと恥ずかしい話なんだが。

きょうび。
公立中学の成績の出し方とか
高校受験のシステムとか
まったく、知らなかった。

おれやにょうぼうが中坊だった
平成のごく初期とは
180度といっていいぐらい、変わってる。



わかりやすく2点あげると。
成績は、むかし相対評価でいま絶対評価。
都立高校に学区がない。
んだそうで。

あとは、ふつうに時代の流れというか。
公立・私立にかかわらず
おれらのころはそうでもなかったのに
いまはとんでもない進学校になってるとか
その逆とか。
そんなのが、至るところに転がってたりする。



で、成績でいうと。
あ、相対評価ってのは
「学校のなかで上から何%が5段階評価の5」
ってやつで。

絶対評価ってのは
「何点以上なら5段階評価の5」ってなる。
むかしでも高校や大学はそうだったやつ。

あ、そんなことは説明するまでもねえか。。。



さらに、
各教科に4項目ずつチェックポイントがあって
A~Cの3段階評価で示される。

国語だと。
○国語への関心・意欲・態度
○話す・聞く能力
○書く能力
○読む能力
○言語についての知識・理解・技能

って、5項目あんじゃねーか。。。
あ、国語だけ5項目。
ほか8教科は4項目ずつで。

教科ごとの5段階評価と
A~C評価は密接にからんでたり
からんでなかったりする。



なので、たとえば。

むかしみたく
「サボりがちだし授業態度もわるいけど
提出物だしてテストの点数よけりゃ5」
ってわけにはいかなかったり。

進学の際、「内申」って意味では
「A~Cの3段階評価のほうを重視する」
って学校もあったり。

バラエティに富んでるというか。
おれ、むかしの中学生でよかったぜ
っていうか。



学校の先生がいうには
「それらをちゃんと評価して
数字として割り出しているので
きわめて客観的な数字になってる」
って、豪語してたんだが。

「そうはうまくいかねえだろ」
おもったりおもわなかったりもしたが。
これ以上長ったらしくなるのもアレなので
措きますね。



で、だ。

にょうぼうとおれは
ムスメっこの成績を見て、ビビり返った。

ああ、これって狭くドヤ顔したい
みたいなことを言いたいわけじゃないの。

言っても、田舎の公立中学だ。

ムスメっこの小6のときのクラス。
優秀だったり親の意識が高かったりした子たちの
4分の1ぐらい国公私立の中学にいってるから。
「絶対評価」とはいえ、
母集団のレベルに左右はされるだろうし。



とはいえ。ムスメっこの成績を、
あわててネットで調べたのの
内申点に当てはめてみると、なかなか。

控えめにいって、それだけを切り取れば
いけない都立高校はないっていうか
少なくとも、にょうぼうもおれも
みたことのないラインナップで。

2人してじゅうぶん、浮き足立った。



。。。



というところで、冒頭の三者面談に戻る。
「A高校とB高校っす!」

つくづく、長え。
いいでしょ、誰も読んでねえし。



いっしゅん冒頭に戻り
またいっしゅんにして、それるw

1学期の通信簿をみて
すっかり浮き足立ったにょうぼうとおれは
15年ぶりぐらいに、教育方針について
話し合ってみた。



キ「とりあえず、さ」
キ「あたしはこうだったし、ななちゃんもあたしに似てるからコウ」
キ「みたいな考えかたや、洗脳の仕方(?)はやめよう」

に「それはどういうこと?」

キ「まず」
キ「ダンナとななちゃんは別のにんげんであること」
キ「ダンナとななちゃんがいくら似てても」
キ「ななちゃんにはななちゃんの可能性があるはず」

あ、キクチ家では
おれがにょうぼうを「ダンナ」と呼び
にょうぼうがおれを「ダンナ」と呼ぶんだが
そこらへんの経緯は前にどっかでしたので
はぶきますね。



キ「で、その」
キ「今回たまたま成績がよかったからかもしんないけど」
キ「それは『よかったね』ってことじゃなくて」
キ「選択肢が広がったねって考えたいの」

に「どういうこと?」

キ「つまり、ななちゃんがどう考えるか」
キ「何をしたいかとか、ここが合う合わない」
キ「ってことをじぶんで考えさせる」

キ「ダンナとおんなじ考えならそれでいいし」
キ「違う考えなら、それで、いいと」
キ「おれらはそれを見つける手助けを精一杯して」
キ「みつかったらそれを目指す手助けを精一杯する、と」



に「ああ、どうなんだろうね」
に「でも言いたいことはわかる」

キ「たとえばね」
キ「ああいう性質だから希望をつよくいわないけど」
キ「絵を描くことがすきで」
キ「授業参観のときに掲出されてた
『将来の夢』って作文にも
『イラストレーターになりたい』って
書いてあったじゃん」

に「あったね。あたしたちにはいわないけど」
に「ああいうとこにはちゃんと書くのねって」
に「ちょっといろいろ、興味ぶかかった」



キ「おんなじ感じで」
キ「あの子にはいろんな可能性がある」
キ「まあ、14歳だから当たり前なんだけどね」

キ「イラストレーターになりたい」
キ「A高校を目指すこともできる」
キ「テニスが大すきで、つづけたい」
キ「いますでに、選択肢が3つあるじゃん」

に「ダンナの言いたいことわかった!」
に「その選択肢をどこまで増やせさせられるか」
に「が、ななちゃんの中学時代のあたしたちのやるべきこと、ね」

キ「そうそう!」

キ「だからね、おれらは」
キ「絵の勉強をちゃんとしたいっつったら」
キ「その手段を全力で探さなきゃだし」

キ「もっと高いレベルでテニスをしたいっつったら」
キ「そのための金の準備をすりゃいいし」

キ「トップの都立高校にいきたいっつったら」
キ「よしんば国公立いきたいっつったら」
キ「塾に行く金をおれが内職すりゃいいし」

キ「おさけばっか飲んでるバヤイじゃねえな」



「子どもがすくすく育ってほしい」
「幸せになってほしい」
っていう親の気持ちは
ベクトルや方法や親のエゴやいろいろあるにせよ
たぶん、あらゆる生物に共通したもので。

その実現のためには、親は手助けはできても
首ねっこつかんでひっぱりまわせる
ってもんでもないと、おもってて。

バックアップするってことと
ムスメっこがよしんば、暴走したときに
それをどこまで歯止めかけられるか
ってことしか、できない。

過剰に期待する気はない。
でも、可能性を摘む権限もない。
じゃん。



。。。



で、ふたたび冒頭の三者面談に戻る。
夏休みの高校見学の宿題。どこいくか。

おれ「A高校とB高校っす!」

担任の先生「いろんな意味で、いい経験ができるとおもいます!」

わかってるよ、この先生。
可能性を、ちゃんと信じてる系。
この先生にまかしときゃ、安心だ。
3年生になっても、担任になってくんねえかなあ。



って、おもってるとこ。
三者面談の帰り際、
担任の先生は付け加える。

「ななこ、さあ」
「とうとう、やったな」
「体育祭の1000m、○○に勝ったね」
「○○の体調がアレだったにせよ」

「小学校から一度も勝ったことなかったんだろ?」
「そのおかげで1組、総合優勝できた」
「いま、いちばん速いのはななこだよ」

ぬおおおお、先生!
持ち上げ方をわかっとる!
ぽまいは、社長シリーズの植木等か!



。。。



8月に入ってすぐ。
浮き足立ちにょうぼうがちゃっかり
「0次関門」を切り抜けといて。

夏恒例の家族旅行の翌日。
にょうぼうとムスメっこは
A高校の学校見学にいった。

にょうぼうもムスメっこもそこで
いろいろ考え、考えたそうな。

。。。

っていうテンマツは。

時系列的にその前の
家族旅行のことを書かなきゃなんないし。
お盆休み明けには、
次はおれとB高校にもイクので。

そこにつづく。
つづかないかもしれない。