キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

OTTをめぐるブログ的「撮れ高」ってなんじゃらほい、みたいなこと

OTT(オトナのタイムトライアル)では
1500mと5000mを走った。
1500mが2組目で11:55スタート。
5000mが8組目で16:30スタート。

ここで書くのは、その間のできごと。
の、一部。

まだ1500mの経過も書いてないのに
それを踏まえたこと書くのって、なんなんだろうな。
ま、いいか、結果はソクフォーでほざいてあるし。
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OTTの1本目。
1500mを走ったら5分フラットだった。

じぶんのなかで勝手に
「1500を5分わらない」
っていうのは、なんとなく
内に秘めたる最終防衛ラインって考えてる
フシがあって。



にもかかわらず。
OTTで1500が開かれるようになって。
3年前、5分00。
2年前、5分05。
きょねん、5分12。

てなぐあいに着実に遅くなってゆき。

「それは絶対的なスピードがうんぬん」
とか、寄る年波的なことを考えざるをえなくて。

「今年は一発逆転的に挽回しよう」
っておもってたものの。直前二週間は
週にいちど、ゆるジョグでつなぐ
という感じだった。



なもんだから。
「1500で4分台」というのは
最終防衛ラインどころか
壮大な夢プロジェクトに変ぼうしてて。

ショージキ。
「OTTでは5分20をわらなきゃいいや」
そんな感じになってた。



なんだが。
バックストレートで流しをしながら、
1組目をみてたら。

はっちさんがラスト220~230mの
通過時点で4分20ぐらいなのを確認して。

「やべえ、やべえ」っておもった。



とくだん、はっちさんに対抗心とか
ライバル心とか、敵愾心があったわけじゃない。

が、はっちさんは事前に。
「5分ヒトケタを出したいです」
っておっさってたので。

おれは5分15前後を出せりゃ
総トータル的になんとか
テヘペロ的な逃げを打てるんではないか。
と、皮算用をフミフミしてた。



が、このままいきゃ、ヒトケタは確実。
ミョーにラストスパートのカマしかたしだいでは
5分カットしてしまうかもしれないぞ。

っておもったら。
なんだかよくわかんないケド
おれの内なるに、ものすごく火がついた。
着火、しちゃった。

陣地に戻り、はっちさんの記録証を
拝見すっと「5分07秒」ってあった。

第二着火、しちゃった。



なげえな。
まあいいや。GWだし。
過疎るんだろうし。

。。。



そんなこんなで走ったけっか。
上記したとおり、5分00秒で。

それをどう解釈するのかは、
レース経過をふりかえるときに措いといて。



サッコンの「5分20をわらなきゃいいや」
って状況からすっと。

5分00秒ってのは、出来杉だが。
「4分台を逃した」って意味では
ビミョーすぎて、おいしい。



出来杉ってことに調子こいて。
「じゃ、5000は最低自己ベストで」
ってムクムクしだしたとかも、
とりあえず措いとく。



1500を終えて、陣地へ戻る。

クエン酸を摂り、レッドブルを摂り
デオドラントシートでカラダを拭き
ランシャツを濡らして干し。

4時間後の5000mにそなえる。

その間に5000の1組目が終わり。
走り終えたプロシードさんが
やり遂げた感でビールを飲み始める。



「おれも、ビール、飲みてえ!」

いちおう、所期の目的どおり
1500(センゴ)はマンブったし。
このまま5000はなかったことにして
ただちにビールを飲んでもいいかな()

ってのを冗談めかしてアッピールしてると。
はっちさん。

「キクチさん、センゴ、どうでした?」

「5分00っす。また、寸止めっす」



この春のキーワードは「寸止め」。

3月の古河はなももマラソンは
3時間01分05秒だった。

コレ、2年ぶりの自己ベスト。

いままで3時間07分10秒だったし
はなももでは03分をねらってたので
ちやほやされてもいい結果を残した。
といえる。じぶんひ。



にもかかわらず。
「サブスリー、惜しい」
「それ、あえてねらって残したでしょ」
「マジ、おいしいわ」
「その寸止めぐあいwww」
って、むしろザンネン的な方向になっちった。

オイシイ。

からの、センゴ、4分カットならず。
ダチョウの竜ちゃんなら
熱湯風呂のヘリに足をかけて
「押すなよ、ぜっったい、押すなよ」
っていうてい。おのずと。



ハナシを戻す。

「キクチさん、センゴ、どうでした?」
「5分00っす。また、寸止めっす!」

はっちさん。
「ズルイ」
「でも、ブログ的には撮れ高OKでしょ」
「飲んじゃいましょうよ!」



「ブログ的に撮れ高OK」
そこらへんの機微は
ワタナベさんあるいはきうじ
秀逸な記録を残してある。



たしかにかに。
「また寸止めかよ」って意味では
ブログ的においしすぎる。

センゴのゴール付近。
SEIKOの黄色い時計をみながら
「今年こそ、5分きれるかな」
って、ラストを歯ぁ食いしばりつつゴール
しつつも。

記録証をもらう段になって
「5分かかってたらオイシイかもな」
ってちょっと脳裏をかすめて。

順番を待つ間に、むしろ
「オイシイから、頼むから5分かかっててくれ」
っておもったりおもわなかったりした。

で、現実、5分かかっちゃったから
もうこれは「ブログ的に撮れ高OK」に
ほかならない。

そして、コウ。
支離滅裂に、ブログにそれを書いてたりする。。。



。。。



日常でなにかが起きると。
(あるいは期待してるより起きないと)
「ブログ的にどうなの?」

みたいなことを反射的に考えちゃうのは。

ブログを書くひとのさが、ってってもいい。
なんていうか「このましい愚かさ」で。

ワタナベさんあるいはきうじが
おっさるとおり。
そこを「撮れ高」って言えちゃうセンスには
ちょっとシビれたし、いまもシビれてる。

(し、そういうふうに言えるはっちさんを
いち早くつぶしとかないとなっておもった)



この主題に対する
いいオチがみつからないので、以下。
テキトーなでまかせをもっともらしくいうと。

むかし。
40歳の誕生日を迎えるとき
「まじめにふざけて生きよう」
ってテーマを掲げた。

それはひとつ、こういうようなことで。



「死んじゃうんじゃないかぐらいがんばった
マラソンの結果がサブスリーに66秒足りず
『寸止めじゃねえか』って笑い飛ばされる」

「センゴで5分カットしたいからって
呼吸が血の味するぐらい必死こいたのに
5分00秒で『また寸止めかよ』
って笑い飛ばされる」

ってのは、
プロセスにおいてはけしてふざけてなくて
むしろ、クソまじめで。
ただただ、結果がふざけててたわけてる
ってことだから。

これってのは「まじめにふざけられた」
になるんじゃないかと。



これが最初からふざけてたら
このふざけた結果も出なかったんではないか

って意味では。

クソふざけててよかった。
ってことになるんではないかと。

おもったりおもわなかったり、した。
ハナシがそれまくりだ。



「ブログ的撮れ高」って考えかたは
なんかちょっと一歩踏み込んだ感じがする
考えようによっちゃ、めんどくさいことで。

撮れ高がいったからいいんじゃなくて
撮れ高が達したことがらを
どうやってかみくだくか
ってとこに、おもしろさがあんじゃないか。

とか、エラソーにおもう。

書く、という意味においても。
読む、という意味においても。



やっぱりハナシが、それまくりだw
めんどくせーな、クソ辺境w

これって、あす読み返して
アタマを抱えるパッターンかもしれない。
「真夜中に書いたラブレター」
みたいなことなのかもしれない。

めんどくせーな、クソ辺境w

つづくっ。