キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「マラソンをリタイアする」についてその1 根性の閾値、みたいなこと(かすみん2017まとめ)

さてと。これから何回かに分けて
かすみんの各論を展開してく。

まず、リタイアについて。
まあじぶん比、ガチ超絶流行語ぇ、だ。

マラソンリタイア童貞として
ぼ、ぼ、ぼ、ぼくのうっすい初体験をまとめとく。
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そうそう。
日曜、茨城からの帰路とか
きのうもいちんち、そうだったんだけど。

偏頭痛的にずつうがイタイ。
あんど、なんかずーっとアタマがふわふわしてる。

「気持ちが切れたことによるリタイア」
「余力を残してのリタイア」
なつもりだったので。

「おれ、ホント根性ねえなあ」
「もう少し、つづければよかったかなあ」

救護室のテントで小2時間、
そんなことを、考えるともなく
脳内ぐるぐるしてたんだが。


ひょっとして、あんがい
適切なタイミングだったのかもしれない。
カラダはバッチリ、限界超えてた

のかも、しれない。
と、おもわなくもない。



あ、やべ。
ほんの枕なつもりだったのに
きょうのオチを言っちゃったてへっ。



。。。



マラソンでリタイアをしたのは、
フル21回目ではじめてだ。

リタイアした理由は、
タイムを狙ってスタートしたものの
中間点にもいってないのにちょっとむつかしいなあ
とおもったから。
つまり、気持ちが切れた。

別にタイムを狙ってなかったら
たぶんゴールはしただろう。



かたや。

「かならずゴールだけはしてきた」
というのがじぶんのなかで、どこか
安いプライドになってた。
誇りにおもってた。

ってのを裏返すと、ある意味において
「リタイアするハードルを勝手に上げてる」
ってことで。

カラダ的に限界っぽくなってきたし
気持ちもきれた19kすぎ。

「リタイアしちゃおう」
ってペースをゆるめたものの。
いざ、ホントにリタイアするとなると
ある種の踏ん切りが要った。

「おれはそれでほんとうにいいのか」
とか、なんどもなんども、考える。



けっきょく、やめちゃって。
現実としてもうふたたび走り出す
ってことはないんだけど

「それでほんとうによかったのか」

とか、考えつづける。
収容バスが動くまで2時間、自問自答す。



。。。



とくに今回のバヤイ。

カラダがまったく動かなくなったわけでも
どこかを傷めてどうにも動けなくなったってわけでも
ない。

テントのすぐ外はコースで。
がんばってるひとたちが、がんばってる。

「おれのコレはほんとうによかったのか」
ずっと、考えつづける。



たとえば、ポイント練習。
「うわっ、きっちい」
「もうやめちゃおう、おれ、がんばったし」
ってきょくめんが、必ずクル。

それを乗り越えてやり遂げると、
達成感も満足感を得られるが。

うっかりやめちゃうと。
「脳の甘い誘惑に乗っちまったあああ」
「ここでもうひと根性だせりゃ
おれ、もっとつおくなれるのにいいい」
後悔、しまくる。



レース中は、それがもっととんがる。



早々におもいどおりにゆかなくなったとき。
(疲労が蓄積したってだけのバヤイなら)
あとは、残務整理みたいなもんで。

「なにかもう一押しあったらリタイアしちゃおう」
おもう。ネガティブスピリット。

「いやいや、それじゃダメだもっとガンバレおれ」
「つれえ! が、リタイア申し出る勇気がねえ」
も、おもう。

「いやいや」と「勇気」を何往復もする。
けっきょく、ゴールまでいっちゃう。



根性って、ほとんどのバヤイ、たいせつだ。

それもわかってる気になってるから。
ほんとうにリタイアしますって言う
=根性がたりなかったって認める

って作業をどこかしらともなう。

「ここでリタイアしたらクセがつくかも」
ってことも、何度も何度も考える。

じぶんが根性ナシってのを受け入れる根性。
なんの自己弁護だよって感じだが
それがひつようなときもあるのかもしれない。



去年のかすみがうらマラソンは。
今年と真逆でさむさとの戦いだった。
気温が低くて、雨はどんどんつおくなり
風が容赦なく吹きつける。

ヒロダディさんとごいっしょしながらずっと
リタイアする機会をうかがっていた。

機会と決意の踏ん切りがつかずけっきょく
歩きたおしたり、たき火に当たったりしながら
3時間52分かけて、ゴールにたどり着いた。

ゴールにたどり着く「惰性な根性」が、
リタイアするって宣言する「ない根性」を上回った。

なんていうか。10代のころ。
部活チョーつれえ、やめてえってとき。
すっぱりやめちゃうか
顧問こええし、やめるって言いだせない
って、やめないでいるか。

「こええ顧問に『やめる』って言えるほうが
ひょっとして根性あるってことなんじゃね?」

みたいな。
正解は、わからんちん。
っていうか、このたとえがよくわからんちん。



いい齢になって出る、マラソン大会。
も、おんなじで。

「やっべ、もうきついもうだめ」
ってときに、やめちゃうことと
踏ん切りがつかずつづけちゃうことの
判断が、むつかしい。

おれは根性の閾値みたいなものが低いから
今回、やめますって言った。

よゆうがあるうちやめたつもりだったが
上記のとおり、偏頭痛がいたい。
ということは、いっぱいいっぱいだったのかも。



仮に日曜。
おれが根性閾値高いひとだったら
どうだっただろう。

「ガーミンのライブトラックさらしちゃってるし」
と、ミエハルマンだったら
どうなっちゃってたんだろう。

ちょっと、ゾッとしもする。



なんか
話がとっちらかっちったケド。

たぶん「リタイア癖」はつかないとおもう。

じぶんから早々にリタイアしたくせに
すごくみじめったらしくなって
「こんな気持ちにはもう二度となりたくない」
っておもったから。


どういうふうにみじめったらしくおもったかは
次エントリーにて。

キーワードは、収容車ナリw



リタイアするなら「もう少しがんばれるのにいい」
とおもってるうちにしちゃったほうがいい。

でも、それって。
「ここからがおれのがんばりどころ」
ってのと、判断むつかしいよね。