利き手にかんすること。
どうやら、この調子でつづければ
1まとまりになりそうなので、カテゴリーを設けた。
ところで。
おれのクロスドミナンスは
「ぎっちょ発祥」
とおもうんだが、それを語る前に
「ぎっちょ」
という言葉について、整理をつけておくひつようがある。
*
整理、というのは
「差別的か差別的じゃないか」
なんだけど。
ケツロンからいうと、
おれは差別的ではないと考えてる。
自分がぎっちょである身として、
この言葉をとっても気に入ってもいる。
だから、今後も確信犯的に遣いつづけるつもり。
正しい意味での確信犯として。
*
あえて差別という言葉を持ち出すなら、
ぎっちょの持つ、ゼツミョーな被差別感は魅力的だ。
「ゼツミョーな被差別感と、そのウラにそそり立つある種の特権意識、選民意識」
という、アマノジャク類の大好物ド真ん中。
なんか、キャッチーだし。
*
語源を調べると、2つの説がある。
1つは「毬杖」。
毬杖と書いて、「ぎっちょう」と読む。
その転訛。という説。
毬杖ってのは平安時代のホッケー。
ケマリ→サッカー
ギッチョー→ホッケー
みたいな。
辞書などで調べる感じでは、
差別的なニュアンスは、ない。
*
あるいは、
器用(きよう)を「きっちょ」という
(不器用のことを「ぶきっちょ」とかいうでしょ)
↓
「左利きは器用である/器用にみえる」
から、左器用(ひだりぎっちょ)
↓
「左」がとれて、
「ぎっちょ」だけで左利きをあらわすようになった。
という説。
この流れでも、差別の匂いは、ない。
それがおれの鈍さorバカさゆえなのかは
わからないから、措く。
*
ただいっぽうで、ひと昔前
「当然、右利きに矯正するもの」
という価値観があったように、
秘すべきこと、みっともないこと、礼儀的でないこと
としてきた文化の歴史もある。
そんな背景で遣われる「ぎっちょ」は
一点の曇りもない(?)差別、侮蔑の対象だ。
*
ん? おかしいぞ。
そんなマジメな語りではないはずだぞ。
まあ、中身がそんなにあるわけじゃないから、いいか。
秘すべきこと。
秘めごと。
なんかやらしさ加減が、いい。
いや、言いたかっただけ。
*
話を戻す。
ぎっちょ = 差別、侮蔑の対象。
とか、背景は知らないが、
「不愉快な言葉である」
とする人も、いる。
「やーい、ぎっちょ」
といじめられた経験とかがあれば、
なおさらだ。
それを否定するつもりも
論破するつもりも、ない。
みんなちがって、みんないい。
*
くり返すが。
おれは「ぎっちょ」という言葉、とっても気に入ってる。
だから、今後も「ぎっちょ」を遣いつづける。
もしそれで誰かの気分を害したら、
ゴメンナサイ、だ。
*
遣うシーンは一人称に準じてる。
二人称ではまず、「サウスポー」を用いて、
もんだいがなさそうだったら「ぎっちょ」を投入する。
プライドもある。
心地のいい被差別感はあるが、
差別的な感情はひとつも、ない。
「右利きではない人」みたいな
言い換えこと悪意のカタマリ
をする気もない。
不愉快だとおもう人のことは
常におもい描いている。
というわけで、
今後も自嘲的に確信犯的に「ぎっちょ」を遣いつづける。