その1のつづき。
ひょっとしたら、一般的にごくアタリマエなのかもしれないけど、
おれはビックリしたので、いちおう。
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【2、小学校の先生ってスゴイなということ】
おれが見たのは1年生の国語の授業。
題材は「おむすびころりん」だった。
(1)なんかいっぺんにいろいろやってる
先生が1節音読する。児童が復唱する。
先生が次の1節を音読する。児童が復唱する。のくりかえし。
先生が読みながら教室中を歩きまわるんだが、
ただ、机と机の間を歩きまわるんではない。
歩きまわって読みながら、
「ちゃんと読んでない児童をうながす」のはもちろんのこと、
「児童が落としちゃったエンピツや消しゴムを拾ったり」、
「手すりにかかっているはずのぞうきんを拾ってかけ直したり」、
「ロッカーからはみ出しているランドセルの背負う部分をきちんと収納したり」
してるんである。
つまり、児童に関すること全方位なんである。
これって、アタリマエのことなのか、
この先生特有のことなのかは、
知らん。
ただ、子どもには、先生のこーゆー姿をこそ
学んでほしいなとおもった。
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(2)ゼツミョーなかまいぐあい、かまわないぐあい
先生スゲエはもう2つある。
2つめは
情報の取捨選択スキルっつうか、
締めぐあい、放置ぐあいの塩梅がゼツミョー。
これはたとえば、ビジネスで会議やプレゼンではけして見られない、
小学校特有のものかもしれない。
それだけにザンシンだった。
1年生なんていってみれば、まだまだ野生な奔放さが前面に出ているもの。
教師が「右向け右」と言ったとしても、みんなすぐ右を向くわけじゃない。
小学校高学年とか、中高生とは違った意味で。
教師の話の1つひとつに反応して、「野生な奔放」が話しかけてくる。
換言すると、教師が用意しておいたストーリーの流れを
がしがし止めに入ってくるわけだ。
それをガン無視するでもなく、かといってすべてに付き合うわけでもなく、
広げるところは広げたりなんかしちゃって、
後味として悪くないていどに、対話してるな感を残す。
なんていうか、いい意味でいい加減なんである。
まさしく、塩梅っていう言葉がドンピシャ。
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(3)伝わるギリギリ程度に感情をあらわす
ラストが、これも塩梅なんだけど、
喜怒哀楽の表現度合いがゼツミョー。
「野生な奔放」には、ゆって聞かせるだけでは通じない部分がある。
かといって、ひっぱたいちゃったりしたらこんなご時世、コトだ。
そこで、喜怒哀楽。
(怒はより正確にいうと叱なんだけど)、
そーゆーもろもろをしっかり態度で示す。
喜とか楽は、笑ったり同調すればいいのだから、
そんな大変ではないし、しょうしょう過剰であっても、いい。
いっぽう、叱系。
しっかりわからせないと意味がない反面、
出しすぎて子どもをビビらせちゃってもしようがない。
そのさじ加減がオミゴト。
子どもに知らしめる程度、に抑制してるのだ。
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きょうの例でいうと、
1時間目の前に集会があったらしく、時間が押していた。
まず
「集会があったからしようがないけど、時間が遅れてるから準備しましょう」
と告げる。
それでも子どもだから、まあテキパキは動かない。
おしゃべりもしている。
そこで、時間が押しているということを
じゃっかんフキゲンなトーンで、こう示す。
「30秒後にはじめるからね」
ゲーム形式で締め切り効果をうながす、ときましたか。
ゆっくりめにカウントダウンをはじめれば、
そりゃ子どもは準備を急ぎますわな。