「きょうはブログネタがどうしても浮かばねえ」
ってとき、あるじゃないすか。
どうしても。
そんなときの枯渇回避方法のヒント。
これは言い換えると、むしろ
「ブログネタがどうしても浮かばない
というケースを回避するためのヒント」
といってもいいかもしれない。
ヒロダディさん、元気かな()
*
で、そういうとき。
たぶんいちばん蟻地獄にハマるのが
「ネットやヒトサマのブログから
ヒントを得ようとする」
これって。
あちこち、読みまわったあげく、
時間だけがムダに過ぎてて
けっきょくろくにネタは浮かばねえまんま
ってパッターン。
*
おれがやりがちなのは
「きょうはネタがない」
ってとこからとりあえず書きはじめちゃう。
でいて、書きはじめてはみたものの
途中であまりに中身がないことに気づいて
全削除するパッターン。
あるいは、そのままアップしちゃったものの
あとから見返して
あまりの中身のなさにチッってなるパッターン。
*
いま、水面下でブログを整理しなおしてんだが
そういう中身皆無な「クソ記事」が
驚くほど、けっこうあって
おのれがおのれに呆れたりしてる。
そんなのはあってもしようがないから
削除しちゃってもいい。
*
いっぽうで、そもそも。
このブログ「クソ記事合衆国」そのものだし。
あまつさえ。
おのれの種々のクソ記事を見てるうちに
削除のボーダーがブレブレになってきて
いろんなディレンマのはざまで
途方に暮れたりする。
とかは、掘り出すと長くなるので、措く。
そのうちまとめる。(やんねえフラグぇ)
*
あと。
「おれはきょう、何を書きたいんだろう?」
「棚上げしてた書きたいテーマがあるべきだ?」
ってなりはじめるパッターン。
上記、クソ記事削除もんだいもそうだが
そもそも、小ネタを1ケ見つけたいだけなのに
それで事足りるのに。
壮大なプロジェクトっぽくなりはじめて
いやいやいやちがうでしょいまソレ求めてないし
って打ち消す。
*
。。。
*
で、このエントリーで何を言いたいかというと。
「おれはきょう、何を書きたいんだろう?」
ってのが、そもそも違うんじゃね説。
たまたま、違うことでネットをたゆたってたら
「じぶんが何を書きたいか」じゃなく
「書きたいことにニーズはあるのか」
が、考えとして先行してるべき説。
ってのが、あった。
あ、コウ、じぶんでほざきつつ。
言いたいこととちょっと乖離してきてる。
早くもw
*
ひとくちに「ブログ」っても。
いろいろな形態や目的があるじゃないすか。
とくにこの辺境クソブログなんか
まいんち、言葉のゴミを垂れ流してるだけだし。
じぶんが見てる界隈のブログも
どちらかというと、日記・日誌的なもの中心
だったりして
その情報の有用性だとか、ニーズってのとは
わりと対極にあるかもしんない。
(が、そういうこと言いはじめると
めんどくさいことになるので、措く)
*
あ、いまわかった。
「ニーズ」って言葉を持ち出したから
言いたいこととズレが生じはじめたんだ。
「ニーズ=人がじぶんに求めてるもの」
であるならば。
そんなもん、知ったこっちゃないっていうか。
ぽまいごときが、求められてるとおもうなよ。
っていうか。
めんどくさいことになるから、はしょるが
だいたい、そんなんようなことだし。
*
で、この文脈で書こうとしてたののひとつに
「ブログ的にいかにもウケがよさそうな
表題をあげつらうあざとさ」
も、あったんだけど。
たぶんおそらく。
語弊しか生じない気がするのでよしとく。
書いちゃったことがけっかとして
いろんなとりかたをするひとがいて
不本意にとられちゃうことはあるもんだが
わざわざ鉄人みずから
栗をガッキンガッキンに焼きにいくこたない。
ゆえ。
栗?
*
でも、よしとくと
ネタ的にはかんぜんにゆきづまっちったなり。
*
うーむ。
うーむ。
。。。
いちごたべ。。。
*
ああ、よしときまあああす。
頼りすぎはよくないとおもうの。
サッコン。実は
生活のいろんなシーンにおいて
チェンジオブペースを
「いちごたべたい」に寄りかかってる。
万能の呪文。
誤用がかまびすしいったら、ありゃしない。
*
でも、その。話をちょっと戻すと。
「じぶんが何を書きたいか」じゃなく
「書きたいことにニーズはあるのか」
が、考えとして先行してるべき説。
って、やっぱ一理あるような気がする。
それこそ話が逆行すっけど。
じゃあ「ニーズ」ってなんだろうとか
何に対しての「ニーズ」か
ってもんだいになってくるわけだが。
それを考え込んだところで、たぶん
何も産まない。
そういう無駄なことを
ごちゃごちゃ考えるの大好物だけど
やっぱ、何も産まない。
*
ひとつ言うならば。
「じぶんが何を書きたいか」を除く。
つまり、ニーズのうち
「一人称的なニーズ」をさっぴいて考える
のが原則としてある、とすると。
それによって
わけがわかんなくなっちゃうんじゃなく
むしろ、すごく広がりができるってことで。
ものすごく雑な言い方をすっと
なんでもOKってことで。
*
そうすっと。
「ニーズ」ってのはコントロールの埒外。
じぶんでどうにかする・できるもんじゃなく
しょせん、他者にあずけるしかないもの。
ってことが、わかってくる。
あ、こむずかしくなってきたな。
ちょっと頭を冷やします。
*
でもでも。それはそれで。
じぶんでどうにもできないもんで
あずけるしかないもんだとしたら
「じぶんが書きたいことを書く」
しかないんじゃね?
ってキョライは、たぶん。
頭を冷やしにいった甲斐が皆無だし
ただの言葉遊びを転がしてるだけ
って気もしてきたから、本気でやめる。
*
「ニーズ」ってのとは違うかもだが。
誰が何を求めてて
何が誰にどう突き刺さるか
って、おもしろいよね。
むかし、たびたびほざいてた
「じぶんにはそのよさやおもしろさが
ビタ一文、見出だせないたぐいの物事が
人口にものすごく膾炙してる」
って、現象はわりとあって。
そのメカニズムに、あらためて興味をおぼえる。
*
抽象的な物言いなので簡単にいうと。
たとえば。
「マラソンにハマるひとはいっぱいいるが
マラソンのどこがいいのかわからん
ってひとが、それ以上にすげえいっぱいいる」
みたいなやつ。
あ、逆か。
でも、そういう。
*
極端にいえば。もし、そういう
多様性? 趣向の違い?がなければ。
「世界中の野郎が、フカキョンだいすき」
ってことになるわけじゃないすか。
でも、現実は。
「フカキョンがすき」ってひとも
「どうでもいい」ってひとも
「むしろ、どこがいいんだぜ?」ってひとも
「おれはモモクロだぜ」ってひとも
「わしは吉永小百合じゃ」ってひとも
「佐藤健ヌッツオに抱かれたい」ってひとも
実際いて。
とか、そういう。
*
話が蛇行しすぎてるふうだが
じぶんのなかでは、微動だにしてない。
頑固ジジイなていかよ。
*
。。。
*
「特定の誰かを勝手におもいうかべ
そのひとのニーズに応えられげなことをものす」
ってのは、ひとつのテとしてアリ、なのかも。
あ、あたかも世紀の大発見じみて
結論づけようと唐突に放り込んでみたものの。
ゆきづまったときって
あんがい、そうしてるかもしんない。
ただ、いちばんのもんだいは
このエントリーになんのニーズも見出だせねえ。
ってことだったり、する。