っていうか、前エントリー。
⇒映画館にいきました
出し抜けにそんなこと言われても、だよな。
*
映画を観るという文化を
基本的に持ち合わせておらず
映画じたいにまっったくノー興味のおれが
なんとなんと、「映画館にいきました」
前エントリーの表題を略さないと
そんな感じ。
*
そんなんなので。
「スクリーンで観る」ありがたさも
映画館でのルールやマナー
誰でも常識として知っていることが
ぜんぜん、理解できていない。
*
たとえば、いつだったか。
マラソン大会の応援に
たかしさんが「映画泥棒」のコスプレで登場。
ということがあったのに
「映画泥棒」じたいを知らなくて。
映画館ではじめて見たとき
「あ、たかしさんのやつだ!」
っておもったほどだ。
*
そんな
「おれ映画観ないんすよアッピール」
なんかどうでもいいし。
何に対する何のアッピールかイミフだし。
このエントリーで言いたいこととも
まったく関係ないばかりか
話の枕にもなりゃしねえ。
イミフ全開なり。
*
そして、たぶん。
『ちはやふる 結び』の感想ならば
ワタナベさんのやつがすげえ秀逸で。
その向こうを張って、ナドト、
大それたことがでけるホドには
まだ、おれもバカが蔓延してない。
こんなの(↓)。
「結び」は「ちはやふる」シリーズ映画の三作目。この「結び」が最終作品。だけどサブタイトルの「結び」は必ずしも「終わり」を意味しない。どんな映画かはさっぱしわからんとしても
1000年前の古人が感じたことが変わらず現在に通じるのは「そういう」感情が「結び」ついてきたから。「結び」つこうとしてたから1000年前と現在は結果、結ばれてるんだね。届いてる?届いてるよ。結ばれてんのは空だけじゃないよ的な。
ほざいてることがあまりにも鋭敏すぎて
もはや、嫉妬すらしないじゃん。
あと、いらねえ情報的には。
「ちはやふるスポ根説」ってワタナベ理論に
全面的に首肯してて。
なにしろ、すげえむかし。
おれもこんなん書いてたんすよアッピールっ。
⇒ドラゴンボールとドカベンとキャプテン翼の間(2012/01/10)
*
。。。
*
『ちはやふる』ってのは
百人一首を題材にしてるだけあって(?)
言葉が、とってもセンシティブ。
たまにその「いいこと言ったでしょ感」が
ちょっとあざといかな()
って映らなくもないが、なんというかそれでも
「おじさんは、あえて乗せられちゃいますよ」
って見て見ぬフリしちゃうね。
みたいな感じだ。
ん? どんな感じだ?
*
そんなわけだから。
言葉がひとつひとつ、ていねい。
(そして、たまにあざとい)
前編の映画のやつだと。
⇒青春ぜんぶ懸けたって強くなれない? 懸けてから言いなさい
なんてのもあるし。
キクチヒロシ@rFsPIZFyucNM3Z2@Uke_running @nagadai1 チャンスにドアノブはついてない。#おれ知ってますよアッピール
2018/04/08 09:29:08
千葉のほうのドラえもんは
こんなことをつぶやいてた。
Uke(ユーク)@Uke_running@nagadai1 @rFsPIZFyucNM3Z2 運命戦は、運命ではない
2018/04/08 10:25:33
*
いちおう補足しとくと。
「チャンスにドアノブはついてない」は
チャンスのドアってのは、
じぶんでは開けることはできないから。
誰かが開けてくれたとき
迷わず飛び込んでいけるかどうかが大事だぜ。
って意味(合ってる?)。
「運命戦は、運命ではない」は。
残り札2枚で、自陣のを読まれたほうが
勝てるってきょくめんが「運命戦」で。
まあ、読まれるかどうかって
ぶっちゃけ運でしかないんだけど。
どんだけ、じぶんのほうを読まれるに至る
勝負勘を磨くようなことを積んできたか。
「勝負勘」ってのは、想いだとか、
場の空気の持っていき方も含まれるから
全部が全部、運だけじゃないよね。
ということ。
でいいんすかね?
これ以上ていねいに説明しようとすっと
クソ長くなるので、はぶいちゃう。
*
表題。
「手触りは残りつづける。何年でも、何十年でも」
は、『ちはやふる 結び』のなかで
あとからなんか勝手にすごくジワっちゃった。
まず「手触り」って言葉遣いの
センスにうなっちゃうんだが、ともかく。
*
と、ここでは
とりあえずそうということだけを開陳しておき。
文脈も、何でジワったのかも措いたまま
長くなったので。つづく。
(ほんとうにつづくかどうかは、知らん)