声優が朗読してるこういうのもあって。
なんだかシャバダバなんだが。
*
こういうのって、読むとき。
それぞれの内なるYAZAWAが
脳内再生してくるよね。
そういうもんだよね。
とかは、どうでもよくって。
*
おれもこういうの、やってみてえ!
っておもったわけ。
俺いるし、これ、余裕。
とか、なんでYAZAWA「風」に
モロ感化されちゃってんのかは、措いて。
*
おれもこういうの、やってみてえ!
っておもったわけ。
「キクチヒロシが桃太郎を朗読したら」
なんかちょっと、オモロそうじゃないすか。
wktkするじゃないすか。
どうなるんだろう?
って、おれだけがね。
*
で、やりはじめてはみたものの。
ナニコレ、チョームズイ。
だいいち「じぶん風」ってのがどんなんだか
ぜんぜんわかんないし。
なんとなくソレっぽいことすりゃいいのかな
「措く」とか言っときゃいいんだろうか。
言いたいことを言わなきゃいいんだろうか。
って、考えれば考えるホド、わっかんねえ。
じぶん風。
その残滓(↓)。
むかしむかし。とあるところに、もう、アレ。
おじいさんとおばあさんが住んでて。
おじいさんは山へ芝刈りに
おばあさんは川へ洗濯に行ったらしいんだが。
おばあさんが川で洗濯してると。
大きな桃がドンブラコ、ドンブラコって、
川上から流れてきたと。
川上っていやあ、アレだよね。
「哲治」か「憲伸」の二者択二って感じ。
二者択二?
「止まって見える」と「明治大学うっす!」
の二者択二ぇ。。。
「ドンブラコとドラゴンズって何となく似てるよね」
っておもってたりおもわなかったりする。
打率、10割10分10厘だしね。
あるいは麻衣子。。。
とか、どうでもいいな。措く。
桃太郎、産まれてすら、いねえ。
よしんば。
おばあさん、桃ひろってすらねえのな。
ここで気が遠くなって、やめちった。
*
ヒトサマの語り口なり文体をパクるのは
(これもすごくむつかしいんだけど)
できないことはない。かもしんない。
かたや。
この矢沢のやつにみたいな感じで
じぶんっぽいていで何かをするのって
たぶんぜったい、できない。
ふだん「じぶんっぽい」的なこと、とりわけ
ブログをよく更新するようになってから
どこかアタマの片隅で「じぶんの見られかた」
みたいのはたぶん、知らず知らずのうちに
いつも意識してるんだろうケド。
にもかかわらず。
こんくらい、できない。
もんなんだなあって、よくわかった。
よおくわかりましたとさ。
というだけの、ハナシ。
*
。。。
*
土日だし、いつもにも増して
誰も見てねえだろうからって、以下余談。
あくまでも、たとえ話ね。
たとえば
「じぶんの限界を超えるぐらい頑張って走った」
「けっか、ちょっと限界超えちゃって」
「えまーじぇんしー的なことになっちゃって」
「注意喚起ふくめて、そのテンマツを真摯にブログ書いた」
みたいなことが、あると、する。
かたやたとえば。
「ウタゲが楽しすぎて」
「じぶんの限界を超えるぐらい飲んじゃって(自業自得)」
「まったく記憶にないのはいいとしても」
「その間に、かならずヒトサマに迷惑かけてるはずで」
「それを『覚えてねえ』って免罪符にくるんで」
「意気揚々と(ってわけでもねえけど)ネタ的にブログでさらす」
ってことが、あると、する。
*
もう一度言う。
あくまでも、たとえ話。
*
そんなん。
後者のほうが、1京倍ぐらい叩かれてしかるべきじゃん。
叱られるべきじゃん。本来。
いや、叩いてくれってんじゃなくて
事象そのものを比較検討したバヤイ。
*
何を言いたいかというと。
前者的なことは、たしかに。
反省すべき点はすごくあるかもしれない。
カレが今後、走ったりブログを書いたりしたいな
とふたたびおもったとしたら。
その経験をものすごく活かしたら
ものすごくおもしろい新展開になる。
んじゃないかと、おもう。
なので、バッチリチリバツリカバリーして
バツグンにおもしろくてどこか自虐的な
相も変わらねえ感じのブログを読みたい。
おれなんかただの第三者だし
思慮も浅いただのクソバカだから
そういうブログを読めれば、それサイコー
(矢沢なてい、謎のフッカツ)。