キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

アミをひいてください

校正に書いてあった赤字。

ひつようもないのに、本人(編集)に即デンワ。
「江戸っ子ですな」
のひと言を伝えたい尽きせぬ想いがあまって、脊髄反射しちまった。



正確には、「アミを敷(し)く」。
いちおう。

「アミ」。

印刷物ってのは、細かい点の集まり。
塗りつぶされてるように見えても、
実は、点々の密集度が高いだけだったりする。



「網(アミ)点」ってのがある。
マンガで使うスクリーントーン。

あれは黒い点点の密度や大きさによって、
濃いグレーになったり薄いグレーになったりする。
「なる」というか「そう見える」。

で、それを下敷き(背景)に、上に文字やら何やらを乗せたりする。
で、「アミをシク」と。



このエントリーの本題は、アミを敷くという言葉の説明じゃない。
わかってる。

要諦は
「校正という、わりとゲンミツさを要する段階において
もれいづる江戸弁」
というアンバランスにプププとしたってこと。

および、江戸弁そのもの。



「アミをひく」。

ピッと引いたら、
テーブルの上の
コーヒーカップだのナイフフォークだの
一輪挿しの花瓶だのは、そのまま。

そんなイメージが、
校正を見たしゅんかん、胸にキョライ。
マチャアキ的に。

もう何かおれ、
「アミをひく」は
それはそれで正しいような気がしちゃった。



要諦などといったのに、
もう蛇足に入る。
以下、なんのオチもない、思い出バナシ。



江戸弁。
もう死んじゃって15年ぐらいになるんだけど、
「瀬田のおじさん」が濃厚な使い手だった。

「おれあどうも、シとシの言い分けがうまくできなくてよお」
と、説明が説明になってないじゃんか、ぐらい。



瀬田のおじさんは父の兄弟の、実質的な長男。
11人兄弟姉妹の4番目でほんとうは次男なんだけど、
長男が夭逝したので、実質的な長男。

一族の大黒柱。
典型的な親分肌。
世田谷の瀬田ってところで鉄工所を経営していた。
特攻あがり。

父とは15歳離れていることもあって、
息子のようにかわいがっていたし、
大学まで出すなど、経済的に養っても、いた。



おじさんからみて、
息子同然にかわいがってる弟の長男、おれ。

そりゃあ、かわいがってくれた。
「おれにとっちゃあ、ミキオ(父)は息子みてえなもんだから、
シロシは孫みてえなもんだ」と。

いま考えりゃ、赤の他人じゃないんだから、
その例えはいらなくね。
ふつうに「かわいい甥っ子」でいいんじゃね。

まあいい。



おれも瀬田のおじさんが大好きで、
とくに晩年、カラダの自由が利かなくなってからは、
よく独りで遊びに行っては、いろんな話を聞いた。

溶接をやってたからか、耳が遠くて、
あまつさえ喋りがバツグンにうまいので、
ひたすら喋りたおしてた。

特攻隊で飛び立つ数日前に終戦を迎えたって話も、
死ねなかったから帰ってきて荒れまくってたって話も、
戦後しばらくは無免許でクルマを運転してたって話も、
三島由紀夫と剣道したって話も、
そのあと飲みに行って心酔しちゃったねって話も、
セガレが羽田で大立ち回りをしたあと警察に引き取りに行き、
オマワリがおかしなこというのでロンパしたって話も、
会社をつぶしてセガレを借金地獄にして申しわけねえって話も、

たぶん100回ぐらいずつは、聞いた。

キクチ家のルーツ、自分のルーツが気になり、
調べまわったという話も、

たぶん100回ぐらい、聞いた。



おじさんの葬式のとき、父は
「ヒロシがいちばん、キクチの家のことを知ってるだろう」
と言ってた。

実際、
おじさんの実の息子たちであるイトコよりも、
実の弟である父よりも、
おじさんとたくさん会話をしたのは、おれだとおもう。

まあいい。



瀬田のおじさんが亡くなったとき、
なきがらに会いに行った。

そのだいぶ前からガンで入院してたんだが、
父が「変わり果てちゃってオマエにはショックが大きすぎるから、
行かないほうがいい」と、
病院すら教えてくれなかった。

そんなわけで、ひさびさの再会。



ひさびさの再会。
男のコなので、号泣したいのをグッとこらえていた。

対面して無沙汰を詫び、お礼を言ったあと、
おばさんにあいさつした。

おばさんはお茶を淹れながら、
「シロシ、シロシって、私と2人のときもよく話してたし、
よく話を聞いてくれるから、いつも喜んでた」
みたいなことを言ってくれた。

堤防、ソッコー、大決壊。



そんな、
涙腺を大爆発させた、魅惑の江戸弁スイッチ。
シロシ。