校正に書いてあった赤字。
ひつようもないのに、本人(編集)に即デンワ。
「江戸っ子ですな」
のひと言を伝えたい尽きせぬ想いがあまって、脊髄反射しちまった。
*
正確には、「アミを敷(し)く」。
いちおう。
「アミ」。
印刷物ってのは、細かい点の集まり。
塗りつぶされてるように見えても、
実は、点々の密集度が高いだけだったりする。
*
「網(アミ)点」ってのがある。
マンガで使うスクリーントーン。
あれは黒い点点の密度や大きさによって、
濃いグレーになったり薄いグレーになったりする。
「なる」というか「そう見える」。
で、それを下敷き(背景)に、上に文字やら何やらを乗せたりする。
で、「アミをシク」と。
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このエントリーの本題は、アミを敷くという言葉の説明じゃない。
わかってる。
要諦は
「校正という、わりとゲンミツさを要する段階において
もれいづる江戸弁」
というアンバランスにプププとしたってこと。
および、江戸弁そのもの。
*
「アミをひく」。
ピッと引いたら、
テーブルの上の
コーヒーカップだのナイフフォークだの
一輪挿しの花瓶だのは、そのまま。
そんなイメージが、
校正を見たしゅんかん、胸にキョライ。
マチャアキ的に。
もう何かおれ、
「アミをひく」は
それはそれで正しいような気がしちゃった。
*
要諦などといったのに、
もう蛇足に入る。
以下、なんのオチもない、思い出バナシ。
*
江戸弁。
もう死んじゃって15年ぐらいになるんだけど、
「瀬田のおじさん」が濃厚な使い手だった。
「おれあどうも、シとシの言い分けがうまくできなくてよお」
と、説明が説明になってないじゃんか、ぐらい。
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瀬田のおじさんは父の兄弟の、実質的な長男。
11人兄弟姉妹の4番目でほんとうは次男なんだけど、
長男が夭逝したので、実質的な長男。
一族の大黒柱。
典型的な親分肌。
世田谷の瀬田ってところで鉄工所を経営していた。
特攻あがり。
父とは15歳離れていることもあって、
息子のようにかわいがっていたし、
大学まで出すなど、経済的に養っても、いた。
*
おじさんからみて、
息子同然にかわいがってる弟の長男、おれ。
そりゃあ、かわいがってくれた。
「おれにとっちゃあ、ミキオ(父)は息子みてえなもんだから、
シロシは孫みてえなもんだ」と。
いま考えりゃ、赤の他人じゃないんだから、
その例えはいらなくね。
ふつうに「かわいい甥っ子」でいいんじゃね。
まあいい。
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おれも瀬田のおじさんが大好きで、
とくに晩年、カラダの自由が利かなくなってからは、
よく独りで遊びに行っては、いろんな話を聞いた。
溶接をやってたからか、耳が遠くて、
あまつさえ喋りがバツグンにうまいので、
ひたすら喋りたおしてた。
特攻隊で飛び立つ数日前に終戦を迎えたって話も、
死ねなかったから帰ってきて荒れまくってたって話も、
戦後しばらくは無免許でクルマを運転してたって話も、
三島由紀夫と剣道したって話も、
そのあと飲みに行って心酔しちゃったねって話も、
セガレが羽田で大立ち回りをしたあと警察に引き取りに行き、
オマワリがおかしなこというのでロンパしたって話も、
会社をつぶしてセガレを借金地獄にして申しわけねえって話も、
たぶん100回ぐらいずつは、聞いた。
キクチ家のルーツ、自分のルーツが気になり、
調べまわったという話も、
たぶん100回ぐらい、聞いた。
*
おじさんの葬式のとき、父は
「ヒロシがいちばん、キクチの家のことを知ってるだろう」
と言ってた。
実際、
おじさんの実の息子たちであるイトコよりも、
実の弟である父よりも、
おじさんとたくさん会話をしたのは、おれだとおもう。
まあいい。
*
瀬田のおじさんが亡くなったとき、
なきがらに会いに行った。
そのだいぶ前からガンで入院してたんだが、
父が「変わり果てちゃってオマエにはショックが大きすぎるから、
行かないほうがいい」と、
病院すら教えてくれなかった。
そんなわけで、ひさびさの再会。
*
ひさびさの再会。
男のコなので、号泣したいのをグッとこらえていた。
対面して無沙汰を詫び、お礼を言ったあと、
おばさんにあいさつした。
おばさんはお茶を淹れながら、
「シロシ、シロシって、私と2人のときもよく話してたし、
よく話を聞いてくれるから、いつも喜んでた」
みたいなことを言ってくれた。
堤防、ソッコー、大決壊。
*
そんな、
涙腺を大爆発させた、魅惑の江戸弁スイッチ。
シロシ。