キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

甲子園の魔物

センバツで浦和学院が優勝した。
優勝し(てしまっ)た。

埼玉県に縁もゆかりも何の思い入れもないおれなのに、
いつも浦和学院には注目していた。
特に、近年。



くり返すが、埼玉県じたいに縁もゆかりも何の思い入れも、ない。
浦和学院の野球がとくに好きなわけでもない。
注目の選手がいるわけでもない。
ユニフォームなんか、全日本のパクパクでみっともないから早くむかしのに戻さないかなあとおもってる。

ではどうして、浦和学院か?
「モリシが、そこに、在るから」
なんである。



浦和学院の森士監督。モリシ。
ほんとうは、もり・おさむと読む。

ここ10数年、毎年のように前評判の高いチームをつくりあげてきた。
でも、早々にコケる。
期待を裏切って、期待を裏切らず、早々にコケる。

いきおいあまって、こんなエントリーもした。
4年も前のことである。
苦戦の続く埼玉代表 (2009/08/13)

「モリシ」で検索すると、
もはや都市伝説のようなネタが尽きることなく出てくる。
「モリシが動くと、負ける」とか言われたりしてる。
「甲子園の魔物、実はモリシなんじゃねえの説」もささやかれてる。



出身校である上尾高校のwikipediaをみると、
「おもな卒業生」欄になぜか、
モリシ(浦和学院高野球部監督)
って書かれてる(きょう現在。だいぶ前から)。



昨秋、浦学は史上初の関東大会3連覇という偉業を成し遂げた。
でも、甲子園ではおととしも去年も期待を裏切って、期待を裏切らなかった。

去年は春夏連覇した大阪桐蔭に惜敗。
ということをさしひいても、ほかに言いたいことは山ほどある。
あえてカツアイするが、モリシは健在であった。



今年。
もはや、
「学園のマドンナ。おれに気があるようなおもわせぶりでついついその気になっちまったが、どうやらまったくその気はないようだ。最初からおれには手の届かない高嶺の花。これ以上ミョーに期待するとフラレたときのショックも大きいから、すべてなかったことにして、いいオトモダチとして付き合おう」
ぐらいの立ち位置。。。



かたや、wikipediaのモリシのページにこんな記述がある。
高校時代は怪我に苦しみベンチ入りはできなかったが、野本喜一郎監督(当時)から野球に打ち込む姿は高く評価されていた。のちに野本氏が「自分のキャリアの中で一番練習したのは森だ」と言っていたことを人づてに聞いている。現在も毎年夏に選手たちを連れて野本氏のお墓を訪れている。

今大会、試合後の勝利監督インタビューでもいちいち、満面の笑みを浮かべて喜びを隠さない。
でいて、必要以上にケンキョ。

「甲子園であまり勝ち進んだことがないので、わかりません」
などという自虐的名言を残すシマツ。



孫引きつづきでスマンが、どこかで読んだモリシのエピソード。
しかも記憶をたぐり寄せ系なので、細部は違うかもだが、こんなようなこと(↓)。

ある試合で負けた浦学。

キレてグラウンドからいなくなるモリシ。

時間を置いて戻ってきたモリシ。

部員「渋々なら戻ってこないでください」

モリシ「!」



ハタと気づいた。
「この人、ものすごいいい人じゃね」と。
「どんなに学園のマドンナで高嶺の花だろうと、オトコたるもの、行かねばならないときがある」と。

ハタと気づいた。
おれがモリシをネタ扱いしてたのは、実は愛情の裏返しだったんだ。
好きな子にわざとイジワルしちゃう、あんな感じだったんだ。
だって、イジワルしたあと壁に頭を打ちつけて「おれ、なんであんなことしたんだろ」って後悔したもん。
やっぱり、おれはモリシが大好きだ。

嬉々としてモリシネタをしてた人だって、たぶんおれとおんなじ。
好きな子をわざといじっちゃう、あんな感じだったんだ。
ほんとはみんな、モリシが大好きなんだ。

きっといじった直後、みんなものすごい後悔とかしてたんだ。



今回、浦学がセンバツで優勝したことによって、
「甲子園の魔物=モリシ」が証明された。

スクイズ失敗後、ノーサインで打たせれば打線が大爆発する、という蔦監督的な背理法によって。
注目の怪物・済美高校の安樂クンがメッタ打ちに遭う、という背理法によって。
背理法って言葉、おもわずいきおいで遣ったんだが、これで意味が合ってんのかは、知らん。

「とにかくモリシ、おめでとう。なんか泣けてきた。酒もってこい」
と、草太にいちゃんなていで。