キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ネタがないが窮まるとこうなるの例

ブログに書くネタがなくて、地味に困っている。
という、書くまでもないような話をあえてしてみる。

中身はまったくない、と断言できる。



本来、ネタ的にアツいジョギングは
3/24の板橋以来、一週間以上してない。

示唆に富んだ(新しい)本も読んでない。

春のセンバツがたけなわだが、
いまさら安樂クンについて訳知り顔するのもちょっとなあだし、
国民栄誉賞がどうでも、政治がどうでも、ない。

ガツンとくるひと言に出合ったわけでもなければ、
何かについて、すごく考えをめぐらしたわけでも
ピカーンと何かをひらめいちゃったわけでも、ない。



いや、ほんとうはいろいろ考えてはいる。
めぐらしまくってる。
すばらしいひと言に出合ってもいる。

ただ、ザンネンながらそれは
「ブログに書くべきこと」ではなかったりする。

少しだけ卑猥すぎたり、プライベートすぎたり、貧乏すぎたりするからだ。
いとこの死を総括するにも、まだちょっと早いかなとおもってるからだ。

とか。



ところで。

去年の終わりごろからずっと、
「成り立ってる仕組みがわからない物事の、成り立ちや活況を呈してるリクツを知りたいブーム」
が来ている。

ものすごく地味に、おだやかに。

たとえば、
「ビッグサイトで3日間のイベントができるほど、編みものにニーズがある」
「テレビで『おれ明らかにコイツむり』って人なのに、あんがい人気あったりする」

あるいは、
「どうしてこの中華屋は流行ってるのに、隣の中華屋はつぶれそうなのか?」
みたいな。

アカデミックなひつようもない。
「おれにとってはクソまずいキウイを、好んで食べる人がいる」
みたいな。



価値の基準、判断の源泉はたんじゅんに、
おのれの小っちぇー趣味や好き嫌い。
当然、ヒトサマからみれば
「そんなこともわかんねえのか?」もいっぱいあるだろう。

なんだけど、ヒトサマはどうでもいい。
自分が持ち合わせてない価値観に触れたり、それまで敵だと認識していた対岸の世界観にどっぷりはまる。
ものすごくおもしろそうじゃん。

同意も合意もしないけど、リクツを理解は、する。
という。



それでヒトヤマ当てようとか、仕事の幅広げようとかは、ない。
かんぜんな暇つぶし。

興味深いテーマとして、ビッカンビカンに輝いてる。
ほうら、なんの中身もないエントリー、でしょ。