せっかく甲子園がはじまったので、
極私的高校野球語りをしようとおもう。
テーマは熱闘甲子園風に、その日負けた学校から勝手に取り出して、
過去のおのれの記憶をほじくり出して
思い入れをほざく、というもくろみ。
資料は基本的に見ない。おれの脳内のみでほじくり出す。
というもくろみ。
甲子園の期間中つづけていこうとおもってはいるものの
つづくかは、知らん。
の1回目。
1986(昭和61)年の広島工。
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広島工を意識したのは、その年のセンバツ。
母親の母校である、静岡の浜松商が2回戦で戦ったのが
広島工だった。
浜松商は1回戦でPLをくだした。
KK直後のPL。
浜松商は、その前の年のセンバツでも1回戦でPLとあたって、
清原が甲子園で初マウンドにあがる、
なんてぐあいになめられまくって、大敗した。
そのPLにリベンジを果たしたあとの広島工。
おれはカンペキに浜商目線で観ていた。
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その前に立ちはだかったのが、エースの上田俊治。
浜商打線は、上田を全然打てない。
最初はただのにくたらしい「敵のエース」だったんだが、
しだいに、その武骨な見た目と
見た目どおりの重そうな球を投げ込んでいく姿に引き込まれていった。
胸の「KENKO」マークが
たまらなくカッコよく見えた。
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あ、県工だからKENKOね。
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春はベスト8で準優勝した宇都宮南に敗れるんだが、
夏にも当然のように甲子園に出てくる。
ちなみに、宇都宮南のエースは近鉄のエースだった高村。
いまさらだが、上田俊治の控えは、ヤクルトの高津。
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夏の上田は春と違って、当時小6のおれにも、
ちょっと力まかせにぶん投げているようにみえた。
1回戦は東東京の正則学園。
上田が登板し、もんだいなく勝つ。
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この年、リアルタイムで(?)、
「タッチ」の明青学園が須見工を破って甲子園出場を決めた。
明青学園は東東京の代表という設定。
だから、そのつながりだけで、正則学園の動向もちょっと気にしていた。
という余談。
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2回戦は熊本工をくだし、3回戦は浦和学院。
浦和学院はいまでこそ埼玉の盟主っぽいけど、
これが初出場だったとおもう。
「聞いたことねえ」学校だから、
もんだいなく広島工が勝つ、
というか、
上田が浦学をねじ伏せるサマを期待して観てたのだが、
上田はそれなりに浦学打線を封じ込めたものの、
1-4かなんかで負けてしまう。
上田がそれなりに封じ込めたものの、負けちゃった。
というところで、
上田投手は上のステージでまた活躍してくれるだろう
と期待させてくれる感じだった。
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浦学のピッチャーは、2年生エースの左腕谷口。
テキトーに投げてんじゃねえかみたいなフォームから、
スクリューボールだかを軸にしたのらりくらりした投球で、
この大会、けっきょくベスト4まで駆け上がる。
これも余談だな。
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上田投手はその後、明治大学に進んだらしい。
野球でどう活躍したのかは、知らない。
放送局に就職して、いまはバリバリ働いてるらしい。
小学生のシロート目&ひいき目なんだけど、
プロとか行かねえのか、ぐらいの存在感というか、
たたずまいだったんだが。
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それまで広島といえば広島商とか尾道商
(あくまでおれのリアルタイムでの記憶ね)
だったんだが、
広島工はその後、ちゃんと県内の強豪として、
たびたび甲子園に姿を見せるようになった。
でも、広島県に縁もゆかりもない身としては
上田投手以上のインパクトは得られなかった。
そんくらい、ビカンビカン輝いていた。
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こんなグダグダな感じでいいのかね
と、クエスチョンマークが頭の上に点滅しつづけてる。
まあ、いいや。
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1986(昭和61)年といえば、ポストKK。
誰もが次のスターを探し求めるなか、
春は池田高校が覇権を奪還し、
夏は天理×松山商が決勝で壮絶な戦いをくりひろげた。
よく、
「高校野球はKKで最高潮を迎えたあと、ちょっと低迷したが、
松坂の横浜高校ぐらいでふたたび盛り返した」
みたいなことがよくいわれるけど、
それは違う。
高校野球とその後のプロでの活躍を結びつけるのは、
基本的にあまり好きではないのだが、
この年だって、
享栄の近藤、東洋大姫路の長谷川、高知商の岡林など、
逸材がゴロゴロしていた。
もちろん広島工の上田だって、そんな夏の主役の1人だった。