キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

池田高校が帰ってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!

池田高校が22年ぶりに甲子園に帰ってきた!
マジ、入場行進をみただけでダイゴーキュー。
ikeda

というわけで、
極私的池田高校ガタリシリーズ。

極私的ですぞ。
何回かに分けちゃうですぞ。

1回目のキーワードは
「なんとなくやだなあの的中」と
「取り戻した」。

関係ないケド、
「A Hard Day’s Night」を
「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」
って訳しちゃうセンスはスゴイ。
巻いた舌が戻ってこねえ。




池田高校の全盛期、1980年代は
高校野球がいちばん盛り上がっていた時期でもある。

個性のカタマリ
みたいな選手が次から次へと現れ、
スター選手ともなると、
ワイドショーで進路が速報されたり
ギャル雑誌の表紙を飾っちゃう。

そんな時代。



ザ・川崎の紅顔の美少年でおなじみの
おれの最初のスーパースターは
早実の荒木大輔。
おなじ東京(?)だけに。

あ、このままだと異常に長くなりそうなので、ホドホドにカツアイしてゆく。



1982年。
荒木大輔が全国制覇をめざした最後の夏、
早実が準々決勝で当たったのが、池田高校だった。

おれはかんぜんに早実目線。
対戦相手が池田と決まったとき、
なんかやだなあ、とおもった。



いや、いまでこそ
「あのころの池田の山びこ打線ったら」
みたいなことを言われてるが。

それはあとづけというか、
あの夏の早実戦以後のことで
それまでは、エースの畠山がすげえ
ていどのイメージでしかなかった。

優勝候補の一角には挙げられてたものの
実際、こんな感じ(↓)。
1回戦5-2静岡
2回戦4-3日大二
3回戦5-3都城

少なくとも、
ガッコンガッコン打ちまくる感じではなかった。

でも、なんかやだなあ
とおもった。



で、試合は14-2で池田の圧勝。
荒木大輔はボッコボコに打たれた。
フルボッコとか火だるまって
こういうことを言うんだな
ぐらい。

甲子園の主役は早実から池田へ、
荒木大輔から水野へと交代する。



翌83年夏。
池田高校は前年夏から
前人未到の夏春夏3連覇に向けてばく進していた。

準々決勝で最大の対抗馬と目されていた
中京高校の野中を打ち崩し、
世間の空気は「ああこれで決まりですな」
という空気になってた。
おれもかんぜんに池田目線。

準決勝の組み合わせ抽選。
相手はPL学園と決まったとき
なんかやだなあとおもった。



いや。
PL、というかKKのいたPLが
大正義みたくなったのはこの池田戦からで
それまではたいして注目されてない。
「ベスト4に残ったのね」ぐらいのもん。

でも、なんかやだなあ
とおもった。



で、試合は7-0でPLの圧勝。
水野はボッコボコに打たれ、
山びこ打線も1年生エース桑田に5安打完封される。

甲子園の主役は
池田からPLへ、水野江上から桑田清原へと交代する。



以後、KKが卒業するまで
PLは君臨しつづける。
荒木→水野→桑田
のような政権交代をすることなく
最後の夏も全国制覇して大団円をむかえる。

なんかやだなあ
のないまま。



で、実は。
ほんとうに言いたいのはこのあとのこと。

ポストKKな甲子園。
直後の春を制したのは、池田高校。

制した、というより
取り戻した。
という感じ。



エースはサウスポーの梶田。
165cmの「小さな大エース」。
大きなカーブを右バッターのひざもとに集める、技巧派。
攻撃も脚をからめる式。

畠山水野みたいな超高校級の豪腕右腕がいるわけでもなく
山びこ打線でもない。

でも、池田高校が取り戻した。

これがなんだか、
すごく意味のあることにおもえた。



以下、かんぜんに余談。
オチもない。

梶田選手は筑波大学で野手に転向し、
ノンプロの日本生命で長年活躍した。

にょうぼうとの結婚が決まったとき
親戚に日生で野球をしてるひとがいると聞いた。

会ったことはないんだが
ドラフト候補に挙がったり、
10年選手で表彰されたりするなど、
そうとう活躍したという
ニュースを目にしたことがある。

親戚にノンプロの選手がいる
と聞いたとき、「うおお」と
脊髄反射した。

「日生ってことは、
池田高校の梶田と同僚じゃんか!」
と。