マジ、入場行進をみただけでダイゴーキュー。

というわけで、
極私的池田高校ガタリシリーズ。
極私的ですぞ。
何回かに分けちゃうですぞ。
1回目のキーワードは
「なんとなくやだなあの的中」と
「取り戻した」。
関係ないケド、
「A Hard Day’s Night」を
「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」
って訳しちゃうセンスはスゴイ。
巻いた舌が戻ってこねえ。
*
池田高校の全盛期、1980年代は
高校野球がいちばん盛り上がっていた時期でもある。
個性のカタマリ
みたいな選手が次から次へと現れ、
スター選手ともなると、
ワイドショーで進路が速報されたり
ギャル雑誌の表紙を飾っちゃう。
そんな時代。
*
ザ・川崎の紅顔の美少年でおなじみの
おれの最初のスーパースターは
早実の荒木大輔。
おなじ東京(?)だけに。
あ、このままだと異常に長くなりそうなので、ホドホドにカツアイしてゆく。
*
1982年。
荒木大輔が全国制覇をめざした最後の夏、
早実が準々決勝で当たったのが、池田高校だった。
おれはかんぜんに早実目線。
対戦相手が池田と決まったとき、
なんかやだなあ、とおもった。
*
いや、いまでこそ
「あのころの池田の山びこ打線ったら」
みたいなことを言われてるが。
それはあとづけというか、
あの夏の早実戦以後のことで
それまでは、エースの畠山がすげえ
ていどのイメージでしかなかった。
優勝候補の一角には挙げられてたものの
実際、こんな感じ(↓)。
1回戦5-2静岡
2回戦4-3日大二
3回戦5-3都城
少なくとも、
ガッコンガッコン打ちまくる感じではなかった。
でも、なんかやだなあ
とおもった。
*
で、試合は14-2で池田の圧勝。
荒木大輔はボッコボコに打たれた。
フルボッコとか火だるまって
こういうことを言うんだな
ぐらい。
甲子園の主役は早実から池田へ、
荒木大輔から水野へと交代する。
*
翌83年夏。
池田高校は前年夏から
前人未到の夏春夏3連覇に向けてばく進していた。
準々決勝で最大の対抗馬と目されていた
中京高校の野中を打ち崩し、
世間の空気は「ああこれで決まりですな」
という空気になってた。
おれもかんぜんに池田目線。
準決勝の組み合わせ抽選。
相手はPL学園と決まったとき
なんかやだなあとおもった。
*
いや。
PL、というかKKのいたPLが
大正義みたくなったのはこの池田戦からで
それまではたいして注目されてない。
「ベスト4に残ったのね」ぐらいのもん。
でも、なんかやだなあ
とおもった。
*
で、試合は7-0でPLの圧勝。
水野はボッコボコに打たれ、
山びこ打線も1年生エース桑田に5安打完封される。
甲子園の主役は
池田からPLへ、水野江上から桑田清原へと交代する。
*
以後、KKが卒業するまで
PLは君臨しつづける。
荒木→水野→桑田
のような政権交代をすることなく
最後の夏も全国制覇して大団円をむかえる。
なんかやだなあ
のないまま。
*
で、実は。
ほんとうに言いたいのはこのあとのこと。
ポストKKな甲子園。
直後の春を制したのは、池田高校。
制した、というより
取り戻した。
という感じ。
*
エースはサウスポーの梶田。
165cmの「小さな大エース」。
大きなカーブを右バッターのひざもとに集める、技巧派。
攻撃も脚をからめる式。
畠山水野みたいな超高校級の豪腕右腕がいるわけでもなく
山びこ打線でもない。
でも、池田高校が取り戻した。
これがなんだか、
すごく意味のあることにおもえた。
*
以下、かんぜんに余談。
オチもない。
梶田選手は筑波大学で野手に転向し、
ノンプロの日本生命で長年活躍した。
にょうぼうとの結婚が決まったとき
親戚に日生で野球をしてるひとがいると聞いた。
会ったことはないんだが
ドラフト候補に挙がったり、
10年選手で表彰されたりするなど、
そうとう活躍したという
ニュースを目にしたことがある。
親戚にノンプロの選手がいる
と聞いたとき、「うおお」と
脊髄反射した。
「日生ってことは、
池田高校の梶田と同僚じゃんか!」
と。