キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

カネヤンと「野球語」と「プロレス」

きのう、金田正一投手(カネヤン)が亡くなった
ということを夜のニュースで知った。

おれは昭和49年に生まれたので
昭和44年に引退した
カネヤンの現役時代を知らない世代。

ゆえ、思い入れはないはずなのに
明けてきょういちんち、なんとなくずっと
「ああ、カネヤン死んじゃったんだ」
って物思いをしてるじぶんに
じぶんでビビった。

ので、きのう駅伝走っただの
ムスメっこのことだの、
デザイナーとアーティストの違いだの

ブログネタは渋滞してるんだが
きょうはカネヤンについて書く。

書きたくてしようがない。

「渋滞もなにも、更新してねえだけじゃねーか」
とかは措きまする。

カネヤンの現役時代を知らないおれにとって
リアルタイムでは
○チョーヤの梅酒のCM。
「♪お若いお若いカネダさん」だっけ?
○あからさまに巨人びいきな解説者

あとは、
○『巨人の星』に登場するさま
がだいたいすべてだった。
(巨人の星については後述)

「前人未到の400勝投手」
ったって、ちょっと桁違いすぎて
もはやあんまピンと来ない。

んで。

「野球語」って、あるじゃないすか。
正確にいうと「プロ野球選手語」。

関西弁だか広島弁だかわかんないが
もはや関西弁でも広島弁でもない。

一人称「ワシ」

「ようやった」

「よう放(ほお)った」

「なにをモタモタしとるか」

「足にスランプはない」

のたぐい。
それってカネヤンが源流なのかな()
おもう。

(警備会社のラジオCMで
「ようやった!」ってカネヤンが言ってたのが
こびりついてるだけかもしんない)

張本とか星野とか山本浩二とか
昭和の野球選手が使い倒すイメージ。

そのナニ弁だかわかんない
いろいろミックスしてもはや「野球語」
として成立してる言語。

昭和感とあいまって
なんともいえないノスタルジックを醸してる。

べつに感傷的になりたいってわけじゃない。

たとえば、上記「放(ほお)る」。
おれはこの物言いがたまらなくすきで。

野球において「投げる」って
最も主要な動作のひとつだし
最もセンシティブな動作のひとつなはずで。

で、いて。
それを詳しいことはよくわかんないけど
あえて「投げる」よか大雑把な表現をもちいる。
っていう機微がたまんねえし。

後付け的には。
「放る」の「放」は「放物線」の「放」で
そこにどこかしら白球の残像ってのが
表現されてるような気もして
「放る」って野球語がたまらなくすきだ。

なお、1ケぶっこんだ
「足にスランプはない」

ピッチングやバッティングって
ものすごく繊細なものなので
ちょっとしたことで調子がくるう。

「打線は水もの」って言うように。

でも、足(走塁)は
さほど好不調の波がないんだ。

って野球界ではいうけど。

おれみたいなクソシロートでも
ランニングをしてるひとなら
「はあ? 何言っちゃってんの?」 じゃんw

は、措いて、と。

。。。

カネヤンは400勝という
今後破られないであろう金字塔を打ち立てた。

まぎれもない「不世出の大投手」なんだが。

たぶん、それだけなら。
現役時代を知らないおれなんかは
ふーんそうすか程度にしかおもえなかった
であろう。

そんなおれすら気になっちゃうカネヤンって。
いい意味で「自己顕示欲の権化」
ってぶぶんが、ネタっていうか
もはや「おやくそく」として昇華されてて。

ぐらいだからなんだろう。

たとえば。
江川とか松坂とかダルとか
ものすごくいいピッチャーが出てくると
カネヤンはたまらなくイキイキしだす。

彼のどこがすばらしいか
これからどんだけ球界を背負っていきうるか
を、とうとうと語る。

そして必ず最後につけ加える。
「ワシのほうがすごかった」

キクチが小学生のころ。
スピードガンがプロ野球にも導入されて
江川とか小松とか郭泰源とかが
150キロを投げたりしてみんなが
すげえすげえ言ってたころ

「ワシは現役時代160キロは投げとった」
わざわざ、言う。

それがきょうび。
150後半や160キロ投げる
ピッチャーが出てきたら、いつの間にか
「ワシは現役時代180キロは投げとった」

しらっと、インフレwww 猪熊磁悟郎みたいぢゃ。

全盛期にはチーム内で
「金田天皇」って言われるぐらい
絶大な権力をもってて。

どんくらい「天皇」かというと
じぶんが投げてない試合で
4回が終わった時点でリードしてると
監督とかコーチをシカトして
審判に勝手に「ピッチャー金田」ってって
交代して投げて勝ち星をかっさらっちゃった
なあんて、逸話もある。

もはや、プロレス。

そういう伝説には事欠かなくって。

あまつさえ、そうとうな「人たらし」で。

訃報が流れてからも、
(亡くなった人の悪口は出てきづらい
っていうことはさておいても)
人となりを表すエピソードが
すげえ出てきて。

そりゃ確かに上記ピッチャー交代とか
鬼畜なエピソードもあるにはあるが。

「名球会=金田&仲間たち」的な組織だったり
実際、私物化してたりとか
どうなの?ってエピソードもあるにはあるが。

基本的にたぶん、
昭和的ないいひとだったんだろう。

10年ぐらい前に
渋谷の企業に取材にいったことがあって。

雑居ビルのエレベーターに乗ろうとしたら
おんなじビルに「カネダ企画」が入ってた。

カネダ企画ってのは、
カネヤンの個人事務所で。

1階のポストには、かたわらに
「名球会事務局」って書いてあった。
まさに私物化w

なんだけど、おれは。
「おお、ここにカネヤンがいるのか!」
すげえwktkして。

取材先に訪れて名刺交換だの挨拶をするとき
「○階に金田さんの事務所があるんすか!?」
言葉のツギホ的に話を振ったら。

「金田さんって」
「エレベーターで乗り合わせると」
「かならず、声をかけてくれるんですよ」

「しかも一度会ったひとは覚えてて」
「二度目以降、『いつもがんばってますね』
って言ってくれたり」

「私があとから乗ると弊社の階数のボタンを
押してくれてあったりするんですよ」

って、広報のたぶん野球にさほど興味ない
女性が話してくれて。

カネヤンがよけいすきになった。
いらねえ情報。

やべえ、長くなっちったので
次エントリーにつづける。

駅伝のふり返りとか
チョー遠のくwww

「巨人の星については後述」つったが。
そんなんわけで
いきおいにのって、ひとつだけチラ見せ。

マンガ『巨人の星』で
こんなシーンがある。

カネヤンの引退会見でのシーン。

おれはこの、シーンが大すきだ。

最初にジャイアンツのオーナーが
カネヤンの来し方を説明し。

さて、カネヤンと記者との質疑応答になる。
というきょくめん。

この直後のコマ。 星飛雄馬の心の内(フキダシ)が
この記者たちの心の内やらを雄弁に語る。

み みんなだれしもが
さっきの伴とおなじに
むりにもわらいたがっている・・・
 
戦後のプロ野球界を支配し
燃えに燃えた太陽が いま
しずみゆくさびしさに・・・

こういう表現をする梶原一騎、な。

実際にこういうやり取りがなされてた
かは、知らないが。

梶原一騎に底流する
超一流のスーパースターへのリスペクト。
偉大なアスリートへのリスペクト。

を、最大限にあらわす表現力。
鋭敏すぎる感性。

梶原一騎って、やっぱり
文学の世界のひとなんだな。
よおく、わかりる。

独りよがりなカネヤン語りは、つづく。