ムスメっこの期末テストが返ってきて。
結果に対する親の所見を書かなきゃなんない。
ということがあり。
「おのれのブログをテキトーに書く」よか
5倍以上考えるでおなじみの
「いただいたコメントの返事を書く」より
5倍以上考えて、書いてみた。
*
んで、二週間後に三者面談もあるし
ついでに訊いてみた。
「ななちゃんってさー、
いま、いちばん得意な教科ってなーに?」
「あと、いちばん好きな教科ってなーに?」
*
「数学と英語!」即答。
何で?って訊いたら。
「答えがひとつしかないから」
*
えーっと。
これはすっげえたぶんだけど。
社会も理科も音楽も
答えはひとつじゃね?
ってのは措いても。
「できるから好きになるし」
「好きだからできるようになる」
「のの、往復運動だよね。けっきょく」
なんだってさー。
*
7年前、こんなことがあった。
ムスメの通信簿をみると体育だけ、
ほかの教科とくらべて評価がちょっと低い。
にもかかわらず。
それでもムスメは
「体育がいちばん好き!」
と答える。
って、言ってたっけ。
ナツい。
答えにもなんか、隔世の感?があるな。
*
期末テスト。
本人的には理科が不本意だったようで
(理科は得意でも好きでもなくって)
その期末テストの結果がまとめてある紙の
本人の所見欄には
「理科をがんばる。夏は理科をつぶす」
的なことが書いてあった。
親の所見欄には、考えあぐねたすえ
「理科もいいけど、
得意なやつをガンガンやるのもいいんじゃね?」
的なことをほざいてみた。
*
長所を伸ばすか、短所をつぶすか。
*
社会人になって、社会にビビって。
じぶんの短所ばっかに
コンプレックスを感じてたとき。
「このひとすげええええ!」
ってひとを思い浮かべると。
例外なく、一点突破で。
すげえ部分がビッカンビッカンにすげかった。
*
ただし、えてしてそういうひとって
ダメなとこは、とことんダメで。
「それでもいいんだ」
おもって、無社会性とか人見知りとか
コミュりょくなんて完全無視して。
得意な部分、好きな部分で
ガンガン攻めようってことにした。
(それがいいのかは、いまだに知らん)
*
かたや、マラソンって。
不得意をつぶし、
好きではない練習に取り組んでこそ
如実に結果に反映されるもんで。
「30kで必ずつぶれちゃう」から
LSDとかロング走を繰り返そうとか。
「圧倒的に筋力が不足してる」なら
30日プランクからはじめてみるとか、
そういう。
*
ムスメっこがわりと半年後に直面してる
「高校受験」なんかも。
得意で好きな科目ばっかやるよか
不得意で好きでもない科目を底上げするほうが
たんじゅんにアップ率は高いだろうし
成功への近道になるのかもしれない。
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でもでも。
どっちが正解とか不正解とかじゃなく。
ただのアプローチの違いで。
「いまの目標を達すればそれでいいのか」
「その先も見すえておけるか」
っていうふうに考えると。
どっちが正解とか不正解とか
ますます、わっかんねえ。。。
*
「燃え尽きるほどがんばるのはカッコいい」
んだけど、
「ほんとうに燃え尽きちゃったとしても
その先だって、まだまだ長いんだぜ?」
ってのの、はざまの、せめぎ合い。
って、あるじゃないすか。
*
。。。
*
じゃあ。
「得意でも好きでもないけど
できたら、それがやりたいことに直結する」
ことがあるとしたら、けっきょく。
「得意でも好きでもないこと」だって
「やりたいこと」の一環に含まれるんだぜ。
としたら、どうか。
「インターバルやペース走は得意ではない」
「でも、もうちょっと速く走れたい」
としたら、どうか?
なんかちょっと、ワクワクしてくる。
*
オチまで7年前のパクパクぇ。。。
すっかり、抽象的な物言いシリーズぇ。。。