キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ムスメっこの今年の読書感想文「本当は、いい子なんだよ」

今週、こんなぐあいで4回も
とある村のかたがたとウタゲを重ねたわけで。

月=品川サマーマラソンのアフター
火=ankoさんを囲み隊(自称)
木=?
金=?

「中京の奇跡」火曜のankoさん飲みまで
触れてきたわけで。
木曜以降のウタゲもネタぞろいなんだが。

ちょっと【閑話休題】してみる。



「ななちゃん、
読書感想文の宿題はどうするの?」

別に明確なこたえを求めていた
わけではなく、訊いてみた。

「うーん、どうしようかな。。。」



ムスメっこは、6年生。

なんていうか、
本選びもむつかしいオトシゴロ。

去年までは、絵本に毛の生えたようなものや
伝記、子ども用にやさしくした小説
なんかを選んできた。

4年生か5年生のときに
背伸びをさしてみようかと宮沢賢治の
『銀河鉄道の夜』を薦めたら。
まだちょっとわかりづらかったようで
けっきょく投げ出してしまい
親のエゴ的なことを反省したり
しなかったり、した。



6年生、となると、むつかしい。

そういう子ども向けというよりは
中学生の入口というか
ちゃんとしたものにチャレンジさせたい。

んだが、
どのへんまでならそぐうんだろうか?

ってんで。



第一候補。

いわゆる文豪のやさしい作品。
太宰とかミシマは、まだ早い。し、なにより
小学校のときからそんなんに手を出して
父親みてえな歪んだ感じになったら困る。

いずれ時期がきて。
みずからそういうのを手に取るんなら、いい。
でも、親がゴリ押しするのは、違う。

脳内で、却下。



第二候補。

じゃあ、漱石芥川系の
短くてわかりやすめなのなら、どうだろう。

『わがはいはうんぬん』とか
『こころ』とか
『羅生門』とか『蜘蛛の糸』『鼻』とか。

書庫からカビの生えた、
昭和の文庫本を、取りだす。

ぱらぱら、めくってみる。

まず、いまの文庫本よか、
Q数(字の大きさ)が、小さい。
一見して、よみづらそうだ。

あまつさえ、当時の言いまわしが
やっぱちょっと、むつかしそう。

却下。



第三候補。
『二十四の瞳』

じぶんが小学校5、6年のとき。
夏休みに高峰秀子版の映画を観て。

「高峰秀子、ジョーダマすぎる!」
をはじめとして、いろいろ考えさせられて
原作を読んで、読書感想文の宿題にした。

が、それはおれが
たまたまハマったからで。

なんらかの思い入れができれば
一気にイケるかもしれないが
やはり、ゴリ押しするもんでもない。

とりあえず保留。



第四候補。
『窓ぎわのトットちゃん』

内容、量、難易度。
どれをとってもよさげだが。

じぶんが読んだときは、
ジャストライクトットちゃんブームだったし
黒柳徹子じたい、テレビでおなじみだった。

いっぽう。
ムスメっこにとっては、徹子って過去の人。
いや、徹子のいまがうんぬんってよか
ジェネレーションギャップで。

何しろ、平成16年生まれ。
「ソ連ってなにそれ?」だし
テレビに長嶋茂雄が映ってても
「このおじいちゃん、だーれ?」
ってなぐあいだ。

保留。



というわけで。

『二十四の瞳』と
『窓ぎわのトットちゃん』を
カノジョの目の前にさしだした。

別に「これを読め」ってんじゃなくって。
こういう系とこういう系がいいとおもうんだが
どっち系でいってみようか?
(これズバリじゃなかったら、
あす本屋にそういう系、探しに行こうぜ!)

ぐらいの、ベクトル定め的な意味で。



りょうほうをぱらぱらめくり
トットちゃんに決定した。

「こういう系ってことで、ほか探す?」
「いや、これがいい」

けってー。
ちゃんちゃん。



。。。



以下、余談。
おれと、トットちゃん。



上記したとおり。
トットちゃんがバカ売れしてたころは
リアルタイムで実感してて。

小学校2、3年生だったか。

親に連れられて、黒柳徹子みずから
朗読会みたいのをやってて。

1980年代なもんだから。
その朗読会を録音したLPがある。
みたいな時代。



って、背景説明はどうでもいいとして。

トットちゃんといえば、
この表題の名言がキョライする。

image

その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当は」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。

(中略)

残念だけど、トットちゃんが、この本当の意味がわかったのは、何十年も、経ってからのことだった。でも本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたのは、事実だった。

(中略)

そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、いい続けてくれたのだった。
「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って。
念のため、但し書きしとくと。

トットちゃん=黒柳徹子
トモエ=通ってた小学校「トモエ学園」
小林先生=トモエ学園の校長先生



「おれも、ほんとうは、いい子なんだ」
そうにちがいない。
ヒロシ少年は、大きく心を揺り動かされた。

そして、コンキョゼロな自信をコンキョに
うつむきがちな少年時代を
自信マンマンにやりすごした。

それから何十年か経って。

「本当は」の意味する力点を理解できる
大人になってからも、勝手に曲解して

「おれさまちゃんは、知るひとぞ知る、マジガチ、いい子」

的な、コンキョゼロな自信をコンキョに
取るに足らないちっぽけな人生の困難を
なんとかやりすごして、いま、生きてる。

ときに「おれは、本当『に』、いい子だぜ」
ナドト、独りよがりつつ。



だからどうだってんじゃなく
そうだってだけのことで。

ムスメがトットちゃんを読了し
書いた感想文に、コレが触れられてたら
いいなあとか、wktkしてるんだが。

それこそ、親の勝手すぎるエゴなので
やっぱそんなのはどうでもよくって。
もしどこからででも、カノジョなりに
何らか感じるものがあればいいなあ
と、おもう。

泰明ちゃんのくだり、とかね。
いや、なんでもない。
なんのこっちゃ。



いま、あらためてページをめくると。
上の画像であるように。

本文の書体が、丸ゴシック系(?)なのね。

勝手に、単行本でありがちな
あまつさえ35年も前の本なので
明朝っぽいのかとおもってたが。

まあ、エセーとかコラム
ってくくりだから、そうしたんだろうかね。

何を言いたいかというと。
「きわめて、ネットぽいな」と。
「ブログに近いのかもしんない」と。

それこそ、だからどうだってんじゃない。
のたぐいだ。


。。。


そういえば、トットちゃんの続編。
『トットチャンネル』って
むかし、映画化されたよね。

斉藤由貴主演でもって。
ねえ、トガーさん。




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