とある村のかたがたとウタゲを重ねたわけで。
月=品川サマーマラソンのアフター
火=ankoさんを囲み隊(自称)
木=?
金=?
「中京の奇跡」火曜のankoさん飲みまで
触れてきたわけで。
木曜以降のウタゲもネタぞろいなんだが。
ちょっと【閑話休題】してみる。
*
「ななちゃん、
読書感想文の宿題はどうするの?」
別に明確なこたえを求めていた
わけではなく、訊いてみた。
「うーん、どうしようかな。。。」
*
ムスメっこは、6年生。
なんていうか、
本選びもむつかしいオトシゴロ。
去年までは、絵本に毛の生えたようなものや
伝記、子ども用にやさしくした小説
なんかを選んできた。
4年生か5年生のときに
背伸びをさしてみようかと宮沢賢治の
『銀河鉄道の夜』を薦めたら。
まだちょっとわかりづらかったようで
けっきょく投げ出してしまい
親のエゴ的なことを反省したり
しなかったり、した。
*
6年生、となると、むつかしい。
そういう子ども向けというよりは
中学生の入口というか
ちゃんとしたものにチャレンジさせたい。
んだが、
どのへんまでならそぐうんだろうか?
ってんで。
*
第一候補。
いわゆる文豪のやさしい作品。
太宰とかミシマは、まだ早い。し、なにより
小学校のときからそんなんに手を出して
父親みてえな歪んだ感じになったら困る。
いずれ時期がきて。
みずからそういうのを手に取るんなら、いい。
でも、親がゴリ押しするのは、違う。
脳内で、却下。
*
第二候補。
じゃあ、漱石芥川系の
短くてわかりやすめなのなら、どうだろう。
『わがはいはうんぬん』とか
『こころ』とか
『羅生門』とか『蜘蛛の糸』『鼻』とか。
書庫からカビの生えた、
昭和の文庫本を、取りだす。
ぱらぱら、めくってみる。
まず、いまの文庫本よか、
Q数(字の大きさ)が、小さい。
一見して、よみづらそうだ。
あまつさえ、当時の言いまわしが
やっぱちょっと、むつかしそう。
却下。
*
第三候補。
『二十四の瞳』
じぶんが小学校5、6年のとき。
夏休みに高峰秀子版の映画を観て。
「高峰秀子、ジョーダマすぎる!」
をはじめとして、いろいろ考えさせられて
原作を読んで、読書感想文の宿題にした。
が、それはおれが
たまたまハマったからで。
なんらかの思い入れができれば
一気にイケるかもしれないが
やはり、ゴリ押しするもんでもない。
とりあえず保留。
*
第四候補。
『窓ぎわのトットちゃん』
内容、量、難易度。
どれをとってもよさげだが。
じぶんが読んだときは、
ジャストライクトットちゃんブームだったし
黒柳徹子じたい、テレビでおなじみだった。
いっぽう。
ムスメっこにとっては、徹子って過去の人。
いや、徹子のいまがうんぬんってよか
ジェネレーションギャップで。
何しろ、平成16年生まれ。
「ソ連ってなにそれ?」だし
テレビに長嶋茂雄が映ってても
「このおじいちゃん、だーれ?」
ってなぐあいだ。
保留。
*
というわけで。
『二十四の瞳』と
『窓ぎわのトットちゃん』を
カノジョの目の前にさしだした。
別に「これを読め」ってんじゃなくって。
こういう系とこういう系がいいとおもうんだが
どっち系でいってみようか?
(これズバリじゃなかったら、
あす本屋にそういう系、探しに行こうぜ!)
ぐらいの、ベクトル定め的な意味で。
*
りょうほうをぱらぱらめくり
トットちゃんに決定した。
「こういう系ってことで、ほか探す?」
「いや、これがいい」
けってー。
ちゃんちゃん。
*
。。。
*
以下、余談。
おれと、トットちゃん。
*
上記したとおり。
トットちゃんがバカ売れしてたころは
リアルタイムで実感してて。
小学校2、3年生だったか。
親に連れられて、黒柳徹子みずから
朗読会みたいのをやってて。
1980年代なもんだから。
その朗読会を録音したLPがある。
みたいな時代。
*
って、背景説明はどうでもいいとして。
トットちゃんといえば、
この表題の名言がキョライする。

その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当は」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。念のため、但し書きしとくと。
(中略)
残念だけど、トットちゃんが、この本当の意味がわかったのは、何十年も、経ってからのことだった。でも本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたのは、事実だった。
(中略)
そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、いい続けてくれたのだった。
「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って。
トットちゃん=黒柳徹子
トモエ=通ってた小学校「トモエ学園」
小林先生=トモエ学園の校長先生
*
「おれも、ほんとうは、いい子なんだ」
そうにちがいない。
ヒロシ少年は、大きく心を揺り動かされた。
そして、コンキョゼロな自信をコンキョに
うつむきがちな少年時代を
自信マンマンにやりすごした。
それから何十年か経って。
「本当は」の意味する力点を理解できる
大人になってからも、勝手に曲解して
「おれさまちゃんは、知るひとぞ知る、マジガチ、いい子」
的な、コンキョゼロな自信をコンキョに
取るに足らないちっぽけな人生の困難を
なんとかやりすごして、いま、生きてる。
ときに「おれは、本当『に』、いい子だぜ」
ナドト、独りよがりつつ。
*
だからどうだってんじゃなく
そうだってだけのことで。
ムスメがトットちゃんを読了し
書いた感想文に、コレが触れられてたら
いいなあとか、wktkしてるんだが。
それこそ、親の勝手すぎるエゴなので
やっぱそんなのはどうでもよくって。
もしどこからででも、カノジョなりに
何らか感じるものがあればいいなあ
と、おもう。
泰明ちゃんのくだり、とかね。
いや、なんでもない。
なんのこっちゃ。
*
いま、あらためてページをめくると。
上の画像であるように。
本文の書体が、丸ゴシック系(?)なのね。
勝手に、単行本でありがちな
あまつさえ35年も前の本なので
明朝っぽいのかとおもってたが。
まあ、エセーとかコラム
ってくくりだから、そうしたんだろうかね。
何を言いたいかというと。
「きわめて、ネットぽいな」と。
「ブログに近いのかもしんない」と。
それこそ、だからどうだってんじゃない。
のたぐいだ。
。。。
そういえば、トットちゃんの続編。
『トットチャンネル』って
むかし、映画化されたよね。
斉藤由貴主演でもって。
ねえ、トガーさん。
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