キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

すでに きみは こんやくの人であつた

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続けて上原良司

いや、これあくまでオレの中でなんとなくなんだけど、
ブランキーの「海を探す」がぴったり合うような話。

ブランキーついでに言うと、マイベストは「風になるまで」なんだが、
このエントリーにはまったく関係ないので、措く。


表題はラブレターの一節。
とくにこの部分である意味はない。
言いまわしがミョーに頭に残っただけ。
方言なんだろうか。

全文(?)はこんな感じ。wikipediaから。

きょうこちゃん、さやうなら。僕は きみが すきだつた
しかし そのときすでに きみは こんやくの人であつた わたしは くるしんだ。
そして きみの こうフクを かんがえたとき あいのことばをささやくことを だンネンした
しかし わたしは いつもきみを あいしている

上に「全文(?)」と書いたのは、
wikipediaにもあるとおり、
本の文字にところどころ○印がつけられていて、
それをたどると、上の文になる
という体裁ゆえ。

文字が不自然にカタカナになってたりするのも、
その体裁ゆえ。

画像があれば一目瞭然なんだが、
パンフにしか見当たらないので、措いておく。



上原良司と「きょうこちゃん」は幼なじみ。
松本深志高校から慶応大学に進んで上京した上原。
東京で「きょうこちゃん」と再会して、想いが募ったものの、
けっきょく、
恋が実ることはなかったし、想いを打ち明けることもなかった。

上原良司の片思いだったわけではない。
相思相愛だったにもかかわらず。

というのも、すでに上原は軍隊に入っていた。
「お国のために命を捧げる」覚悟を固めていたため、
身を引いた。

「きょうこちゃん」が婚約していたのもあるんだろうが、
そういう覚悟的な側面がホンネだったんだろう。
戦時という時代背景がさせた覚悟。

という、都合のいい解釈を脳内でしておく。



この遺書が発見されたのは、
上原良司が知覧から飛び立ったあとのこと。

しかし、「きょうこちゃん」の目に触れることはなかった。

上原が身を引いたすぐあと、
「きょうこちゃん」はほかの男性と結婚してしまう。
ところが、結婚してわずか半年後(44年6月)、
結核にかかり、亡くなってしまう。

切なすぎる。



だからつまり、なんというか、
上原がこの遺書を書いた45年5月の時点で
「きょうこちゃん」はすでに亡くなっていた
ということになる。

上原は遺書を書いたとき、
「きょうこちゃん」がこの世にいないことを
承知していたらしい。



とすると、
冒頭の「さやうなら(さようなら)」は
なんに対しての別れなんだろう。

“「きょうこちゃん」がいる天国に、明日オレも行く”
んだから、どっちかつうと「こんにちは」じゃね。

ヤボなうえにゲスいケド、
ソボクにそうおもっちゃった。

くり返すが、そうなるとますます
冒頭の「さやうなら(さようなら)」は
なんに対しての別れなんだろう。



こないだのエントリーで触れた本能寺の変の研究もそうなんだけど、
歴史上のできごとを理解するには、
当時の社会なり、文化なり、価値観なり、道徳なりを踏まえておかないと、トンチンカンなことになる。

上原良司と「きょうこちゃん」のすれ違いも、まさにそう。



戦争という異常な状況で、あまつさえ結核で亡くなるとか。
相手のことをおもんぱかり、身を引いちゃう潔さとか。
身を引いたけど忘れられず、本に印をつけて想いを吐露する奥ゆかしさとか。

オレらのじいさんばあさんぐらいまで
みなふつうに持っていたはずの、
古き良き日本人の美意識。

みたいなもんが底に流れていて、
ただただ、清い。



いま、戦争じゃない状況で、
コクれずウジウジしていて、
ロマンチックに本に丸なんかつけてラブレター書いちゃう。

もしそんな20代の男がいたら、
ただただ、キモい。

そういう違い。



こんな締め方、
ただただ、ゲスい。。。