「同調圧力」って言葉があって。
だいぶ前からちょっと気になってるというか。
つき合い方に用心している。
*
結論から言うと。
「じゃあおめえはどうおもうの?
をちゃんと考えようねって己の胸に問う」
ってことで。
たとえば、大勢の意見とか、
正義とか正論とか声のデカさとかには
かならずしも、拠らないってことで。
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だからといって、むやみに
あまのじゃくとか、逆張りとか
そういうスタンドプレーをカマす
ってことじゃないし。
むしろ、それとは逆なんだケド。
キクチがそんなことほざいても
説得力皆無なので、とりあえず措く。
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すごく極端な例をあげると。
戦時中、召集令状がきて。
拒否ったり逃げたりするどころか
「わあ、うれしい!」
って言わないと非国民認定。
っていう同調圧力。
的なことがあったらしいじゃないすか。
あ、コレ、よりによって
言い方むつかしい例、えらんじったな。
まあいいや、つづける。
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「強制的に軍隊に入れられて
あまつさえ殺されることを前提とされる」
ってのがわかりきったうえでの
「わあ、うれしい!」は
いまの日本の常識からすれば
「?」って、たぶんとうぜんなるわけで。
でも、軍国主義的に挙国一致
だった当時としては
「お国のために」のもとでの
正義とか正論とかデカい声
だったわけで。
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あ、ここではその思想の善悪
を、言いたいわけじゃなく
「正義とか正論とかデカい声」
とされてることって、
しょせんそういうもんで。
ってを言いたいわけで。
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極端に極端を重ねると。
もし、本来的に究極の正義があるとしたら。
ひょっとしたら万が一
「あきらかに殺される場に強制招集され
あまつさえそれを喜ぶ」
っていう、現代では「?」なことが
実は本来的に究極の正義なのかもしれないし。
そんなもんは時勢なりなんなりで
決まってしまうもんなので、わからんと。
だからこそ。
「じゃあおめえはどうおもうの?
をちゃんと考えようねって己の胸に問う」
が、要るのではないかと。
*
。。。
*
戦時中とか、例えを間違えたな。
あきらかに。
やっぱ極端すぎた。
このエントリーで何を言おうとしたのか
どんどん、わからなくなってきた。
じぶんで。
*
。。。
*
ちょっと、戻ってみる。
なんでキクチが
同調圧力的なものに用心するようになったか。
あるいは、わざわざそんなことを
ブログで書こうとおもったのか。
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なんていうか、ですね。
正義っぽいこと、正論っぽいこと、
あるいはその声のデカさってのが
「絶対的な正義」にすりかわっちゃう。
「〜〜すべし」
「〜〜べからず」
個人レベルでおもってんならいいけど
それが塊として醸成されちゃうと
わけのわかんない同調圧力がはたらいて。
今度はそこからはずれたものが
絶対悪、排除すべきものとされちゃう。
されちゃいかねない。
っていう、あやうさ。
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これは空想っていうか妄想だが。
「みんな和気藹々、なかよくしようぜ!」
って世界があったとして。
そこに。
「かならずしもみんなとはなかよくできない」
「でも、その輪には加わっていたい」
ってひとがいたとして。
そのひとは和気藹々とも、
みんなとなかよくもできないから
この輪からは排除しちゃおうぜ!
あいつは排除されるべきひとだ!
って同調圧力がはたらいたとしたら
「それって『みんな和気藹々、なかよく』
できてねえじゃねーか」ってなる。
パラドックスが生まれる。
みたいなあやうさ。
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(とか、おもくそ婉曲してみたけど)
そういう考えの流れのゆらめきみたいのを
きのう今日ではなく
けっこう前からビシビシ感じるのよね。
言っちゃうと、違和感。
(じぶんが知ってる狭い範囲での)
ブログ界隈で。
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たとえば。
「人を不快にさせることは書かない」
って物言いって、なんすかね?
「万人が、世界中の一人残らず
不快にならないこと」なんて
はたして、あるんすかね?
その同調圧力って、なんすかね?
まあいいや。
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それがもう、
うっとうしくてうっとうしくてたまらない。
「〜〜すべし」「〜〜べからず」なんて
そもそも、ないはずじゃん。
個人の自由じゃん。
(あ、リスクヘッジ的に言っとくと。
「最低限のおとなの常識内での」自由な)
(って、こういう低レベルなリスクヘッジが
また、いちいちうっとうしくてたまらんw)
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だからこう、もっと。
個人の自由的なもの?
「おれはこれが楽しい!」
を、前に押し出したほうが
正義?正論?ぽいもので縛っちゃうよか
楽しいとおもうのよね。
その「おれはこれが楽しい!」ことが
ヒトサマから見て、楽しいか楽しくないか
ってのは、さておき。
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とか。こんな漠然としか書けないので
土日だからあえて触れてみた。
あとの言いたいことは酒場でw