キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「ブログの思春期」あるいは「思春期ブログ」、みたいなこと

ガンプよしおさんの書いたことに対して
「ブログの思春期みたいなもんでしょっ」
的なぶった斬り方を見かけたので。

「(自称)いまなお中2病あるいは小5病」
として、イッチョカミしとく。



直感的な感想として。
「ああ、出た出た!」

ぶった斬り方に対して、な。



あのう。
いちおう言っとくと、以下
「おれはこうおもう」ってだけで
誰かをdisろうって気は、ビタ一文ない。


ああ、クソめんどくせ。こういうの。。。



30前後のころ。

仕事をだんだん覚えてきて
量も質もこなせるようになってきて
「おれ、けっこうイケるんじゃね?」
万能感的なものを持ちはじめた。

目の前に現れる相手(?)を
次から次へとさばいてく。

そのスピード感に勝手に酔ってた。



すぐ近くにいた「デキる」パイセンが
まさにそういうさばいてくタイプで。

その手際のよさが身につきゃ
おれも「デキる側」にいける。
そこを目指そう!

っておもってて。
なんとなく、そのラインに乗ってきた。
おもった。



ある日、そんなんふうに
右へ左へさばきつづけた1日の終わり。

ふと、おもった。
「これをつづけてたら、
おれ、中身なしおになっちまう」


指示代名詞だらけの悪文だな。
まあいいや。



「さばく」ってのは
「つまり」を追い求めることで。

よく言えば「1を聞いて10を知ろうする」
っていうか、そういう競技(?)。

でもでも。
つまりつまり考えてると
たしかにスピードは上がるんだけど。
思考の中間ぶぶんをすっとばすっていうか
たんじゅんに接触時間を切りつめるので
あとに残るものが少ない。
じぶんの実になるものが少ない。

それって、どうなんだろう?



それからなるべく
「つまり」を考えることはよして

すげえ当たり前(とおもってる)ことでも
「ほんとうにそうなのだろうか?」
「それでいいんだろうか?」
「『おれは』それでいいとおもってんだろうか?」

いちいち、考えることにして。
いまに至る。



わりと当たり前になってきた物事を
一定の期間を置いて、
リセットして考え直すことにしてる。

スピードはガタ落ちしたが
少しは「あとに残るもの」が
でけた気がするし

ひとつひとつが実になってる気もする。



「思春期」って。
あるていどオトナになって振り返ると
青さばっかが際立つ、
恥ずかしい時期じゃないすか。

「なんのために生きてるのか?」
「これをやってなんの意味があるのか?」
「おれの未来はどうなるんだろう?」

いまとなっては馬鹿馬鹿しいことを
クソまじめに考えたりすんじゃないすか。

太宰治とか読んじゃったり。
紅茶に砂糖を入れずに飲んでみたり。



かとおもえば、一直線に。
ワケワカメな運動部の理不尽には
やたら従順だったり。

20も30も上の親にはタメ語なくせに
たかだか1コ2コ上のパイセンには
ペコペコペコペコしてみたり。

エロいことばっか考えてたり、とか。

矛盾だらけっていうか、
頭のなかがじぶんで制御でけないカオスで。



でいて。
そのころに読んだ本とか聴いた音楽を
いまでもすごく覚えてたり。

いわゆる「黒歴史」な言動とかを
思い出すといても立ってもいられないほど
恥ずかしくなっちゃうのって。

裏返せば、そのころそれだけ。
いちいち、真剣に考え、取り組んでた
ってことなのかもしれない。



なので、
ブログで思春期な物言いをするってのは
ある意味、根本的なことを考えてる
とも、言えるわけで。



あ、コレ。
自己弁護したいわけじゃないっすよ。

ガンプよしおさんの冒頭のリンク先って
根本的なことをおっさってるわけじゃないすか。

目をつぶっちゃったり
そういうものとして処理しちゃったり
しがちなことを、ちゃんと目を見開いて
未処理なまま、抱えてるわけじゃないすか。

裸の王様に「王様は裸だ」って
おっさってるわけじゃないすか。



それを総括したり
マウンティングすることは、
本来的にできないはずで。

たとえば、思春期と嗤ってたころの
「じぶんはなんのために生きてるのか?」
って問いに、

さぞかし成長したであろういまのじぶんは
ちゃんと答えられるのか?
確たる解答を見つけたのか?
(少なくともおれはさっぱりわかってない)
って話とおんなじようなもんで。

解決はせず、ただ、やり過ごしただけ。

そのやり過ごしを
「成長した」「オトナになった」
ってえのかどうかは
知らねえし、どうでもいいけど。



なんとなくの違和感とかそういうのって
理屈じゃない部分もあって。
というか、理屈にしようがないこともあって。

でいて、
抱いた「なんとなくの違和感」は
言葉ではうまく説明できないかもだけど
当人にとってはなんとなく
正解で、あったりする。

ファミレスでチキンかステーキか迷って
「きょうはなんとなくチキンだな」
っておもう回路みたいなもん。

わかりやすくたとえようとして
よけいわかりにくくなるパッターンぇ。。。



いろんなひとが
いろんな背景やスタンスや思考でもって
「マラソン×ブログ」っていう
クソ狭い世界に集ってんだから。

当然、違いはいろいろあって。
ってのは「言うまでもないこと」で。



「言うまでもないことなんか
言うのは文字数の無駄なんだから
『言うまでもない』
ってわざわざ書くのは下の下」

的なことをむかし、誰かに言われて
膝を打ったことがあるんだが。



たぶん。
ヒトサマがわりとまじめに吐露してるのを
「思春期」ってラベリングするのも
「言うまでもないこと」で。

背景には、これもたぶんだけど
それなりの信頼関係とか
あんのかもしんないケド。

。。。

おっとっと、まあいいや。
この先、どう書いても
ちょっと表現がキツくなっちゃって
言わんとしてることからぼやける。

ので、もうよす。
略すと「もす」。



おれは44のくせに
年甲斐もなく思春期しつづけたい。
いい意味で。