キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ヒトサマ(っていうかフジヤマさん)のこと言えねえ、みたいなこと

日曜は新横浜公園に行った。
オークさんが美女ガーさんたちに
基本走教室みたいなものをやるってんで
イッチョカミさしていただいたのだ。

のだ。



予習として、これが公開された。
ランニングフォームドリル動画 3選
B Skip!!
ペアドリル(はーと)

で、動画をみて、せめて
どう動くか、形だけでも頭に入れて臨むぜ。

ってつもりだったんだが。。。



オークさんの練習は
「それ以前」のところからはじまった。

いま、おわってから俯瞰してみると
「それ以前」は上の動画につながる部分。

○どこに何を意識してやるか
○何のためにやるか

への連続性(?)みたいなものを
よくわかるよう
考え抜かれたものだったんだが。

まず「それ以前」が、さっっっぱり、でけない。



わかりやすく、はしょって言うと
「形だけでも」頭に叩き込んでったやつは
「形」すぎて。

意識するポイントがまったく違ってたので
それを意識したら、頭が真っ白になる
という。

たとえば、着地位置のためのものだったり
リズミカル、なためのものだったり
するんだが、アタマ・もう・ホワイトアウトw

「わかりやすくするつもりが」パッターン?



ひとつひとつのつまびらかは、ここでは措く。

というか、オークさんが望んでるかわかんないが
せっかく教えてくだすったので
てめえのことだけにするのはもったいないゆえ
折に触れて触れていきたいが。

けっきょく「やんねえフラグぇ」になる臭いが
ぷんぷん、しなくもない。



じぶんの運動神経のなささと
リズム感という言葉の辞書になささが
おもくそ、露呈しただけでござった。

中学のころ、うんざりするほど
「基本走」ってのやらされて
ちょっとタカをくくってたぶぶんもあったが。

それはたぶん、ただルーティンでやってただけで
あまつさえ30年も前のことだから
いろいろ進化してるし、やり方も忘れてる。
ってことなんだろうなあとおもった。



官九郎さんのフジヤマプロジェクトで。
(ラダーだのやったりするやつ)
フジヤマさんとかUkeさんが
ギャグレベルにぜんぜんヘンテコらしくて。

ってのは、まったく他人事ではない。
おれも、抱腹絶倒ギャグ。ミートゥー。

そこで、Ukeさんがウクレレにたとえてた
のが、すごく頭に残ってて。

「楽器の練習をするのと似てて。
反復で動きを体にしみこませる」

ってニュアンスは、すごく当たってるな。
Ukeさんってそういう言語化能力すげえな。
ワケワカメなコスプレとかするケド
マジ、あったまいいなあ。

おもったおもいましたとさ。



「オークさんの美女ガー練習」

途中からアタマ・ホワイトアウトしただとか
早くビール飲みてえ飲みてえおもったのが
のちにそれが、すげえ裏目に出たとかは

明日以降、触れるか触れないか、する。
とりあえず、きょうはここまで。



。。。



ぜんぜん関係ないこと、言う。

いまの朝ドラをまいんちみてんだが。
どうも最初のころ引きこまれた感じと
サッコン、だいぶん感じが変わってきてて。

10代の「ほれたはれた」ばっかで。
じゃっかん、醒めた目で惰性でみはじめてる。

きょう(きのう)一段落ついたっぽい
テーマのひとつが。

「男女の友情は成立するか(しないよね)」
的なこと。



あ、朝ドラみてないひとにはワケワカメだな。

おんなじ日におんなじ岐阜の病院で生まれた
佐藤健と永野芽郁のおさななじみが
高校を卒業して、それぞれ東京に出てきて。

佐藤健・ヌッツオにチャンネーができたら
関係性のバランスが崩れ始めてきて。

でも、いままでとおんなじ感じで
佐藤健に接する永野芽郁と
そのジョーダマなチャンネーが揉めて。

佐藤健と永野芽郁は、決別した。
というのが、きょう(きのう)まで。



「男女の友情は成立するか(しないよね)」
ってのは、たぶん本筋のテーマと、はずれてる
あくまで、おれが勝手に見てる印象で。

。。。

あ、なんでこれに触れたかというと。
2つあって、こんがらがるので順番に言う。

その前に1つ、いらねえ情報を言うと。
上記「佐藤健・ヌッツオ」

おれ、どうもね。
「健」ってなまえをみると条件反射で
「ヌッツオ」つけたくなってしようがねえ。

「けん」だろうと「たける」だろうと。
これは、しようがない。
「ジョン・健・ヌッツオ」の威力がすげえ。

アルピニスト?
ブログニスト



1つは。
この、ヌッツオ、永野芽郁、チャンネー。

永野芽郁はおさななじみのヌッツオを
いままでどおりの、
おさななじみとして接しようとする。

それに嫉妬したり、うっとうしくてしようがない
ジョーダマチャンネー。

(とヤリたくてしようがない盛りの、ヌッツオ)

って図式で。
永野芽郁はコミュりょくぜろで
セルフィッシュな性格。

でも、永野芽郁が主人公だから
チャンネーが性悪みたいになってるけど。
(ほんとうにそうなのかは知らんが、一見)

この三角関係。
ほんとにダメなのはヌッツオだろ
って、おもうの。



あと1つは、
「男女の友情は成立するか(しないよね)」
いかにも、青臭いじゃないすか。

青春期に多くのひとが通り過ぎるやつ。
通過儀礼(?)的なやつ。

でも、それを44にもなって
もう一度考えるのも、いいかなとおもった。



「もう一度考える」ってえと、違うな。
いまのじぶんに置き換えて考えたとしても
何のサンプルも、学習の余地も、ねえし。



なにを言いたいかというと。

「男女の友情は成立するか(しないよね)」
じたいを考えるってんじゃなく。

そういうことを
「若いころって、そういうもんじゃん」
「青春って、いいっすねえ」
ナドト、へんにベテランっぽく
悟りすました目で見るのは、アレで。

ひょっとしたら、ちょっともったいなくって。



その「悟りすました目で見ようとする」
じぶんをいましめるっていうか。

そういう青臭いが、しかし
当時は切実だったに違いない想いを
ためしにちゃんと考えてみるっていうか。

いま、44だからこそ
44の感性では、どう当たるか。
って考えたら、いい暇つぶしになるかも。
おもった。



えーっと。
どんどん言いたいこととずれてる。

たとえば、ですね。
ななちゃんが、おんなじ悩みを持ったとして
仮にその話を、おれ(父)に持ち込んできたとする。

それにちゃんと乗ってあげるニュアンス。



おれは父親として。

「エラソーに『それが青春だよね』っても
ムスメっこには、なんのアンサーにもなんないし」

「でも、そこに没入っていうか、
盲目的になりすぎるのも、イタいだけだし」

「でいて、冷静と情熱のあいだっていうか、
どうやって、その融和点にゆきつけばいいか」

とかって、考えるじゃないすか。
じぶんのムスメっこがそれにぶち当たって
ガチでなやんでたとしたら。

「いま、もっと悩んどけ悩んどけ」
って、おもうはんめん
「悩んでるムスメっこにいたたまれない」
「この子の参考になるアドバイスしたい」
って、バカ親だからおもう。

そういうの。



ううむ。なんつうんだろう?

「いまさらちゃんと、太宰治とか村上春樹を
もう一度、読み返してみる」ニュアンス?

「青春期の通過儀礼」としてありがちな
ただの、もののたとえ。



。。。



このエントリーの着地点がみつからないので。
無モテ・クソブサ・キモメンが
青春期にあみだした悟りを、うすくあさく
意味もわからず、さらしとくと。

。。。

あ、いいや。
ガチであっさくて恥ずいので、書いて消した。



でも、コウ。
「男女の友情は成立する」
って真正面から信じたい時期ってあって。

よしんば「男(女)同士の」ってのもあって。
でいて、同性の仲よかったやつに
チャンネーができたりすると
局面があたりまえに一気にガラッと変わって。

なんていうか、「無常」っていうか
ものすごく脆弱なあやうい信頼関係を
よすがにしてたおれのばかばかばかーって
自責する経験。ってのも、ひつようなのかも。

それがなんの役に立ったのかは
はなはだ、わかんねえケド。