キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の「辺境クソブログ」。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

関根勤が語った「お笑いの才能がない萩本欽一」、みたいなこと

先週、ラジオで聴いた関根勤の話。

欽ちゃんって、もともと
芸人を目指してたわけじゃなくて
お笑いへの才能も思い入れもまったくなかった。
らしくって。

ってのがものすごく印象深かったので
あいまいな記憶だけでものしとく。
細部が合ってるかどうかは、知らん。



欽ちゃんは、貧乏な映画好きで。
「お金持ちになってお母さんに
大きい家を買ってあげたい」
っておもってて。

そしたら、スクリーンに出てくる俳優。
みんな大金持ちだから
「おれも映画俳優になろう」
っておもったんだけど。

鏡を見たら、タレ目だし
映画俳優は無理だな、瞬時に悟った。



じゃあ、落語家になろうと。

有名な落語家に弟子入りしようと
家を訪ねようとしたら。

その隣にもっと立派な家があって。
それがお笑い芸人だか喜劇役者の家
だったらしいので、お笑い芸人を目指したと。



別にお笑いに興味も思い入れもないけど
売れたら、こんな家に住める。
お母さんに楽をさせてあげられる。
ってだけで。



いざ、はじめると。
じぶんには徹底的に才能がない。
ということに気づく。

たとえば、コントで
手をどう動かせば、見栄えがするか。
さっぱり、わからない。

さっぱりわからないので。
すきな映画をみにいき、
いろんな役者の肘から先の動きだけをみて
研究して、手の動かし方を学んだ。



ことほどさように。
何から何まで他人の言動を観察し
研究して、じぶんのものとして構築してった。
という。



才能があるひとなら。
とくだん意識せずとも、できる。

芸能にかぎらず、
「天才」と呼ばれるひとのパフォーマンスは
そのひと一代かぎりのもので
誰もマネすることができない。

よしんばその「天才」がコーチになっても
じぶんは才能でできてしまったので
できないひとをできるようにするすべが
わからない。
伝える手段を持ってない。

名選手、必ずしも名監督にあらず的な。



でも、欽ちゃんは。
お笑いのノウハウをひとに伝えることができる。

こういうときにどうしたら
もっと笑いがとれるか。
教えることができる。

なぜなら、才能がないから。
じぶんのなかですべて理論立てて
積み上げてったから。

なんだと。



。。。



語弊覚悟でいうと。

マラソン界隈のブログを書いてるひとでも
「ランニングの理論をわかりやすく伝える」
というジャンル(?)に長けた方がいる。

そういう方ってのは、ある意味、本来的に
ランニングの素質がたぶんなくって。

でも、だからこそというか。
欽ちゃんのように、動きとか
一つずつをがまん強く積み上げて
いまみたく、すげえ速くなったんだろう。

どんだけいろいろ積み上げたんだろうとか。
ただただ、敬服するしかない。



じゃあ、だ。

才能があるわけでもなく。
研究熱心でもなく。
理論化するほど脳みそもなく。
ひとに伝えられる能力もない。

そんな、ここにいるみたいな人間は
どうすりゃいいんだろう?



ひとに伝えることを前提に
じぶんのなかの雑多を整理してみる。
そしたら少なくとも、じぶんには伝えられる。
明確な論理と言語をもって。
ってのも、ひとつの方法かもねん。

あるいは。
ひと(じぶん)に伝えられなくたって、いい。
「なんか楽しいから、楽しむ」

おう、それもわるくないじゃんぽえむ。