先週、ラジオで聴いた関根勤の話。
欽ちゃんって、もともと
芸人を目指してたわけじゃなくて
お笑いへの才能も思い入れもまったくなかった。
らしくって。
ってのがものすごく印象深かったので
あいまいな記憶だけでものしとく。
細部が合ってるかどうかは、知らん。
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欽ちゃんは、貧乏な映画好きで。
「お金持ちになってお母さんに
大きい家を買ってあげたい」
っておもってて。
そしたら、スクリーンに出てくる俳優。
みんな大金持ちだから
「おれも映画俳優になろう」
っておもったんだけど。
鏡を見たら、タレ目だし
映画俳優は無理だな、瞬時に悟った。
*
じゃあ、落語家になろうと。
有名な落語家に弟子入りしようと
家を訪ねようとしたら。
その隣にもっと立派な家があって。
それがお笑い芸人だか喜劇役者の家
だったらしいので、お笑い芸人を目指したと。
*
別にお笑いに興味も思い入れもないけど
売れたら、こんな家に住める。
お母さんに楽をさせてあげられる。
ってだけで。
*
いざ、はじめると。
じぶんには徹底的に才能がない。
ということに気づく。
たとえば、コントで
手をどう動かせば、見栄えがするか。
さっぱり、わからない。
さっぱりわからないので。
すきな映画をみにいき、
いろんな役者の肘から先の動きだけをみて
研究して、手の動かし方を学んだ。
*
ことほどさように。
何から何まで他人の言動を観察し
研究して、じぶんのものとして構築してった。
という。
*
才能があるひとなら。
とくだん意識せずとも、できる。
芸能にかぎらず、
「天才」と呼ばれるひとのパフォーマンスは
そのひと一代かぎりのもので
誰もマネすることができない。
よしんばその「天才」がコーチになっても
じぶんは才能でできてしまったので
できないひとをできるようにするすべが
わからない。
伝える手段を持ってない。
名選手、必ずしも名監督にあらず的な。
*
でも、欽ちゃんは。
お笑いのノウハウをひとに伝えることができる。
こういうときにどうしたら
もっと笑いがとれるか。
教えることができる。
なぜなら、才能がないから。
じぶんのなかですべて理論立てて
積み上げてったから。
なんだと。
*
。。。
*
語弊覚悟でいうと。
マラソン界隈のブログを書いてるひとでも
「ランニングの理論をわかりやすく伝える」
というジャンル(?)に長けた方がいる。
そういう方ってのは、ある意味、本来的に
ランニングの素質がたぶんなくって。
でも、だからこそというか。
欽ちゃんのように、動きとか
一つずつをがまん強く積み上げて
いまみたく、すげえ速くなったんだろう。
どんだけいろいろ積み上げたんだろうとか。
ただただ、敬服するしかない。
*
じゃあ、だ。
才能があるわけでもなく。
研究熱心でもなく。
理論化するほど脳みそもなく。
ひとに伝えられる能力もない。
そんな、ここにいるみたいな人間は
どうすりゃいいんだろう?
*
ひとに伝えることを前提に
じぶんのなかの雑多を整理してみる。
そしたら少なくとも、じぶんには伝えられる。
明確な論理と言語をもって。
ってのも、ひとつの方法かもねん。
あるいは。
ひと(じぶん)に伝えられなくたって、いい。
「なんか楽しいから、楽しむ」
おう、それもわるくないじゃんぽえむ。