そういうことじゃ、なくって。
たまにどっかで言われてるじゃないすか。
「そのうちテキストメディアはなくなって」
「動画メディアに取って代わられる」
そういうたぐいのやつ。
*
たとえば、ツイッター的なやつが
インスタ的なものに取って代わられる、的な。
いちいち文字は書かなく/読まなくなって。
動画でもって、すべてを伝える。
「このステーキ、マジクソうめええ!」
なんて文章じゃなくって。
マジクソうまそうなステーキが運ばれてきて
マジクソうまそうにそれを食ってる動画。
そのさまをみれば、わかりる。っていう。
直接的でいいじゃん。っていう。
*
そういう伝達のしかたが
(実際もう大いにあるんだが)
もうじき、主流になってく。
主流ってえと、伝わりづらいな。
それは。
いまや、「字を書く」ってえと
筆記用具で紙に書くんじゃなくて
キーボードなりなんなりで打つ。
のが、アタリマエになってて。
「手書き原稿」なんていうのが
逆に稀少になっちゃってるように。
「え? 原稿、手書きなんすか!?」
的な、ドラマチックな変換。
パラダイムシフト、ってえの?
イノベーション、てえの?
そういう。
*
あ、何言ってんだかわかりづらいっすね。
ひとまず措きまするね。
*
ブログってのは、いま
大多数がテキストで構成されてる。
それが、もう間もなく。
「え? ブログ!?(ぷぷぷ)」
「きょうび、キーボードなんか打ってんの!?」
みたいなことになって。
「ブログ」って言葉じたいが
「文通」ぐらいのレトロ感を帯びる。
ってときが来るとして。
*
おれらは、手書きにせよキーボードにせよ
「文字を書く・読む」っていう
旧文化にまみれてきたので。
なおかつそういう旧文化の下で
ある程度、齢も重ねちゃったので。
「もう、文字なんか書かねえよ」
って時代になっても、もう対応しきれない。
と、おもう。
*
で、こういうふうに。
順を追って説明すんのめんどくさくなったので。
はしょって、すっとばしますね。
「おめえキクチよお、
ぜんぜん措いてねえじゃねーかよお」
お、おう。。。
*
。。。
*
このエントリーで何が言いたいかというと。
「じゃあ、口述筆記ってどうなんだろ?」
書く=「喋る」
書く=「ペンをもつ」「タイプする」じゃなく。
音声入力ってやつ。
*
こういうの。
前にどっかでほざいたような気がするが
クソ辺境内を「音声入力」だの
「口述筆記」だので検索しても
何もヒットしなかったので、つづけますね。
*
つづけるんだけど。
いろいろはしょって。
いろいろ書いてはみたけど、大幅削除。
*
このエントリーで。
ほんとうに言いたいのは何かっていうと。
「喋る速度でブログ書けたら。
と、おもうとなんだかwktkしてきません?」
*
ブログをキーボードでもって書くとすると。
どんなに速いひとでも
キーボードを打つ速度ってのは
考える速度よりぜんぜん遅くって。
せっかく、いいネタひらめいたとしても。
それが頭から腕を伝って
指先でタイプするまでのタイムラグで
ちょっとニュアンスが変わってきちゃう。
ってこと、あるじゃないすか。
ってのが、もどかしくてしようがない。
*
「ねえよ!」だとしても、仮にあるとして。
「おめえみてえな、三歩歩くと忘れる
ニワトリ脳とはちげえんだよ!」
だとしても、仮にタイムラグがあるとして。
*
その速度が。
思考>>>>>>>>>>>キーボード
だとしたら。
脳みそから指先のキーボードよか
脳みそから口先のほうが距離が短いぶん
思考>>>口述>>>>>>>>キーボード
ってなったら、動線が速くなる。
知らねえけど。
*
ってリクツで。
音声入力、口述筆記をモノにしたら
ひょっとしたら、よけいなことが混ざらないぶん
クソ辺境も、少しはクオリティあがるんじゃね?
絶滅待ったなしのクソ辺境にも
救いの手がさしのべられるんじゃね?
って、ちょっとwktkしたりなんかして。
本格的に(?)音声入力に参入してみようってんで
試してみたらば。。。
つづく。
*
なんだが。
こんなんののてんまつに、誰もニーズねえよな。
まあいいや。
つづけたほうがいい気がしたら、つづける。
しなかったら、なかったことにするw