アレキさんとごいっしょできる機会があって。
けっこう飲んだんだけど
アレキさんと飲んだ史上では初。
すべての記憶がバッチリ残ってて。
(いや、アレキさんと同席したウタゲで
記憶が残ってるって、おれ比すげえことなんだぜ)
そんなことはどうでもいいとしても
「永世サブフォー」って言葉が
なんだかとってもいいなとおもった。
*
ちょっと前に
「フォーエバーサブフォー」ってのを
提唱したかたがいらして。
フォーエバーサブフォーってのは。
「1年に最低1本、マラソンでサブフォー。
ってのを、キープできるようがんばろうぜ」
的なことだったとおもう。
(サブフォー=4時間以内に完走)
*
似てまったく非なるのが、「永世サブフォー」。
「何回サブフォーをとったか」は、関係ぶう。
一度でもまぐれでも奇跡でも瞬間風速でも。
獲ったサブフォーは、
まぎれもないサブフォーで。
それを孫子の代まで、
「おれ、サブフォーランナーだし」
って、胸を張れる感じのやつ。
*
なんていうか。
たとえ方がたぶんだいぶ間違ってるが、
あくまで感覚でいえば。
「フォーエバー」はTOEICみたいなもんで。
「永世」は東大みたいなもん。
*
東大。
東京大学にいちどでも籍を置いたことがあれば
履歴書にかなりホマレな感じで
「東京大学」って書けるじゃないすか。
それは。
のちに博士号を獲ろうと、院で降りようと
中退しようと除籍になろうと、
入学したことがありさえすれば「東京大学」。
「永世サブフォー」は
そんなんホマレなニュアンス。
*
。。。
*
アレキさんがごくまれに
マラソンについて語るとき。
「おれもいちおうサブフォー獲ったんだけどね」
「だからサブフォーについては
語るに十分あたいするとおもうんだけどね」
って、すげえはにかみつつ
ギャグめかしておっさることがある。
*
いや。
「別にサブフォーしたことがあるから
サブフォーのことを語る資格がある」
あえて逆にいえば
「サブフォーしたことがないひとは
サブフォーを語る資格がねえ」とか
そういう無粋なことじゃなくて。
*
なんかコウ。
いい意味で、到達者としての
パねえ偉業感、なくね?
「『アレキさん』がサブフォーしたことある」
って。
当時のこと、リアルタイムでは知らんが
待望論感もさぞ、パねかったんだろうし。
*
ただ。
サブフォーをしたことがあれば
「永世サブフォー」ってわけじゃなくて。
あのう。
サブフォーをしたことあるひとなんて
世間にいっぱいいるんだろうが。
それはあくまで「サブフォーランナー」で。
称号としての「永世サブフォー」。
これが似合うひとは
アレキさんを置いてほかには、いない。
ような気がする。
と、豪語していい。
ような、気がする。
オーストラリア語していい。
(おめえ、おもしろくもなんともねえなっ!)
*
だってね。
かもしだす偉業感もさることながら。
アレキさんが語る「サブフォー」って
ちょい、おもいうかべただけでも
はかりしれないロマンを感じるじゃないすか。
おれは。
サブフォーを語るアレキさんって
目撃したこと、ねえんだけどな。。。
*
。。。
*
いいな、とおもった「永世サブフォー」。
そういえば、誰が言い出したんだっけ?
覚えてねえ。。。
ええええっ? 舌の根ぇ(↓)
けっこう飲んだんだけど
アレキさんと飲んだ史上では初。
すべての記憶がバッチリ残ってて。