キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「永世サブフォー」という称号がもっとも似合うひと。それは・・・

12月某日。
アレキさんとごいっしょできる機会があって。

けっこう飲んだんだけど
アレキさんと飲んだ史上では初。
すべての記憶がバッチリ残ってて。

(いや、アレキさんと同席したウタゲで
記憶が残ってるって、おれ比すげえことなんだぜ)

そんなことはどうでもいいとしても
「永世サブフォー」って言葉が
なんだかとってもいいなとおもった。



ちょっと前に
「フォーエバーサブフォー」ってのを
提唱したかたがいらして。

フォーエバーサブフォーってのは。

「1年に最低1本、マラソンでサブフォー。
ってのを、キープできるようがんばろうぜ」
的なことだったとおもう。

(サブフォー=4時間以内に完走)



似てまったく非なるのが、「永世サブフォー」。

「何回サブフォーをとったか」は、関係ぶう。
一度でもまぐれでも奇跡でも瞬間風速でも。
獲ったサブフォーは、
まぎれもないサブフォーで。

それを孫子の代まで、
「おれ、サブフォーランナーだし」
って、胸を張れる感じのやつ。



なんていうか。
たとえ方がたぶんだいぶ間違ってるが、
あくまで感覚でいえば。

「フォーエバー」はTOEICみたいなもんで。
「永世」は東大みたいなもん。



東大。

東京大学にいちどでも籍を置いたことがあれば
履歴書にかなりホマレな感じで
「東京大学」って書けるじゃないすか。

それは。
のちに博士号を獲ろうと、院で降りようと
中退しようと除籍になろうと、
入学したことがありさえすれば「東京大学」。

「永世サブフォー」は
そんなんホマレなニュアンス。



。。。



アレキさんがごくまれに
マラソンについて語るとき。

「おれもいちおうサブフォー獲ったんだけどね」
「だからサブフォーについては
語るに十分あたいするとおもうんだけどね」

って、すげえはにかみつつ
ギャグめかしておっさることがある。



いや。

「別にサブフォーしたことがあるから
サブフォーのことを語る資格がある」

あえて逆にいえば
「サブフォーしたことがないひとは
サブフォーを語る資格がねえ」とか

そういう無粋なことじゃなくて。



なんかコウ。
いい意味で、到達者としての
パねえ偉業感、なくね?

「『アレキさん』がサブフォーしたことある」
って。

当時のこと、リアルタイムでは知らんが
待望論感もさぞ、パねかったんだろうし。



ただ。
サブフォーをしたことがあれば
「永世サブフォー」ってわけじゃなくて。

あのう。
サブフォーをしたことあるひとなんて
世間にいっぱいいるんだろうが。

それはあくまで「サブフォーランナー」で。

称号としての「永世サブフォー」。
これが似合うひとは
アレキさんを置いてほかには、いない。
ような気がする。

と、豪語していい。
ような、気がする。

オーストラリア語していい。
(おめえ、おもしろくもなんともねえなっ!)



だってね。

かもしだす偉業感もさることながら。

アレキさんが語る「サブフォー」って
ちょい、おもいうかべただけでも
はかりしれないロマンを感じるじゃないすか。

おれは。
サブフォーを語るアレキさんって
目撃したこと、ねえんだけどな。。。



。。。



いいな、とおもった「永世サブフォー」。
そういえば、誰が言い出したんだっけ?

覚えてねえ。。。

ええええっ? 舌の根ぇ(↓)
けっこう飲んだんだけど
アレキさんと飲んだ史上では初。
すべての記憶がバッチリ残ってて。