キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

言葉をいくつか用意してそのなかからしっくり来たものを採用する、みたいなこと

「ブログを書くときに、
言葉をいくつか用意しといて
そのなかからしっくり来たものを採用する」
って、すごくね?

「雪質や天気天候に応じてワックスをチョイス
するのはアタリマエっすよね」的な。
荻原ツインズ感。プロ意識。

たとえ話かとおもったら、まじなんだもん。
「そう言われてみれば。。。」
って、なんとなく思い当たる節も、
あるような気がしてきたもん。



まあ、なんていうか。
主語を出さないまま話しても
すげえわかりづらいままだから、措いて。



何が言いたいかというと

「用意する言葉の数」ってのは、このバヤイ。
パッションだのモチベーションに比例してる
ともいえる。ってことで。。。

じゃねえや。

。。。

あああ。

「きょうは肉を食うか、魚を食うか」ぐらいの
大雑把でぼんやりした段階から
もともと食うつもりだったのの逆を
正々堂々とチョイスするとこだった。

あっぶねー。かつ
ヒトサマにとっちゃクッソどうでもいいいい。



言いたかったのは
ちょっと観念的でわかりづらいんだが。

「いまや言葉を用意してないおのれに気づく」
みたいなことで。



。。。



あるていど年齢を重ねてくると、あるじゃないすか。
「時間の流れが異常に早まる」的な。

いろんな経験値が増えてたり
効果・効率的に、王道を見つけてたり
気力や体力や好奇心が以前とは違ったりで
起きるもので。

あとはくり返しさえすりゃいいから
ある意味、とっても楽じゃないすか。



それはある部分「熟練した」とも言えるが
ある部分「閉ざしてしまった」とも言えるわけで。

閉ざしても閉ざさなくてもいいんだけど
「閉ざしてしまってます」ということを
自覚してるかしてないかが大きな差で。

自覚もできてないと、こりゃマズいっすよ。



ということを
「書くときに、言葉をいくつか用意して
そのなかからしっくり来たものを採用する」
「ということをしなくなった(できなくなった)」

という語りから気づかされて、
ハッとしてしまった。



たとえば。

「ブログ的に使っておけば楽な言葉」
ってのがじぶんなりにあるじゃないすか。

それはそれで、いいのかもしんないケド
「そういうもんでしょ」
「こうしときゃいいんでしょ」
ってんでとりあえず配置しとく。
的なことは、ここクソ辺境でも往々にしてあって。

「措く」とか、ね。

あまつさえ、自覚すらしてなかった。
ってのを自覚した衝撃っていうか。

ああ、「あまつさえ」もだな。



。。。



こんなこと、言うひつようはないかもだが。
「ブログを書く」ということに対しての熱量が
「ジョグをがんばる」と同程度に少ないサッコン。



熱量が多くても少なくても
どうでもいいとしても。
「こうしときゃいいんでしょ」
的にこなしてる感がありありで。

そうやって、こなしに入ってんなら
別にやんなくてもいいだろ、だし
やるんなら、ちゃんと考えようよ。

めんどくさくて、じっさい考えないとしても
考えたほうがいいなとは、おもってようよ。

って、おもったおもいましたとさ。

という、ワケワカメぽえむ。あんゆ。




「じぶんがしっくりできる言葉を選ぶ」
みたいなことを考えてたら。
史上最強、適切な言葉を選んでるって意味で
むしょうに「花束を君に」が聴きたくなったので
朝からヘビロテしてる。

そして、さっぱりわからないが。
「9月は宇多田ヒカルを最初から聴き直す月間にしよう」
と、今月の行動指針がさだまった。

22日も過ぎてからw