「ブログを書くときに、
言葉をいくつか用意しといて
そのなかからしっくり来たものを採用する」
って、すごくね?
「雪質や天気天候に応じてワックスをチョイス
するのはアタリマエっすよね」的な。
荻原ツインズ感。プロ意識。
たとえ話かとおもったら、まじなんだもん。
「そう言われてみれば。。。」
って、なんとなく思い当たる節も、
あるような気がしてきたもん。
*
まあ、なんていうか。
主語を出さないまま話しても
すげえわかりづらいままだから、措いて。
*
何が言いたいかというと
「用意する言葉の数」ってのは、このバヤイ。
パッションだのモチベーションに比例してる
ともいえる。ってことで。。。
じゃねえや。
。。。
あああ。
「きょうは肉を食うか、魚を食うか」ぐらいの
大雑把でぼんやりした段階から
もともと食うつもりだったのの逆を
正々堂々とチョイスするとこだった。
あっぶねー。かつ
ヒトサマにとっちゃクッソどうでもいいいい。
*
言いたかったのは
ちょっと観念的でわかりづらいんだが。
「いまや言葉を用意してないおのれに気づく」
みたいなことで。
*
。。。
*
あるていど年齢を重ねてくると、あるじゃないすか。
「時間の流れが異常に早まる」的な。
いろんな経験値が増えてたり
効果・効率的に、王道を見つけてたり
気力や体力や好奇心が以前とは違ったりで
起きるもので。
あとはくり返しさえすりゃいいから
ある意味、とっても楽じゃないすか。
*
それはある部分「熟練した」とも言えるが
ある部分「閉ざしてしまった」とも言えるわけで。
閉ざしても閉ざさなくてもいいんだけど
「閉ざしてしまってます」ということを
自覚してるかしてないかが大きな差で。
自覚もできてないと、こりゃマズいっすよ。
*
ということを
「書くときに、言葉をいくつか用意して
そのなかからしっくり来たものを採用する」
「ということをしなくなった(できなくなった)」
という語りから気づかされて、
ハッとしてしまった。
*
たとえば。
「ブログ的に使っておけば楽な言葉」
ってのがじぶんなりにあるじゃないすか。
それはそれで、いいのかもしんないケド
「そういうもんでしょ」
「こうしときゃいいんでしょ」
ってんでとりあえず配置しとく。
的なことは、ここクソ辺境でも往々にしてあって。
「措く」とか、ね。
あまつさえ、自覚すらしてなかった。
ってのを自覚した衝撃っていうか。
ああ、「あまつさえ」もだな。
*
。。。
*
こんなこと、言うひつようはないかもだが。
「ブログを書く」ということに対しての熱量が
「ジョグをがんばる」と同程度に少ないサッコン。
*
熱量が多くても少なくても
どうでもいいとしても。
「こうしときゃいいんでしょ」
的にこなしてる感がありありで。
そうやって、こなしに入ってんなら
別にやんなくてもいいだろ、だし
やるんなら、ちゃんと考えようよ。
めんどくさくて、じっさい考えないとしても
考えたほうがいいなとは、おもってようよ。
って、おもったおもいましたとさ。
という、ワケワカメぽえむ。あんゆ。
*
「じぶんがしっくりできる言葉を選ぶ」
みたいなことを考えてたら。
史上最強、適切な言葉を選んでるって意味で
むしょうに「花束を君に」が聴きたくなったので
朝からヘビロテしてる。
そして、さっぱりわからないが。
「9月は宇多田ヒカルを最初から聴き直す月間にしよう」
と、今月の行動指針がさだまった。
22日も過ぎてからw