キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

祝福されて生まれてくる、みたいなこと

きのう、いとこに孫が生まれた。
そのいとこはおれよか1まわり上なんだが
ともかく世代階層的に、おれも
おじいちゃん世代ってことだ。

まっこと、めでたい。



とかなんとか言っといて。
いとこ階層に孫がでけたのは
これが初めてではない。

今回生まれたのは、母方のいとこの孫で。
母親はきょうだいのなかでは末っ子だが、
父親はさらにぶっちぎりの末っ子(?)なので。

(父が生まれるとき、いちばんうえの叔母が
すでに嫁いでてお産の手伝いにきたとかなので)

いとこの孫階層の最年長は、
すでに成人してたりする。

ワケワカメな、いらねえ情報。



そんな感じで、もともと。
父方のいとこのボリュームゾーンは
1世代か2世代上なので、措いて。



母親もきょうだいでは末っ子なんだが。
母方のいとこ階層のボリュームゾーンは
おれがだいたい中間の
プラマイ干支ひとまわりぐらいで収まってて。

幼少のみぎり。
盆暮れに母の田舎の浜松に帰ると
それなりに遊んでたりもしたので。

今回の、いとこの孫誕生は、なんだか
ちょっと感慨、みたいなものがあって。



むかし中高生のころ、親戚一同で。
なんたら半島からフェリーに乗って
伊勢神宮にいったときに。

このたび、おじいちゃんになったいとこが
連れてきたカノジョが。
このたび、おばあちゃんになって。



このたび、母親になったいとこの子が
赤ん坊のとき、親戚一同でキャンプにいって
あやしてて、うんこもらしたりしてたのに
その子が母親になったんだなあ。

とかおもうと、感慨もひとしおなんである。



日本語がめちゃくちゃだ。



いとこに孫が生まれたってニュースは。
Facebookでもって、知った。

いとこの嫁さん(新おばあちゃん)の
タイムラインに、そのお母様から
「あなたが生まれたときはね」
みたいなコメントが入ってて。

横からそれをかいま見て。
生命の連綿っていうか
「だいたいの新しい生命ってそうやって
祝福されながら誕生すんだよね」

ってことに、感じ入りつつ。

いとこの孫、すくすく育ちやがれ。
せつに願いつつ。

おれのムスメっこが生まれたときのことを
おもいだしたりおもいださなかったり、した。



ムスメっこが生まれたのは。
年末の大雪の日で。
たしかに、大祝福でもって、迎えた。

面会時間が終わった夜。
中野の病院の近くの小料理屋で
あっちとこっちの親と
どんちゃん騒ぎしたりとか。



そのムスメっこもすくすく育って
中学生になり、まだ育ってる。



。。。



新学期がはじまった(?)9月1日と
今週の月曜、9月4日の朝。

小田急線が人身事故で遅延した。

それらの原因が何なのかは知らないが。

新学期がはじまる時期は、同時に。
人間関係とかになやみ絶望した生徒や学生が
自ら生命を絶つことが多いんだそうだ。

ってことを聞くので。
なんだか、身につまされる。
ものすごーく、身につまされる。



それをじぶんの周りに置き換えて想像すっと
あまりにも苛烈すぎて、
途中で想像を遮断するか、酒でも飲まないと
やってらんねえぜ、ぐらい。

絶望したんだか、なんだか知らんが。
彼らだって数年前、周りじゅうからのべつ
祝福されて出発したはずなのにな、とか。

やるせなす。



そんなこともあって。新学期がはじまり
いちおう、ムスメっこに問う。

「学校はどうよ?」

ムスメっこは「いままでどおり」と答える。

「楽しい?」と問うと
「ふつう」と答える。
受け答え・ザ・思春期って感じだ。

とりあえず、不穏なシグナルは感じられないが。

いくらアンテナを張ってたとて
よっぽどのことがなけりゃ
不穏なシグナルなんて、そうそう
感じ取れるもんではない。
とおもうんですよね。

あんな思春期のぶっきらぼうから。



てめえが中高生のときをおもいかえしても。

日常のささいなできごとにまつわる
くだらねえなやみなんて
親にだけはぜってー悟られないようにしたし。

ね。



とにもかくにも、総じて想像するに。いま。
ムスメっこの近辺は、まったくのべた凪っぽい。

ちょっと父親にぶっきらぼうすぎること
を除けば。まっこと、
幸せでラッキーなことである。

「祝福されて生まれてきたんだから
今後も祝福されたまま、すくすく育ちやがれ」
おもう。

「よしんば、すくすくじゃなくても
そこそこふつうなライン上で育ちやがれ」
おもう。

だからどうだってんじゃない。
まとまりがつかねえまま、ぽえむ。



あ、きょうはいくらなんでもってんで。
4日ぶりに走った。ごくぽくぽく。
それも、だからどうだってんじゃない。

20170906jog