キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

キクちゃん、おたんじょうびおめでとう!(るつぼオブ自作自演)

まあ、何のことはない。
43歳になったってだけだ。

しかし、43歳のベタ凪感ってすげえ。
何かを得たり失ったり、考えたりとか
そういうの、ビタ一文ねえ。

なんかの免許を得られることもないし。
誰々は43で亡くなったしとか
重ねられるひともいねえ。

そういうビミョー。

なんかもう大手を振るって「アラフォー」
って感じでもねえし。



で。
キレイゴトじみたことを言う。



きょう43歳になった。
SNS的にお祝いのメッセージをもろて
ぜんぶ、とてもうれすい。

43歳のクソブサじじいに
メッセージをわざわざくだすったひとに
感謝の念を忘れることはない。



家族。
「あしたの誕生日は、外でウタゲでしょ」
ってんでのきのう日曜。

「ステーキ、食いてえなあ」
「おれ、高い肉買ってくるから。
焼いて、みんなで食おう」ってって。

午前中にちょっとジョギングして。
それから肉を買おうとおもってって帰ってきたら。

家のなかはからっぽで。

ジョギングしにいったすきに。
にょうぼう、肉買いにいってやあがった。

うまい肉。たらふく食わせてくれやがった。
焼き具合も、いちばんすきな感じだった。
自作自演、失敗。

いろいろうれしかったが、措く。



いっぽうおれは。
そろそろ誰も祝ってくれない齢かなって観念して
きょうの誕生日宛てに
じぶんでじぶんにプレゼントした。
念願の、おそよ~♪( ´ ▽ ` )ノ♡
うーむ、とりあえず、措く。
第2弾と3弾も、ある。自作自演成功。かな。



前段いろいろ措いて。

ものすごくキレイゴトじみてるが。
なんのベタ凪な43歳になって、おもったこと。

「そろそろ、感謝をかえす齢じゃねえか」



ってのも、そもそも。
これまで、おたんじょうびってもんは
「おれ、祝われる前提」って考えがあった。

「おめでとう!」



だが、ちょと待て。

それは、何の何に対しておめでとうなのか。
きょういちんち、考えてみた。

ずっと、考えてた。

ない脳みそで考えて、つきつめると、
「たんじょうびは母親を祝う日なんじゃねえか」
おもった。

おのずと、おもつちまつた。



いま、母親と同居してるので
ぶっちゃけ、うざいことのが、多い。

おれがそうおもってんだから
いくら結婚前にいろいろ話し合ったからって
アカの他人のくせにひょうひょうとしてる
にょうぼうなんか、マジ防御力すげえな。
おもう。

ってのは措いても。
あらためて考えるとしても。



が、おれがいまコウ。
好き勝手におさけを飲んだり。
マラソン走ったりしてるのは。

にょうぼうのおかげと無関心もあるが。
根本はやっぱり母親のおかげで。

そういうことをちゃんと
考えてるべきとき。来たんではないかと。



25年前にクモ膜下をやり。
2年前に脳梗塞やったくせに
くたばりぞこなってる。

ばかりか、いまは
ぴんぴんしてる悪運のつおい母親。

脳梗塞やって入院してびびってるとき
担当医に呼ばれて、レントゲンみせられて。
「心臓にあったカタマリがもし
同じ弁からそっちに飛んでたら、即死、
あっちに飛んでたら、寝たきり。
キクチさんはたまたまこっちに飛んだんで
いまこうしているんですよねえ」

ぐらいの、地獄からの使者www

梗塞がこっちに飛んでたから
2年前のビアぼっち、いけたんだよね。
あんときに迎えてくれたみなさん
ホントうれしかったなあ。

とか。ってのもふくめ。

おれは、いいかげん
しかるべき、謝意を示しとくべきとき
ではないかと。



直接いうのは照れくさいので
ぜったいみないだろう、ここで言っとく。

「母ちゃん、おれ産んでくれてありがとう」
「育ててくれてありがとう」
「父ちゃんとはしたことないケド
母ちゃんとはキャッチボール、したよね」

「そうこうしてるうちに」

「おれきょう、43歳になったよ」
「おめえ、そこそこ長生きしてんじゃねえか」
「これからも、そこそこ元気でいてくれよ」

「きょうは、ほんとうにおめでとう」
「ほんとうに、ありがとう!!!」

そんなわけで。
これから1年間、いやじゃなけりゃ
また、ウタゲにさそってくださいね。
(いつも調子くれてつぶれるんだケドな)