コピーラインティングとか名づけのセンスが
ホントやになるくらい皆無だって
じぶんでわかってるんだが。
ムスメっこの名前だけは、
「なかなかうまくつけたなあ」
「おれのセンス、超絶じゃね?」
自画自賛してる。
*
あ、そうそう。
こうしてぜんぜん関係ないこと書いてるからって
「【サシノミ】いっちさん」の件をぶん投げた
ってわけではない。
この表題みたいなことが浮かんじゃった
ってだけのことだ。
ということを、申し添えておきまする~。
*
名づけってのは、ひっじょーにむつかしい。
以下、おれが名前をつける際の
心の揺れ動き、みたいなのをメモっとく。
いいとか悪いとか、合ってるとか間違ってるとか
ではビタ一文なく、ジャストライクただの好みな。
*
名前に何らかの願いや想いを込めたり
「実はね」的にコリクツをつけるのは
得意ではない。
ということを、
きょうの「今日のダーリン」を読んで再認識した。
(糸井重里が社名を「東京糸井重里事務所」から
「ほぼ日」に変更した、ってテンマツのハナシ)
(ちなみに、明日の昼以降にリンクたどっても
違う「今日のダーリン」になっちゃってるからね)
だからってムジュンするんだが。
フォローするわけでもないんだが。
きょうの「今日のダーリン」をディスりたいわけでもなく
そういうストーリーを聞くのは嫌いでもない。
どちらかというと、すきかもしれない。
*
名前なんて、ただの記号じゃん。
願いとかコリクツなんか、どうだっていいじゃん。
保険かけてんじゃねえよ。
とおもってる。
そういう態度の例って、このクソ辺境の
ブログ名がわかりやすいかな。
(と、たとえとしてクソ辺境名を出すのも
それはそれでなんだかコリクツっぽくて
ホントはやでやでしようがない)
まあ、テキトー。意味なんか、ねえ。
*
冒頭で自画自賛したムスメっこの名前だって
まったく意味はない。
○女の子だからかわいい、やわらかい
○呼びやすい
○漢字がカッコいい
ってだけのことだ。
画数は念のため、調べたが確認程度。
「シンメトリーな漢字にしたかった」ってのは
訊かれたときのためネタだし。
「大河内奈々子がすきすぎてパクった」も、
当時、大河内奈々子をすきすぎたのは事実だが
訊かれたときのための、ネタだ。
だいたい、もしそれが真実だとしたら、
「おめえ、想いをバッチリ込めすぎてんじゃねえか!」
って、ハナシだ。
*
ことほどさように。
金魚を2匹飼ったときに「デスモントとモリー」
ってつけたのは、そんときたまたま
ビートルズのオブラディオブラダを聴いてたからだし。
柴犬に「ヨシダ」ってつけたのは
父親の師匠の名前をつけたら、父親は
どういう風にその柴犬と接するんだろうなって
おもっただけのことだし。
にょうぼうを「ダンナ」って呼ぶのも
そんなんようなたぐいのことなんだろう、たぶん。
*
何らかの意味を盛るってのが
何で得意じゃないかって、あらためて考えると。
「そんな高等テクを弄するほど脳みそがない」
って、ファイナルアンサーっぽいのは措いても
そういう「実はね」的なものの
背後に見え隠れする帳尻合わせ感とか、
よく考えたんだぜ感とかおれすげえでしょ感
が、帯びてる「うすらさぶさ」に
じぶんでじぶんが持ちこたえられそうにない
からじゃないかとおもってる。
本能でもって、無意識におのれを防衛してた
とか。そういうニュアンス?
*
やっぱ、アレだな。
「このエントリーじたいがコリクツだろうがパラドックス」
から、抜け出せねえ。
「明日、雨降んねえかなあ。
シーズンでもねえし勝負レースでもねえし
クソさむそうだし走るのつらいから
雨が降りゃ、大手を振るってDNSできるのになあ
足立フレンドリー。。。」
とか、後ろ向きなことしか考えられない
クソバカに、鉄槌を!