キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

名前をつける、みたいなこと

コピーラインティングとか名づけのセンスが
ホントやになるくらい皆無だって
じぶんでわかってるんだが。

ムスメっこの名前だけは、
「なかなかうまくつけたなあ」
「おれのセンス、超絶じゃね?」
自画自賛してる。



あ、そうそう。
こうしてぜんぜん関係ないこと書いてるからって
「【サシノミ】いっちさん」の件をぶん投げた
ってわけではない。

この表題みたいなことが浮かんじゃった
ってだけのことだ。
ということを、申し添えておきまする~。



名づけってのは、ひっじょーにむつかしい。

以下、おれが名前をつける際の
心の揺れ動き、みたいなのをメモっとく。
いいとか悪いとか、合ってるとか間違ってるとか
ではビタ一文なく、ジャストライクただの好みな。



名前に何らかの願いや想いを込めたり
「実はね」的にコリクツをつけるのは
得意ではない。

ということを、
きょうの「今日のダーリン」を読んで再認識した。
(糸井重里が社名を「東京糸井重里事務所」から
「ほぼ日」に変更した、ってテンマツのハナシ)
(ちなみに、明日の昼以降にリンクたどっても
違う「今日のダーリン」になっちゃってるからね)

だからってムジュンするんだが。
フォローするわけでもないんだが。
きょうの「今日のダーリン」をディスりたいわけでもなく
そういうストーリーを聞くのは嫌いでもない。
どちらかというと、すきかもしれない。



名前なんて、ただの記号じゃん。
願いとかコリクツなんか、どうだっていいじゃん。
保険かけてんじゃねえよ。
とおもってる。

そういう態度の例って、このクソ辺境の
ブログ名がわかりやすいかな。

(と、たとえとしてクソ辺境名を出すのも
それはそれでなんだかコリクツっぽくて
ホントはやでやでしようがない)

まあ、テキトー。意味なんか、ねえ。



冒頭で自画自賛したムスメっこの名前だって
まったく意味はない。

○女の子だからかわいい、やわらかい
○呼びやすい
○漢字がカッコいい

ってだけのことだ。
画数は念のため、調べたが確認程度。

「シンメトリーな漢字にしたかった」ってのは
訊かれたときのためネタだし。

「大河内奈々子がすきすぎてパクった」も、
当時、大河内奈々子をすきすぎたのは事実だが
訊かれたときのための、ネタだ。
だいたい、もしそれが真実だとしたら、
「おめえ、想いをバッチリ込めすぎてんじゃねえか!」
って、ハナシだ。



ことほどさように。

金魚を2匹飼ったときに「デスモントとモリー」
ってつけたのは、そんときたまたま
ビートルズのオブラディオブラダを聴いてたからだし。

柴犬に「ヨシダ」ってつけたのは
父親の師匠の名前をつけたら、父親は
どういう風にその柴犬と接するんだろうなって
おもっただけのことだし。

にょうぼうを「ダンナ」って呼ぶのも
そんなんようなたぐいのことなんだろう、たぶん。



何らかの意味を盛るってのが
何で得意じゃないかって、あらためて考えると。

「そんな高等テクを弄するほど脳みそがない」
って、ファイナルアンサーっぽいのは措いても

そういう「実はね」的なものの
背後に見え隠れする帳尻合わせ感とか、
よく考えたんだぜ感とかおれすげえでしょ感
が、帯びてる「うすらさぶさ」に
じぶんでじぶんが持ちこたえられそうにない
からじゃないかとおもってる。

本能でもって、無意識におのれを防衛してた
とか。そういうニュアンス?



やっぱ、アレだな。
「このエントリーじたいがコリクツだろうがパラドックス」
から、抜け出せねえ。



「明日、雨降んねえかなあ。
シーズンでもねえし勝負レースでもねえし
クソさむそうだし走るのつらいから
雨が降りゃ、大手を振るってDNSできるのになあ
足立フレンドリー。。。」

とか、後ろ向きなことしか考えられない
クソバカに、鉄槌を!