25年ぶりの優勝、にイッチョカミ。
さて、25年前の1991年。
平成3年。
おれ、なにしてたっけかなあ。
ふり返ってみる。
なお、べつだんカープファンでは、ない。
それにしても、ヒロシますごいね。
キクチ、すごいね。
ヒロシまのキクチ、すごいねっ。
*
25年前、1991年。
前に広島カープが優勝した年。
ヒロシ少年は17歳、高校2年生。
もうね、なーんにもない。
教室の隅で独り、のり弁を食ってた高校時代。
の、ど真ん中。
中2病のまっ盛り。
暗黒の世。
部活するでも勉強するでも、遊ぶでもなく。
学校が終わるとおうち直行。直滑降。
水戸黄門とかスクールウォーズ、
ナイトライダーの再放送。
よゆうで見れちゃうのね。
ロンのモチ、友だちなんか皆無で。
共学なのにチャンネーから一瞥すらされない。
ただただ、まいんちがクソつまんなくて
でいて、将来にも夢がもてない。
モテない。
ビートルズをむさぼり聴いて
寺山修司をむさぼり読んでるだけの日々。
以上!
わざわざ書くんじゃなかった。とほほ。
*
ここまで書いてておもったのは
「いまもまったく変わってねえじゃんか」
河岸を変える。
*
熱狂的なジャイアンツファンだった
ヒロシ少年にとって。
広島カープってのは、にっくきライバルだった。
80年代~90年代はじめごろのカープは
投手王国全盛期で。
北別府、大野、川口、津田。もとい
きたへふ、おおの、かわぐち、つだ。
山根とかも、いたよね。
次世代にひかえる長冨、金石、佐々岡。。。
世代交代もうまくいってる感じで
のち、こんなに低迷するとは夢想だにしなかった。
投手王国っていわれてたものの
打線もすげえ魅力的で。
高橋慶彦、山崎、衣笠、山本浩二とか。
達川、長内、西田とかが脇を固める。
どんな魅力的な打線だよ。
魅力的って二度、言ったよね。は措いても。
そこに正田とか野村とか江藤とか
金本とか緒方とか
世代交代もうまくいってる感じで
のち、こんなに(以下略)。
*
熱狂的に凶暴なジャイアンツファンだった
おれにとって、にっくきライバル、カープ。
だったんだが。
江川マンセー、原マンセーだったんだが。
高橋慶彦と衣笠が、大すきだった。
高橋慶彦のあの、ザ・ダテ男って感じの
ヒジをそろえてクネクネする構えかた。
かっこよくて、身悶えした。
上の動画にもあるケド。
衣笠の応援歌、いま聴いてもキュンとする。
*
いまおもえばチョーイカすんだケド。
ビジターの、赤ヘルにスカイブルーのだっせえユニフォームとか。
「なに、広島『市民』球場ってwww」とか。
「『カープ』ってなんだよ? 『○○ズ』とか、つけ忘れかよ!」
ナドト毒づきつつ。
そのビミョーなダサさとワイルドさに
どこか魅かれてたことは、間違いない。
(↑今年だからこその、イッチョカミ精神ぇ。。。)
じぶんの位置を再確認すっために
いちおう、もう一度言っとく。
「なお、べつだんカープファンでは、ない」
*
広島市民球場で、広島巨人戦。
先発は大野と槙原。ってなると、
「必ず、延長12回1-0でどっちかが勝つ」
って、ヒリヒリ感とか。
*
あ、あと。
「熱狂的なジャイアンツファン『だった』」
とほざいたが。
いまべつに、ファンでもアンチでもない。
「熱狂的な」を下りる何らかのきっかけが
あったわけでもない。
いつしか、フラットにNPBをみるようになってた。
「もともとすきじゃない球団を除いて」
とか、言うひつようねえな。
まあ、スイス、みてえなもんだ。
っていうか、まとまりがねえな。
つづける。
*
いまの仕事に転職して。
最初、ザ・ゴリ押しって感じで
「机と椅子だけ置かしてください」
ボスの事務所に突撃して。
ちょっと経って、ボスにやっと
話しかけてもらえるようになって。
「キクチくん、野球すきなんだって?」
って、飲みにいって。
それからまたしばらく経って。
WBCってもんが開催されるらしいって。
長嶋が監督らしいってなって。
お祭り気分っぽかったんだが。
WBCのメンバーが発表された日。
ボスと飲みにいって。
「おれね、あのカープの黒田をちゃんと選んだ
ってとこに、さすが長嶋すげえっていうか
長嶋本気出してるわって、おもうんですよ」
とか、エラソーにほざいたら。
「そうそう、そういうことなんだよね」
って、ますます意気投合して。
その感じの関係性がいまもつづいてる。
ような、気がする。
まとまりがねえうえに、
どうっでもいいな。。。
*
。。。
*
マラソンの本気レースは。
ランパンランシャツでキメることにしてる。
マラソンの神様に対する、
じぶんなりのくだらねえしきたり。
なんだが、せっかくのイッチョカミ。
10月の大阪を、どう疾駆すっか。
なにで疾駆すっか、を迷ってる。
ランシャツか、ぐわぁTか。
それとも。