キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

{何のために、何が楽しくて}走ってんだろう、とか考えないみたいなこと

職場からジョグをして帰ってきた。
水曜だってんで、全力まっくすでもって。

超絶ガチでカマしたのに
調子は悪くないというか
わりといいのに、自分比ものすごく遅かった。



つい数ヶ月前「軽いジョグ」だったペース
が、トゥデイなう。

的なニュアンス。



ただ。

ほんの数行前。
「つい数ヶ月前ほにゃらら」ってくらべた
舌の根の乾かぬうちに、なんだが。

「いちばんいいとき、あんぐらいで走れてたのにい」
「去年のいまごろはこんぐらいだったのにい」

とか、くらべることを基本的に放棄してるので。
基本的に何にもおもわない。

うひょーも、ガックシも、ない。
ってのは、何日か前にも言ったな。
ということは措いても。


「きょう/こんぐらいで/走ったとさ」
という事実が、あるだけ。



「じゃあ、いまおれは何のために
何が楽しくて、走ってんだろう?」

終盤、ペースがガタ落ちするなか、キョライする。

目指すタイムがあるわけでも
目指すレースがあるわけでも
いっぱい走るぜって野望があるわけでも
走る義理があるわけでも、ない。

それでも走ったりなんかして。
ただただ、走ってるだけ。

考えるとめんどくさくなりそうなので
「何のために、何が楽しくて」
キョライをアタマから、抹消する。



でも結果として、
きょう超絶ガチで走ったし。
今月、自分比前代未聞なぐらい、走ってる。

考えることは何もなく。
たんたんと、走ってる。

もっと走ろうとすら、おもってる。



物事に臨むとき。
あ、一般論ね。

何らかの目標をもって
何らかのモチベーションの源泉をこしらえて
やらないと、キツイ。
ということがある。



どんなに脚が速くたって
どんなにスタミナがあったって

たとえば。
「42.195km走る」
キョリが決まってるからこそ
42.195km走れるわけで。

「とりあえず(時間も距離も決めず)
いっぱい走っといて」ってほうり投げられても
誰も42.195kmなんか走れないよね。
みたいな。

たとえば。
「秋にはタイムを縮めたい」から
キツイ練習も楽しめるんだろうし。
「終わってから飲むビールはうまい」
ってごほうびが楽しみで走れる。
ということもあるんだろう。じゃん。



じゃあ、きょうやサッコンのおのれは。

いったい、何のために
何が楽しくて、走ってんだろう?

強制的に思考停止するまでもなく
さっぱり、意味がわからない。

そもそも。
とりたてて走ることがすきなわけでもない。

それでもたぶん、また走る。

ホント、いったい。
何のために、何が楽しくて走ってんだろう?



目標とかモチベーションの源泉って
すごく大切なのかもしんないケド。
ことほどさように
必要不可欠ではないのかもねっ。

「そこそこ楽しい」
「さて走ろうとおもったから、ただ走る」
「そういうもんだって、ただ走る」
でもじゅうぶん、成立するんですなっ。


けして深い考えがあるわけじゃないが。
それもいいんじゃないかとおもう。
ポエム?