キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

続ブログとじぶんについて最近おもってること―コメント入れなくなってる理由

きのうの続き。まさかの「ありまーす!」
というか、書き漏らしたこと。

ブログとじぶんについて最近おもってることをまとめとく

こういうのって、だいたい。
アップした翌日に読み返して
「あ、コレ忘れてた」って気づいて
書き足してもまた漏らすループをするか
書く段になって何を忘れてたかを
忘れちゃったりすんだよね。

とか、ドーデモイイ。


半年ぐらい前から。
ヒトサマのブログにあんまコメントしないようにしよう。
ということにした。

ブログっていうのは。
とりわけいまの「とある村」のように。
(とある村=ブログ村マラソンカテ、いまさら注釈)
ブログをほぼまいにち拝読してるうえに
リアルでもお会いするようになると。

それぞれのかたに思い入れができすぎる
というのもあるし
そもそもコメントを入れるって
それなりの脳みそとじかんを使う。

ので、早晩どこかに皺が寄るな
とおもったからだ。



で、ギブ&テイクではないが
ヒトサマにコメントを入れなければ
じぶんのブログにもコメントが入らなくなる。

(とはいえ、じぶんのブログにコメントを
いただくっていうのはものすごーく
うれしいことで。そういう自業自得ジャスト
コレズバリな矛盾を抱えてる、とかは措く)

因果応報? 何て言うのこういうの。

去年の12月にこういうエントリーをものしたが。
クソ辺境がブログとしてとっくにオワコンな10の理由とつくば後にちょっと気になってる10のこと(2015/12/02)

「ギブ&テイク的なことを暗に放棄しちゃった」
というのも、要素の1つに入るとおもう。



それはコウ。

前エントリーでほざいた
「ある意味閉じた世界にどっぷりしすぎる」
的なことに危機感を覚えたってのもある。

とはいえ。
ヒトサマのブログにまったくコメントしないか
といえばそうでもなくて
させていただいたブログとしなかったブログに
何の濃淡の差もない。



ナドト。
一分の隙もスキスキスーもない言い訳だぜ
えへへ。



こういうときに固有名詞をあげつらうのは
ものすごくフェアじゃない気がするが。
(っていう言いぐさ、前にどっかでしたな)

たとえば。
たかしさんのブログ
毎日アップされるのを楽しみにしてるし
拝読していろいろ考えさせられるんだが

おもしれえなあとか
どうやったらクソ辺境おもしろくなるかなあとか
おっ、これはなかなか深えこと言ってるぞとか
そう来ましたか、とか

にもかかわらず。
たぶんここ半年ぐらい数えるホドしか
コメントをいれさせてもらってない。
みたいな。

アップされるとツイッターにあがるので
せいぜいリツイートするとか、そんな感じ。

だからどうだってんじゃない。
という濃淡のなささ。



まあ、勝手なてめえ都合だ。

でもその。
ブログ周辺に入り込みすぎる危うさっていうか
人づきあいにしろ趣味にしろ
元からあったマラソンとかブログとかと
ことなる世界でのことを圧迫せず、うまく
分散投資的なリスクヘッジというかを、する。

そういうのが要るような気がした。


なんだ「分散投資的なリスクヘッジ」って。
言葉選びのセンスが致命的だし
語弊の温床ぽいな。

まあいいや。語感だけだ。



これはきのうの終わりに
ちょっと言いかけたSNS関連もおんなし構造。
すたっらくちゃー。

だからってやめようとか
ヒャクかゼロか的なことじゃなくて
何らかの距離感の設定も要るな、と。

「いい加減」じゃない意味での「テキトー」。



ナドトぬかしといて。
コウ、舌の根は乾かねえに(↓)てへっ。

いや、超絶人見知りだてらにクソナマイキな。
何なんだろうね。
取りようによっちゃ、
リア充アピール(?)みたいな所業。


ともあれこのテーマまた、つづき。
そのうち機会があったら、いずれ、ね。
(↑やんねえフラグぇ)