キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

おもしろきこともなき世をおもしろくとはかけ離れてること

きょうは月がとってもキレイだ。

ひさびさに月を眺めながら
超絶大都会最寄駅から超絶大豪邸まであるいてきて。
「風流なおれ、かっけえ!」
って独りよがってた。

菅原都々子の動画貼るの、措く。
エレカシの動画貼るのも、措く。


あ、いま絶賛ネガティブスピリットインストアナウ
って感じなので。

きょう、ソレ推しで。



きょう、中くらいの仕事がひとつ、ケリついた。
さんざん締切を延ばして、迷惑をかけた。
数週間、七転八倒した。

ないもの(あるっぽいもの)を、或るひとつのカタチにするのって「たのくるしい」ですな。
でいて、カタチになっちゃえばなっちゃったで、「ふーんそんな程度のもんでしょ」なもんで。

それを否定しちゃうと、じぶんのなりわいが成り立たなくなっちゃうんで措くが。



帰りに晴れ晴れした気分で月を眺めてたら。
そりゃ、ポエマーのひとつにも、なりますわな。

月はキレイだし、酒はうめえし、仕事おわったし。

高杉晋作のひとつも気取りたくなる。
『おもしろき こともなき世を おもしろく』

住みなすものは 心なりけり
って、つづく。

だからどうだってんじゃない。
ああ、そうだよなあって、おもう。

よくわかんねえケド。
ないものを、或るひとつのおもしろいってカタチにしたよねって感じだ。
「心なりけり」って、身もフタもねえ根性論でもって。


曲解なりけり。



走ることって。
とくにこういう市井のなんでもないひとが走ることって。

カタチがあんのかっていわれたら。
全面的に「ありまーすっ!」とは言いきれない。

レースで記録証もらうでしょったって。
それって走ったカタチなのかどうか、確からしくない。

あまつさえ。ふだんのジョギングなんか。
「てめえひとりの胸にあるかも」ぐらいのふたしかなもんだ。

それを崖っぷちでとどめときたいから。
タイムだのキョリだのなんだのをメモっといたり
ブログなんかにものしたりする。

「少なくともおれのをおれ、忘れないでねえ」
必死だ。

ん? 書こうとしてたこととどんどんどんどんズレてるぜ。

ぶった切る。



そのまあ。

すごくあっち側に傾いちゃうんだけど。
じゃあきょう。
「川原を走ったけど、時計すんの忘れましたー」
だとしたら、走ってないってことになるか。

といったら。

ザンネンながら、走ってる。
カタチは、ない。
証明も、できない。

ただその。
レースのスタートラインに立ったとき。
よりどころにするのは、そういうカタチがあるんだかもふたしかなことなわけで。

「あすこで歩きたかったけど走りきった」とか。
「走りきってマーライオンぐらいの超絶リバースするぐらいやってやった」とか。

カタチなんか、ねえ。
証明も、できねえ。
取るに足らねえ。ことかも、しんない。

でもそういう実体があるんだかないんだかわかんないもののおかげで
くじけたかったけど、つい、がんばりとおせちゃった。
逆もあるかもしんないケド。

そういう。
じみたことこそが、もののあはれっぽくていいなあ。

ある意味、醍醐味だよなあ。
そこが、おもしろいんだよなあ。

って、おもったんでしたとさ。