っていうコトバがある。
「中途半端な同情は、そのひとのためにならねえぜ」
っていう意味じゃない。
おもいっきし、ブッブーーーだ。
*
そんなん、知っとるわい。
知っとるY。
ダイジョウブイ。
ぐらい。
昭和軽薄体、な。
嵐山光三郎、な。
そうなんでR。
Bルを飲む。
みたいな。
あれってなんかこう、ザ・時代のあだ花って感じがして
すごーくザラザラしたきもちになるときと
「いまこそ、逆にやったれ!」ってなるときが
ワルツのリズムで訪れるよね。
ザラ・ザラ・やったれ!
ザラ・ザラ・いまぞっ!
っと。
は、措く。
措くんでR。
*
「ひとのためをおもってしたことは、めぐりめぐって、てめえに返ってくるんだぜ」
「だから、どしどし、やろーぜ」意。
「なさけはひとのためならず」な。
*
そういう日本人の奥ゆかしさ。
キライではないが、ちょっとまだるっこしい。
コミットする結果が遠すぎると、何もやる気が起きなくなってしまいかねない。
ので。
「なさけはおれのためなり」
っておもうようにしてる。
おもうようにしてますとさ。
ってだけのハナシ。
*
まあその。ほかならねえおれのためだ。
って、おもうようにしてますとさ。
ってだけのハナシ、なんだが。
じゃあ、最終的におれのためになるには。
ベクトルがどれ方向にありゃいいか。
ってのがアタマのなやませどころで。
それがハナっから「てめえ」だと
なんか、あざとい。
*
っていう。
まだるっこさを最初に回避しとこうとして
オミゴトなほど、まだるっこさに首をつっこむ、的なあれね。
*
このベクトルを見誤ると。
けっきょく、じぶんのために、ならない。
わけで。
*
「ベクトル」って言葉は、むつかしいよね。
そもそも「向きと大きさ」という意味を持ってるらしいので。
「ベクトルを濃厚におれのほうに向ける」
っていう言いぐさは
「馬がうんこした馬糞をおれがくそくらえする」
みたいなおかしなことになる。
じぶんでむつかしいといいだしといて。
そんな些細なことは、ドー・デモ・イイ。
*
あのう。
日常においていいたとえがみつからないから。
我田引水、みたいなことでたとえてみる。
*
「依頼主」がいて。
「おれさまちゃん」に。
「取材対象」に話を聞いて。
「原稿」をつくってくれ。
って案件があるとすんじゃん。
「原稿」ってのはまあ
いずれどこかでさらされるとして
対象が「読み手」になるとすんじゃん。
*
そこで「おれさまちゃん」は。
おれさまちゃんのベクトルは、dotch?
っていう。
*
クールにキメるとすれば。
おれと利害関係があるのは「依頼主」なので。
どんなウソコで塗りかためようと
1)「依頼主」がマンゾクしさえすりゃ、おれさまちゃんはビジネス的に得する。
たとえ。「取材対象」が「おら、そんなこと、言ってねえ」だとしても。
たとえ。「読み手」がじゃかーんのイワカーンを抱いたとしても。
関係ねえ。
*
せっかくこちらからアタマを下げて。
「取材対象」に貴重な時間を割いていただくんだから。
「取材対象」が、「そうそう、そういうこと! 言わんとしてることをよくぞ表してくれました」
っておもってもらえるようなものを仕上げりゃ、いい。
2)「取材対象」の肚を落としゃ、おれさまちゃんは聞き手として得する。
たとえ。「依頼主」の意図とズレていようとも。
たとえ。「読み手」が満足できなかろうと。
関係ねえ。
*
「金をもらって原稿を書くってことは最終的に、読み手を満足させるってことだ」
と、むかしよく言われた。
「依頼主と取材対象の向こう側にいる、読者に向かって書きやがれ」
と、むかしよく言われた。
3)読み手が満足しさえすりゃ、おれさまちゃんは世間の目、的に得をする。
たとえ。「依頼主」が当初、猛反発をしたとしても。
たとえ。「取材対象」をただの材料として踏み台にしたとしても。
*
三方よし。
というか、おれも含めた四方よしならば、なんのもんだいもない。
どころか、きわめて理想的な姿。でR。
んだが、現実もんだい。
なかなかそうはいかない。
*
どれかひとつだけをとらなきゃいけない。
ってなったとき。
はてさて、どうするか。
正解は、ない。
*
正解は、ない、し。
ロジックも、ない、ケド。
おれは「(2)取材対象」が喜んでもらえるベクトルを、採る。
すなわちそれがいちばん。
「おれが喜ぶ」ということに、なる。
*
いや。
コレはただの姿勢のハナシで。
コレをもとに、一般的なこと。
たとえば
「おれが、マラソンでいいタイムを叩き出しましたって、ブログを書いたとき」
みたいなハナシにオトそうとしたんだが。
ダ・ン・ネ・ン。
む・つ・か・し・す・ぎ・る。
薬師丸なていで。
*
きょう、クライアントと飲んだ。
媒体は、雑誌広告。
もう7、8年になるだろうか。
雑誌1P分の広告を年に8回ぐらい、つくってる。
クライアントの担当者は、オーナー。
広報部だとか、広告宣伝部なんていう間接では、ない。
オーナーのアタマの中には、わりと固定されたイメージができあがっており。
それをいかにうまく、出版物としてのカタチに表していくか。
が、おれのミッション。
みっちょん。は、別人。は、措く。
*
その「アタマの中では固定されたイメージ」を
「出版物としてのカタチ」に表す
ってのが、ラクショーぽいケド、わりと悩ましい作業で。
なんでかっていうと。
どんなにアタマの中で固まってようとしょせん「イメージ」、ゆえ。
*
とくにオーナーがこだわってるのは。
25文字前後のメインキャッチ。
おれはその。
かれこれ7、8年。年に8回ぐらい。
つくってるんだが。
「そのサービスには
ビタ一文キョーミがない」うえに
「サービスを利用してみよう」
という意思もないので
しょせん、妄想でコピーをつくる。
脳みそのキンニクがミートグッバイするぐらい
アタマに汗かいて、考える、
妄想全開で。
*
よろこばしいことに。クライアントは
ということが、わかった。
*
おれはなんだか、ものすごくうれしかった。
体験イズ・オールでは、かならずしもないということ。
具体的な数字を提示されたわけではないが、効果はてきめんに出ているということ。
なにより、クライアントが満足してるということを、目のあたりにできたということ。
ふだん、机の上だけで妄想を広げているだけに、なおさら。
*
ってのは、どうでもよくて。
おれがどう満足感を得ようとどうでもよくて。
「じゃあ、ココまでしゃあしゃあと連ねてきたことは、何?」
と、おもわなくもないが。
*
具体的な数字がない以上。
あったとしても、クライアントが感覚以上のものを認識してない以上。
広告の効果のホドは、わからない。
かたや。おもった
「広告を作成する下請け」というどうでもいいような
立場のおれを喜ばせる、クライアントのこころくばり。
っていうのは。
しかもすごくマメにそれを表明できる。
っていうのは、
どういうことなんだろう? と。
*
少なくとも、ベクトルを「おれ」に向ける必要性が、ない。
というか、必要性がないのに、いちいち向ける、気持ちのありよう。
ってどういうことなんだろう? と。