キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

サイレンとマジョリティーみたいなこと

表題。
変換ミスで「サイモンとガーファンクル」
みたくなっちゃったケド
これはこれでおもろいので、そのまんまにしとく。


こないだ。
長えフィルター」ってのを書いたが、あのとき
「長えっ!」ってカツアイしちゃったぶん。



なんかさいきん、
こんなことばっか言ってるような。
コリクツはいいから
カラダ動かせ(走れ)よ、っていう。

しかもネタが
きのうのエントリーとビミョーに
かぶったり前後しちゃってるじゃんか
っていう。



長くしてるのはホンダさんよろしく
「あえてね」ナドトぬかしといて
続けて書いたぶんは、「長えっ!」カツアイしちゃう。

この、一見ムジュンしてるようだが
見方によっちゃ哲学っぽいぞ
おいおい。ひょっとして、深いことなのか!?

っていう、おもわせぶり、ね。
おもわせぶりと書いて
ただのムジュンと読む
not onlyムジュン, but alsoムジュン。

いいから、早くはじめやがれ。
さっ、きょうも出ましたなっ。

なんかキメ言葉にしようとか、やらしいこと考えてね?
いいえ。そんなことは考えてません。
どちらかというと、
ちらっとでもそんなことおもったじぶんを、殴りつけてやりたいデース。
あきらかに、だっせーですコレ。

ところで、ホンダさんって誰ぞ?



このクソ辺境ブログ。
もともと少しでも多くのかたに
読んでもらいたくてはじめたので、アクセス数はものすごく気にしてる。

クソ辺境で
ただジコマンを開陳してるだけなわりに
以前にくらべて信じられないくらい
多くのかたに読んでもらえるようになった。

ブログ村の登録きっかけも大いにあり
ぼっち練きっかけも大いにある。

大いにって書こうとして
オイニーって書きそうになっちった
のは措く。



コメントがほしくて書いてるわけじゃないが
管理画面を開いて「コメントあり」
ってあると、チョーうれしい。

このエントリーなんて。
広島のココロの収支報告。たまにはマジメに語っとく(2014/08/28)

あまりにも対自的で。
マラソンとも何の関係ないにもかかわらず
どうしても言っときたくって。

「誰も見なくてもいいや、
いままで見てくれてたひとがコレ見て
見るのやめられちゃうかもしんない
ケド、いいや、上げちゃえ」と。



コメントいただけるなんて
毛頭、考えもしなかったんだが。
そんなのに、コメントしてくださるかたがいて
ありがたいというか
クリビツテンギョーした。

だからどうだ、ってわけじゃねえ。



こっから、言いかたがむつかしいんだが。

おれもそうなんだが。
「いつも読んでるブログでも
コメント残さないのって、わりとある」
って、ある。

たいした理由は、ない。

このクソ辺境も
じっさい、コメントもらえるのは
アクセス数の100分の1未満とかで。



いや、ミエはっちった。
10分の1? 5分の1? 2分の1?
まさかの1分の1?

オカルトな1分の2?



ともかくその。
仮に5分の1だとして。
(けっきょく5分の1なのかよっていうね)

1件の「見える」コメントの後ろには
4件の「見えない」感想があって。

見えるコメントは
どうしてもアタマに残るので
意識しなくてもなんらか
以降のエントリーに反映されうる。

意識的に反映することも、もちろんある。



ただ、その。
コメントを残すわけでも
ポチッと押すわけでもない
でも、覗いてくれる4件。

「見える」コメントと
おんなじ感想かもしんないし、違う感想かもしんない。

そのサイレント・マジョリティー?
ってのが、ものすごく大切で。



「ものすごく大切」って
すげえ薄っぺらい物言いだな。

なんて言や、適切なんだろうか。
適切っていうか、
おもってることジャストコレズバリなんだろうか。

「重視してる」って、空々しいし
ちょっとエラソーでもある。
まあいいや。



リクツをこねまわすと
言いたかったことと
どんどんはずれてきそうなので、例をあげる。

小心にもういちどくり返す。
こっから、言いかたがむつかしいんだが。
いいとか悪いとか
他人にケチつけてるとか
誰かをdisってるとか、そういうんじゃない。

おれはこうしたいな
とおもってること。

実際できてるかどうかは、別。
はなはだあやしい部分も多い。

エクスキューズもいっぱいあるが
キリがないのできょくりょく、省く。



結論から言うと。

内輪ウケをねらいすぎない。

ブログつながりのウタゲとかイベントに
参加したとして。
そのエントリーを書いて。

リンクや写真を貼りまくって
ほかの参加者の閉じた紹介に終始したとする。

楽しかったんだろうなあ
ってのはスゴク伝わる。

「いや、そうなんだろうケド
だからなんなんだ」ってことになる。

「おれは参加してねえし
ほかの参加者とやらを知りもしねえ」
ってひとからすると。



8月のぼっち練のエントリーが
ソレ的にアウトかセーフかは、わからない。

ただ、なるべく一般化するようには、した。
参加してないひと、ジョグしてないひと
にもわかるように。

ぼっち練自体のツボとか
参加者を紹介するなら
そのひとはどういうひとかとか
リアルで初対面なそのひとは、おのれの両の眼にどう映ったか、とか。



こういうこと書くと
「ちゃんと考えて書いてるんですねえ」
なんて言われそうだが。
断じてそういうちゃんとしたことじゃない。

たんじゅんに
おれが第三者でアレ読んだとしたら、
まずソコが知りたい。ってだけのこと。

言葉で表すとこう、
意に反してゴリッパ、エラソーになる。厄介だ。



プライベートなブログなんだから
別にそんなことするひつようは、ねえ。
ビタ一文。

めんどくせえし。

でも、せっかくブログに書いたのに。
せっかく読んでくれてるかたがたに
「ケッ」っておもわれたとしたら、もったない。

だいたい。
おれ(書き手)も
サイレント・マジョリティーも
なにひとつ得しない。じゃん。



モチロン。
あえて、内輪ウケねらい100。
私信みたいな感じでキメる。ってときも、ある。

バカがつきぬけすぎててリスペクトしちゃってるデザイナーさんのとか、
異常にモミアゲが長くて異常にプライドが高い後輩のとか
身内とか同級生とか。

むかしながらのリアルなつながりがあるひと関連だと、とくに。



ちゃんちゃん。



ひとつ。どうすればいいか
わかんないことがあって。

こんなこと、
まったく言うひつようねえかな。
まったく、ヤブヘビになっちゃうかもな。
真意がつたわらないかもな。

でもいいや。言っちゃう。



ブログにかぎらず。
おれもというか、おれにこそ
こういうとこ、濃厚にあるんだが。

たとえば。
「駅のコンコースでうたってる若者。
おれはひそかにいいなっておもってて
毎晩、気に入ってて目の前で聴いてて
でも、客はおれひとり。
誰も立ち止まるどころか、目にも止めやしない。

やがて、その若者。人気者になっちって
いまや駅のコンコース
女子高生のひとだかり」
みたいなケース。

このたとえ、ぜってえ誤解を招く。
おれはそんな、おもいあがってない。違う。
あくまでも、ありがちな例として。



若者がみんなに理解されてすげえうれしい反面、
「おれのことなんかもう覚えてもねえだろな。(くそ、あのヤロー)」。
みたいな。

「もうあいつ、遠いお空にいっちゃったからね。フンッ」
っていう。ビミョーな感じ。



このクソ辺境ブログ。
おかげさまでこの数ヶ月で
信じられないくらい、多くのひとに見てもらえるようになった。

コメントも、残してもらえるようになった。

かつて1対1だったものが
1対2、ぐらいにはなった。

で。
コメントって、誰にでも見れるものだから
可視化されているということが
ヒニクにも上記の
「・・・(くそ、あのヤロー)」
「・・・フンッ」
につながってたとしたら
ザンネンだなあとおもう。

言いかたがむつかしすぎて、
パニクりの絶頂だ、いま。

なんか、文章がヘタすぎて
言えば言うほど、よけいな反感を歓迎してやしねえか。

コメントを残してくれるひとに対してとか
全方位的に。



お空になんか、行ってねえですよ。
と言いたいんである。

だいたいそんな翼、生えてねえし。
と言いたいんである。



半年前とかそれ以前
管理画面を開いてすげえたまに
「コメントあり」って表示があったとき。
ほんとうにうれしかった。

忘れらんない。



自己弁護ぽくなっちゃうが
そのときから、なにも変わってない。

ネタのつまんなさも。
ムダな長さも。
ブログに対する姿勢も視点も。
ジョグに対する真摯さの不足も。



おれも、いつも読んでるブログでも
コメント残さないのって、わりとある。
そこにたいした理由は、ない。

が、だからこそ、というか、
コメントをするドッコイショ感はわかってるつもり。



別に好かれたいんではない。

なかには
「目の仇にしたくて、あえてこのブログ読んでる」
ってひとも、いるだろう。
それはしようがないし、
おれのチカラ不足というか
おれのチカラがおよぶ範囲ではない。

ただその。

せっかくひんぱんにのぞいてくれたり
コメントを残したりまでしてくれるホド
気に入ってもらえたのに。

それが「好かれてる」とするならば。

好かれてたのが嫌われるに変わっちゃったとしたら
もったないというか、ザンネンだ。
なにより。

もしそれがあったとしたら。
だケド。