キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

神は乗り越えられない試練は与えないとかテキトーなこと言ってんじゃねえぞバカヤロコノヤロ

ゆうべテレビをみていたら
「いろんな元プロ野球選手のいま」
みたいのをやってた。そのなかで1人
最近ガンが見つかり、これから2年間、闘病がんばります。
的なひとがいた。


まあ、スタジオは当然シリアスな空気になりますわな。
本人がどんなにおちゃらけてみせても。



そこで司会をしてた女優が
「『神様はそのひとが乗り越えられない試練は与えない』と言いますし」
と言った。

おっとっと、待ちなされと。



励ましてんだかなんだかわからないが、
言いたいことはなんとなく、わかる。

閉じられたシーンで、フェース・トゥ・フェースで言うのなら、いい。

だが、放送とかでソレ言っちゃ、ダメ。
そのひとのデリカシーのなさを露呈しちゃうだけ、でもあるし。



たとえば、天災に遭って家がなくなり
家族も喪い、仮り住まいで幾年月。
精神的に参ってしまって自死をえらぶひとがいるとする。

そんな絶望的なきょくめんって
「乗り越えられる試練」なんだろうか?
そのひとは
「乗り越えられる試練を乗り越えられなかった弱いひと」
なんだろうか?



たとえば、交通事故や事件に巻き込まれて
不意に幼いわが子を喪ったとする。

表には出ないケド、
風の噂ではそういう親の多くが
メンタルやられちゃったり
離散しちゃったり
それ以上のことになっちゃたり、するんだとさ。

わが子をいきなり喪っちゃうのって
「当然、乗り越えられる試練」だろうか?
そんなことぐらい乗り越えられないのは
そのひとがダメ、だからなんだろうか?



もしじぶんがその親の立場だったら、確実に気が狂うだろう。
じぶんを責めもするだろう。
確実に加害者に復讐しに行くだろう。

むしろ世の中でこれだけ事件事故あるのに
そういうハナシをあまり聞いたことがなかった。
よくみんなダイジョブだなあ、強えなあ。
と、ずっとギモンだった。

なので「そういう親の多くが」って聞いて、ある意味、安心した。
「安心した」ナドト、決定的に言葉の遣い方がおかしいのは、ショーチで。



おれが挙げた例はいささか、きょくたんだったかもしんない。

ケドいや、なんかその
「乗り越えられない試練~」って言葉を
ドヤ顔で持ちだす時点で、いろいろどうなのよ。
とおもっちゃったんである。



なあんてことをゆうべ、夕飯食ってテレビみながら
9歳のムスメに熱弁してしまったわけですわ。

「こんなこと言ったら、思春期になったらおもいっきり煙たがられるんだろうな」
などと、ゲスいことをアタマの片隅に置きつつ。