すでにチマタでは
何年も前に言い尽くされてんだろうが。
facebookの「いいね!」ボタンって、ややこしい。
みたいなこと。
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「いいね!」ボタンの用途。
ざっとおもいついたとこでは、こんな感じ。
1)純粋な共感「いいね!」
2)ひさびさに書き込んだひとへのエール「その調子でね!」
3)んなもん、どーでも「いいね!」
4)じぶんの書き込みにレスポンスしてくれて「ありがとね!」
5)子どもとかペットの写真。とりあえずカワイ~とかいやされる~とかほっこり~とか、言っとけば「いいんでしょ!」
6)ほんじつも、リア充アピール、「おつかれさん!」(七五調)
7)じぶんの書き込みに「いいね!」してくれてコメントまでつけてくれたひと。コメントくれたこと自体はありがたいんだが、内容が何ともビミョーで返しようが「ありませんな!」
8)興に乗ってチャットみたいなコメントの応酬しちゃったケド、さてとボチボチ「打ち止めね!」
9)おのれのタイムラインに表示されるすべてにつける、薄っぺら~い人間関係のメンテ。「いいんじゃね!(読んでもねえケドな)」
10)あ、みんないいね押してる。おれも押しとけば「ハブられないで済むよね!?」
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ややっこしや。。。
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保身しとくと、おれが実際
実用してるのは1と2と7だけ。
7は保身になってねえか。。。
あとのは妄想。
なんだケド、フンイキで
「このいいね!は5だな」
とかわかっちゃうってのがなんか、オモロイ。
ワンパターンな「いいね!」ボタン。
なのにあんがい雄弁、なんだね!。
フシギなもんだね!
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おれはアマノジャクリたいオトシゴロを
この齢までこじらせつづけてる。
ので、
お追従や社会性の臭いがする「いいね!」は、
意地でもやらねえ。
たとえ、場の空気がそうなってても。
と決めてる。
というか、場の空気がそうであればなおさら
意地でもやらねえ。
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いい齢してそんなジャクリ、
わざわざ晒すの、マジでどうかとじぶんでもおもう。
かまってちゃん的なこととは、逆の意味で。
そんなん、オフラインの日記にでも書いてれ
かもしれん。正解だね! まあいい。
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「いいね!」ボタンって仕組みじたいは
ジツによくできてるとおもう。
ケース・バイ・ケースで
「すごくいいね!」「ぜんぜんいくないね。。。」とか
ボタンのバリエーションがあればなあ
とおもうときもある。
でも1周して、気づく。
バリエーションなんてないからいいんだね!
あったらあったで、クソめんどくさいしね!
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ちょっとハナシがはずれちゃうが。
SNSとかブログって
顔もみえないのに、息づかいもわからんのに
そのうち何となくそのひとの「地」
みたいなものが見えちゃうよね。
ネット上だからって、
じぶんプロデュースして着飾っても
うまくやってるぜヒヒヒっておもってるのは当人だけで
まわりはみーんなお見通し、とか。
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ブログは半ば一方的な発信で
さらす断面積が広くなるからともかく
SNSのコメントひとつでもわかっちゃう。
たとえば
「このひとって、
おれのつぶやきにノってるていで、
けっきょくじぶん語りしたいだけじゃん」
とか。
それが上記
「7は保身になってねえか」
だったりすんだケド。
7)じぶんの書き込みに「いいね!」してくれてコメントまでつけてくれたひと。コメントくれたこと自体はありがたいんだが、内容が何ともビミョーで返しようが「ありませんな!」
逆に
「すげえこのひと。
いつもナチュラルに相手を立てるよな。
まったくイヤミくさくもなく」
というのもある。
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おれなんかモチロン、ネットだからって
キャラづけしてるつもりはまったくないし
そんな小手先テクを弄するホドの小利口さも、ない。
そもそも
「じぶんはこうだとおもってるじぶん」と
「ヒトサマの目に映るじぶん」は
確実に違うもんだし。
「コイツのココ、ほんとウザイよなあ」
「ミエミエなくせに、がんばっちゃってもう」
「クソうぜえ、クソバカシネカス」
「だからモテねえんだよ」
「いいから仕事しろよ」
とかおもわれてるかもしれない。
あるいは
「ホント、ステキ(はあと)」
「抱かれてもいい、いやむしろ抱かれたい」
とかおもわれてるかもしれない。
どーでもいいんだけどねっ。
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まあそんなわけで
「いいね!」ボタンって、こわいよね~。
と脈絡もなく、強引にまとめにかかる。
画像のデキにゴマンエツなので、も一度貼っちゃう。
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なんていいながら。
このブログにもバッチリつけてマス。
「いいね!」ボタン。
何でかって、そんなもん
押されてたらうれしいから。
に決まってるじゃんか。
じぶんからはしないケド
たとえミエミエとわかってても
されるのは大好物なんだよ、お追従。
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このブログにつけてる「いいね!」ボタン
についてはもう少し言いたいことあんので
またいずれ。