あっ、そんなひさびさでもないな。
とりあえず、いつもどおり
内容はまったく、ねえ。
*
プロローグ
最初、表題を
どこか中2的なのはべつに春めいてきたからというわけではない最近の動静にしたんだが、
ものすごく〓〓臭が立ち込めてる気がして
「このままじゃいかんだろ」
と、現在のに至る。
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マラソンのこと
ショージキいうといま、
来週の板橋マラソンからはじまる
本格的なレースシーズンに
どう体調を合わせようか
しか考えてない。
仕事とかわりと、どうでもいい。
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続・マラソンのこと
今回は30km以上のロング走を一度だけ
という、極端な方向にいってる。
短い距離やホドホドの距離を
なるべく苦しみながら走るようにしてる。
けっかが、どうなるか知らんが
ロング走が少ないに対して
さほど悲観的でもない。
「ロング走の効果の大部分は、
“距離を踏んだ”っていう精神安定剤としてじゃね」
ぐらいにおもってる。
*
続々・マラソンのこと
ただ、安定剤の服用は
あんがいすごく大事で。
マラソンを完走するのに大切なのは
脚力や心肺機能よか
「心のスタミナ」だったりする。
ちょっとどこか痛くなっても
ごぼう抜き祭りの途中で
テンションが高ければダイジョブ
なのに、
「あ、ダメかも」がよぎるやいなや
マジでダメになる。
みたいな。
マラソンの話ばっかしてても
しようがないな。
*
耳年増&頭でっかち
耳年増と頭でっかちの違い
って何だろう。と。
耳年増のこと→耳年増あるいは年増(2014/03/04)
頭でっかちとは(コトバンク)
あたま‐でっかち【頭でっかち】[名・形動]もちろん3、ね。
1 からだの他の部分に比べて、頭が大きいこと。また、そういう人や、そのさま。あたまがち。
2 上の部分が下の部分に比べて、ふつりあいに大きかったり多かったりすること。また、そのさま。「―の花瓶」「―な組織」
3 知識や理論が先走って行動が伴わないこと。また、そういう人やそのさま。「―な若者」
行動してないだけ、
頭でっかちのほうがタチが悪い。
ということですな。
*
マラソンと耳年増&頭でっかちとの間
自戒も込めてなんだケド、
マラソン系のブログをみていて
上のようなことをおもいましたとさ。
たまにこっちが恥ずかしいぐらい
背伸びしてるひとがいて、
「それ、オマエの本心か?」
と感じることがある。
あるいは、本の丸パクリを
さもじぶんの考えのように述べていて
「それ、オマエの本心か?」
と感じることがある。
*
ブログランキングってのに
ブログランキングってのに
登録してみた。
べつにアクセス数がほしいわけではない。
ただ、だからといって
まったくアクセス数がいらないわけでは、ない。
各エントリーの末尾と
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いちんち1回、
アイコンをクリックしてくれると
おれは、わりと、うれしい。
べつにランキングを上げたいわけではない。
アクセス数がほしいわけでもない。
ただ、だからといって
まったくランキングを上げたくないわけでもないし
アクセス数がいらないわけでは、ない。
新たな刺激がほすい。
*
真反対
すごーく悩んでることがあって
ずーっと悩んでるんだが、
ふと
「正解は真反対側にあるんじゃね」
とおもいたって、
目の前がバーっとひらけた。
よし、コレでいけるっ! と。
ただ、
アプローチは真反対だが
やるべきことやらなきゃいけないことは
まったく変わらない。
まあ、そんなもんだよね。
っていう。
こういうのって、なんていうんだっけ?
おなじ穴のムジナじゃなくて、
一網打尽じゃなくて。
*
祝・池田高校
もうすぐセンバツ。どこかで
「池田高校のこと書く」
って言った覚えがあるんだが
いつになったら実現するんですかー!
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好きだから
好きであることに理屈はつけられない。
星新一のモトカノも
立命館アジア太平洋大学の副学長も
言っていた。確かに。
→「好きになるのに理由はあるのでしょうか」といって微笑んだ。 (2010/11/04)
→はたらく場所はつくれます論。(ほぼ日)
好きってなんだろう。
(別にインスパイアされるできごとがあったわけではない。念のため)
たとえば好きの対象が「チャンネー」だとして
なんで好きなのか?
顔がかわいいとか、
性格が合うとか、
ケツがでかいとか、
いっしょにいて落ち着くとか。
理由を探せばいくらでも
後付で出てくるのだろうケド、
そういうのはあくまで
好き全体の
一要素にすぎない。
*
続・好きだから
仕事なりなんなり
「どうしてソレをやるのか?」
という問いを突き詰めると
「好きだから」に行き着く。
ではどうやって
「やる」べき「好き」にたどり着くか。
オトナがよくエラッソーに言う
「とりあえずやってみる」とか
「打数を増やす」ではない、
答えはもっと根源的なところにあるのではないか。
*
生きる気でがんばる
「死ぬ気でがんばる」
というのはウソで、
「生きる気でがんばる」
が正しいのではないか。
「死ぬ気でがんばってる」のはだいたい
何らか目標にむかっているとき。
目標というのはほとんどすべて、
生きている活動のなかで
発生するものだから、
死んじゃったら達成できない。
達成から得られるのは、
次の生へのモチベーションであるし、
じぶんが生きたことの証明でもある。
などと。
小理屈を並べ立てても邪魔くさいだけだ。
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続・生きる気でがんばる
「死ぬ気で」とは
「死んでもいいぐらいの覚悟で」
という意味。
死にものぐるい/必死/命がけ/決死/懸命
も源流はおなじらしい。
並べれば並べるほど物騒ないっぽう
レトリックな匂いが強まる。
意味のムジュンをあげつらうなんて、
無粋におもえてくる。
もし
「正しい意味派」と
「通じりゃいい派」が対決したら
情にほだされて負けそうだ。
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アビリーン・パラドックス
アビリーン・パラドックス
っていうのは、
人の集団だけにおける心理
ではないんじゃないか。
じぶんの内にも
矛盾する考えが並立していて
ついつい「世間的によさそう」を
チョイスしてしまいがち。
経営とかではなくむしろ
個人の戒めで遣うコトバなのかもね。
アビリーンのパラドックス(wikipedia)
ある集団がある行動をするのに際し、その構成員の実際の嗜好とは異なる決定をする状況をあらわすパラドックスである。
集団内のコミュニケーションが機能しない状況下、個々の構成員が「自分の嗜好は集団のそれとは異なっている」と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えないために、集団は誤った結論を導きだしてしまう。アビリーンのパラドックスは「事なかれ主義」、集団思考の一例としてしばしば言及される。
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誰に語りかけてんだ?
ちょっとネタが古いケド。。。
オマエラ、
聾の作曲家がホントは聴こえてたとか
リケジョとか、
いうほどキョーミあるか?
オマエラがケシカランと怒るほど
カレラはオマエラの生活に密着してるか?
ジツは、
どーでもよくねえか?
おれはとりあえず、
「いくら出世が早いったって
髪伸びんの遅くね? 遠藤」とか
相撲のほうがよっぽどキョーミあるぞ。
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たぶん、おれだけだ
キジマカナエとくまぇりって、
何かこんがらがる。
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もうすぐシジュウ
ジョグをしていてよかったのは
「齢とかおのれの限界をものの数に入れない」
で考える習慣がついてきたんだが。
若いころにハッタリかましたり
逆にカマトトぶったりしてた小細工。
さいきんまったく使わないで
むしろ等身大でいけるように
なってきたので、ますます
齢をとることはいいことだとおもう。
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続・もうすぐシジュウ
浜松のおばあは、
おれが生まれたとき還暦で
干支がおんなじタイガーで
月がおんなじ4月。
なので、
生きてりゃもうすぐヒャク、だ。
めでたいっちゃ、めでたい。
それにしても、
生まれたのは第一次大戦の年か。
やるなあ。
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続々・もうすぐシジュウ
あと1ヶ月あまりで
「もうすぐシジュウ」って
何回も言うとおもう。