キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ややこしくて、むずかしい(PTA総括)

rikusou127

1年間、小学校でPTAの広報委員をやった。
行きがかり上、広報の委員長もやった。
委員長をやったそのおかげで、
保護者、子どもたち、先生、地域と
多くの新しい景色を見ることができた。

たとえば、学校で出会うわが子は、
家でくらすときとは別人に見える。
みたいな。



PTA活動についていちばん感じたのは
「ややこしくて、むずかしい」

先週、最後の広報誌も出たし
打ち上げでどんちゃん騒ぎもした。
というわけで、お役御免記念にごく軽くまとめ。
広報委員のことではなく、ぜんたいのこと。

まあ、チラッと垣間見ただけなんだけどね。

ちなみに、
イチ委員会で何度も打ち上げるって
わりと珍しいそうだが、よく知らん。




なるべく第三者的であるよう、箇条書きで。

○子どもの在学中、一定の回数やらなくてはならない義務感。
○仕事でもボランティアでもないというビミョーな位置づけ。
○かかわりぐあいの濃淡を支える善意。
○いざやったらやったで味わえる充実感。
○責任感の量の個人差。
○几帳面さの個人差。

○ひとによる考えやスタンスの違い。
○「やったひと」と「やってないひと」との温度差。
○「よりやったひと」と「そこそこやったひと」との温度差。
○「やったひと」が「やってないひと」に抱くうっぷん。
○「できなくてやってないひと」の言いぶん。
○「それでもやったひと」との齟齬。



義務感、善意、個人差、温度差。

こういう感じでさまざまな
前提や文化、価値観が交錯しててとても
ややこしくて、むずかしい。

無報酬だけによけい、
ややこしくてむずかしい。



PTAという活動を支えているのは
基本的に、善意。

ボランティアと違うのは、
対対象というより、対人であること。
企業と違うのは、利益出す
みたいな具体的な旗印が、ないこと。

もちろん、かかわるひとはあまねく兼業。

それゆえ、
善意があふれるあまり不公平感に転化
なんてヒニクも起きる。ひんぱんに。



以下、註釈。
その1 濃度

○ムスメの学校は、PTAのかかわり度が濃いほうとおもう。
○それはどうやら、狛江全体にわたるようだ。
○たとえば。年に2回、市内のPTAの集まりがあり、横のつながり(たとえばほかの小学校や、持ち上がりで行く中学の広報委員同士とか)もできる。
○あと、ムスメの学校は父親サークルがあって、運動会などのイベントに運営的に参加している。
○PTA会長はだいたい代々、その父親サークルから選ばれる。らしい。
○と、地域ぐるみで「積極的にやるのが当然」という空気が醸成されている。

おれは「年2回の横つながり集まり」も
「父親サークル」も加わってないので、
耳年増の範ちゅうを出るものではない。



その2 学校の規模と委員の選出方法

○各学年90人ほど。30人前後の3クラス。
○だいたいの委員はクラスごとに1~2人を選出。
○PTAは委員会やそれに準じるものが10ぐらいある。
○ということで、6年間でたんじゅんに2、3回まわってくる。

○まず立候補、尽きるとくじ引き。
○委員履歴や家庭の事情(共働きとか介護とか)は考慮に入れられる。でもけっきょく、場のフンイキやボスキャラ母ちゃんの鶴の一声で自由自在に踏みつぶされたりも、する。

○いちおう、平等にやろうぜっていう建前はある。
○なにをもって平等かが、チョー問題なんだケド。
○たとえばキョーダイがいるかいないか、とか。
○そのため、委員選出のガイドラインは毎年わりとドラスティックに変わる。

ほかの学校では
実績の点数化とか、委員会の数を減らす
とかしてるらしいが現行、
ムスメの学校ではやってない。



おまけ。
委員決めのシーンに限定して、あるある的に。
たぶん、世界共通でこんな感じでしょ。

○「やりたくない」を前面に押し出せる、よどんだ空気。
○ゴネたもん勝ち。
○黙秘しつづけたもん勝ち。
○仕事や家事が忙しいフリしたもん勝ち。
○家庭がヤクザとかすげえエキセントリックだとコールド勝ち。
○なぜか経験者がえばる。
○いやに口数の多いひとは、けっきょく何もやらない。



もしそのうち興が乗ったら
広報委員の総括もしてもいいんだが
まあ、たぶんやらないだろな。